第6話
「で、沢村は?」
俺が聞くと横井はスラムダンクをめくりながら、
「検査入院するらしいよ。なんでも頭にこぶができてたから念のためだって」
「頭打ったのか。そりゃ大変だな。なんか後腐れが残ったら紺碧さんも気まずいだろうし早く治って欲しいもんだ」
あれから紺碧さんからの連絡はない。メルアドも交換しないで別れてしまったので無理もないのだが。まァ何か用があれば横井んちに来るだろうし。
例のパンツは横井が洗って、今朝干したらしい。今日は晴れているのでよく乾くだろう。それにしても横井の家族は息子の奇行をどう捉えているんだろう。
「なんだったんだろーねー昨日の」
ぺらり、と横井がページをめくる。茂田は隣のクラスに遊びにいっていて今はいない。
「結局、沢村キネシスってなんだったの?」
「そもそも沢村とはなんだったんだろうな」
「沢村はあれだよ、あれ、あのー……コンビニ弁当のハンバーグの上に乗ってるラップ」
「おいそれすげー重要なやつじゃねーか」
「えっ! あれ重要なの?」
「あれねーと汁が飛び散って添え物のコロッケが大変なことになるんだよ。知らなかったのか?」
「ほんとかよ?」
「いま考えた。でもたぶん合ってる」
どうでもいいが、我がことながらなんとも寂しい話題である。何が悲しくてこんな毒にも薬にもならんネタを横井とキャッチボールしなきゃならんのか。
俺が切なさを噛み締めながら天井を見上げていると、ひとりの女子がこっちに来た。剣道部でクラス委員長の酒井さんである。
「あ、酒井さんだー」
横井がうれしそうな顔で漫画を閉じた。俺は横井の影に隠れた。べつに酒井さんが苦手というわけでなく、俺と茂田と横井三人組の中で女子との外交をつかさどっているのが横井なので手を引いたまでだ。たまには活躍させてやらないとな。
酒井さんは「うぃっすー」と男子みたいな挨拶をして、俺たちのそばの椅子に座った。
「ねえ、もう聞いた? 沢村が通り魔に襲われたって?」
「聞いた聞いた。こぶ作ったんでしょこぶ」
「そうそう、こぶこぶ」
酒井さんと横井は幸せそうに自分の額を撫でてこぶこぶ言っている。なんだこの空間?
「そんでね、天ヶ峰がね、今日お見舞いにいこうかって話してるんだけど、横やんとゴトーくんも一緒にいかない?」
「えっ……て、天ヶ峰さんもいくの? あーはっは……」
横井の顔が引きつっている。気持ちは痛いほどわかる。
天ヶ峰美里。
この名前を知らない西高生はいないだろう。
今でこそ手芸部になど入って人間ヅラしているが、昔はここいら一帯の小学生ギャングのボスだった女である。シマシマのTシャツに野球帽を被った子供を見たら通報するのが常識だった時代だ。なぜシマシマのTシャツをギャング団のメンバーが揃って着ていたかといえば、その模様を見ると目が錯覚して腕のリーチを捉え損ねるからという幕末もびっくりの事情からである。
十二歳以下のギャング団の抗争は三年と一夏続いた。
数え切れないほどの割られたガラスと盗まれた原チャリの上に今日の平和があるのだ。
そしてそういう暗黒時代がこの地柱町にもあったのだという生きたあかしが天ヶ峰美里である。俺も十歳の頃に胸倉を掴まれて吊るし上げられた記憶があるのでできれば会いたくない。沢村の手から出る炎なんかよりもよほど恐ろしい存在である。
だが酒井さんに両手を合わせて頼まれると断りにくいのも事実。一年の頃、財布を忘れた俺に購買の焼きそばパンをおごってくれた酒井さんの天使のような微笑を俺は忘れることがまだできない、
「ね? せっかく天ヶ峰が言い出したことだし、ここはあの子の社会復帰を助けると思って」
「あれだけ見かけ上は普通なのにそんな言い草されてる以上は諦めた方がいいと思うけど……」
よく言った横井。たまには正しいことを言う。
「そこをなんとか! 沢村くんのことも心配だしさ」
「でも沢村だしなあ……」
「ちょっと顔出すだけでいいから。ね? 急に首絞められたりはもうないはずだから」
「うーん……」
「ゴトーくんもさ、だめ?」
酒井さんがうるっとした目で見てくる。くう。これだからそばかす美少女は困る。
横井も折れたらしい。ここで酒井さんとの交友関係にヒビを残すぐらいなら数時間の苦痛は我慢してもいいと決断したのだろう。
「おっけー、じゃあ放課後一緒に 病院いくよ」
「そう? ありがとう、助かったよ! じゃ、またね」
ちょうどよくチャイムが鳴り、酒井さんが席へと戻っていった。戦死者続出の五限がまた始まる。
「ちっ、厄介なことになったぜ。沢村のせいだ」
「まあまあ、酒井さんの平和のためだと思おうぜ」
「むう……」
「それよか、茂田が戻ってきてないな。あいつも道連れにしなきゃ」
俺は無言で携帯を開き、画面を横井に見せてやった。
メールが来ている。差出人は茂田。
『帰ります』
「あんの野郎……!!」
俺は携帯をしまって天を仰いだ。
「茂田と天ヶ峰は因縁の仲だからな。ヘタに近づけると共鳴反応を起こして何もかもが灰燼に帰すかもしれん。これでよかったのだ……」
「いまほど茂田の当身が恋しいと思ったことはないよ……」
同感である。
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