◆3

 こうして迎えた土曜日。学園生の身分である私は、適度な勉強をこなしつつ、頭のどこかで神崎の事を考えてしまっていた。

 何も忘れられない病気。何も忘れられないって、どういう感覚なんだろうな。今だって私は英文の構文がいまいち覚えられないと言うのに。あいつは一回覚えたらはいおしまい、二度と忘れませーん、みたいな感じなんだろう。

「ずるいな」

 ずるいと思った。わざわざ口に出してから、改めて心の中でも思った。そりゃ成績だって良くなるに決まってる。それだけは、羨ましいと素直に思う。

「はあ」

 さっきからこんな調子で、神崎の事を考えているものだから、勉強は捗りやしない。ペンを置いて立ち上がって、すぐ後ろにあるベッドに飛び込んだ。

「……」

 低反発枕に顔面を受け止めて貰い数秒、寝返りを打って蛍光灯から垂れている紐を眺める。その紐にピントを合わせたりぼやかしたりして、ぼーっとし始める。

 これが、所謂自分の世界へ籠もる時の導入剤みたいな役割を果たす。

『好きだから』

 私の世界に飛び込んだ瞬間に偽りの神崎が現れて、言う。病室で言った時と、まったく同じ言い方だった。

「そうかい」

 一目惚れだと、言っていた。そんな事、現実に存在するんだな。恋愛漫画の中だけだと思ってた。神崎は、私と友人を越えた関係になりたかったのだろうか。でも、私がだから、私を眺めるだけに留めていたと。見られているなど意識してなかったし、興味も無かった。全く、こんな私のどこが良かったのやら。それを問えば、神崎なら才女らしい語彙力で答えてくれただろう。

「……」

 私は、どうなんだろうな。好きと言われて悪い気は確かにしなかった。だけれど色恋沙汰には興味が無いおかげで、どうにも分からない。

 脳裏に浮かぶのは、病室での神崎の笑顔だった。何度も浮かんでは、消える。なんだそれ。これじゃあまるで、私も神崎の事が気になってるみたいじゃないか。

 違う。神崎のことなど気になってない。神崎の在り方に、興味を持っているんだ、私は。けれどもそれは、結局神崎の事に興味を持っているのと同義では無いのか。

「ぁー」

 呻いた。神崎のせいで、明らかに私の様子がおかしかった。この調子は、きっちり休日の終わりまで続く事になる。

 そして、火曜日。月曜では無く火曜であるのは、月曜まで神崎が休みだったからである。日曜に処置が終わって記憶が無くなってる筈で、月曜を丸々使ってノートから記憶を引っ張ってきているのだろうと勝手に予想した。

 神崎に会っていない間、私の世界は神崎に侵されてしまっていた。ほんとに、神崎の事ばっかり考えていた。気がついたら休日が終わっていたのだ。どうしてくれたのだと、文句の一つでも言ってやりたい気分だった。自分の所為だけどな。

 そんな事を、自分の机に頬杖を付いて考えていると、クラスが若干のざわめきに包まれた。

「おはよう」

 求めていた、変わらない声。

 神崎の声。教室の扉の方を見れば、待ち兼ねた才女の姿があった。記憶を消したであろう、神崎の姿が。その振る舞いがいつもの自然な物であったかは、私は知らない。しかし、それらを知っている神崎の友人達が、あっという間に神崎を囲む。入院生活への質問やら、持病の事などを矢継早に質問して、神崎は核心を隠した上でひとりひとりに応対している。その光景を横目で見ている感じ、違和感は全く無い、様に見える。

「すげえな」

 器用な奴だ。

 アイツが今、記憶を失っているのだとこの場で叫んだ所で、誰も信じないだろう。そんな事しないけど。

 私だけが神崎の病気を知っている。その事に得体の知らない価値を見出している私がいる。私の世界で、それを確かめたのだ。

「……お」

 ぼーっと神崎たちを眺めていると、その輪から一人二人と離れ、やがて解散した。会話が終わったらしい。

「ふう」

 一息ついた神崎が、自分の席、私の隣の席に近付いて来た。鞄を置いて、席に座る。そこまで見届けた。

 自分の席に座った神崎は、真っ先に私の方を見た。見ている事を隠そうともせず何かを確かめるかの如く、ただ静かに。その視線に、頬杖をついたまま視線で応える。

「……」

 やがて、また。

 病室でのあの笑顔を私に見せた。そして。

「おはよう、

 と。

「……え」

 弥美。紛うこと無き、私の名前だ。

 笑顔で挨拶された。神崎に。それはいい。いや良くねえ。

「弥美? おはよう」

 返事が無い私に、もう一回。やっぱり、聞き間違いでは無い。名前で、呼ばれた。

「おは、よ」

 名前で呼ばれた事で、私は困惑した。だって、神崎。病室では私のことは伊原さん、と。苗字で呼んでいたじゃあないか。それなのに、名前。急に距離を詰めてきたのかと思った。神崎なら、それをやりかねない性格であるのを、私は知っている。

「どうしたの? 元気無いけど、おなかでも痛い?」

「いや。私はいつも通りだ」

「そっか。じゃあ、今日も、屋上で一緒にお昼食べようね」

 だが違った。そうじゃなかった。

 いつも通り、だって?

 そんないつも通りは――私が、神崎と昼食を共にしていたと言う日常は、今までのどこにも存在していないのだ。

 だのに、神崎はそれをいつも通りの事だと宣った。一緒に昼食を摂る事を、組み込まれている日常であるかの様に。

 どうしてそんな事を? 名前呼びの事だってそうだ。他の友人達との会話は、問題無く出来てたじゃないか。何故、私だけそんな。ちゃんとノートに書いて、それを覚えたのか?

 ……あ。

 一つの可能性に行き着いた。記憶の無い神崎は、ノートを頼りに記憶を再構築するしかない。だとすれば、そのノートに、存在しない嘘を書いたらどうなる。その嘘は、神崎に取って真の記憶になる。

 こいつ。嘘を、書いたのか?

 名前を呼ぶくらい、昼食を一緒に食べてるくらい、親しい、みたいな事を。もしかしたら違うのかもしれない。でも、そんな気がしたら、そうであるとしか思えなくなってしまった。

 どうしてそんな真似をした。

 確かに神崎は言っていた。

『学園でも、今日みたいにまたお話出来たら嬉しいな』

 って。それはいい。実際、神崎との会話を望んでいる私は確かにいた。

「っ!」

「わ。弥美、どうしたの?」

 だが、その手段に。そうなる為の手段に。ノートに嘘を書いて、記憶を、関係を、日常を構築した――かも、しれないと言う事に、私は苛立ちを覚えた、らしかった。

 無意識の内に思い切り立ち上がっていた。立ち上がってどうするつもりだったのだろう、そこまではわからない。立ち上がる勢いが強かったらしく、椅子がぶっ倒れて大きな音がした。必然、教室中の注目を集めてしまう。その音と注目で、私は我に返った。

「……失礼」

 それだけ呟いて、倒してしまった椅子を起こし何事も無かったかの様に座り直す。

 クラスはまた、元のざわめきを取り戻して行った。

「ほんとに大丈夫、弥美? なんか様子が変だけど」

 私もお前に同じ事を思ってる。それが、私にしか理解出来ないのが歯痒くて仕方無かった。

「ああ。すまなかった」

 そんな感情をなるべく表情に出さず、声に乗せないよう努めた。

「それで、昼飯の話だったか」

「うん」

「……分かった。、食べようじゃないか」

 さっきは思い至らなかったが、もしかしたら神崎は事情を知っている私と腰を据えて話す口実を作る為に嘘をついたのかもしれない。だから、今は。その可能性を信じて神崎の作った偽りの日常に乗る事にした。

「うん。それじゃあ――」

 その返事と共に、授業の始まりを告げるチャイムが鳴って会話は打ち切られた。

 ――授業は、当然集中出来る筈も無かった。いや、いつも集中しているかと言うとそうではないけれど。隣の席に座っている神崎の事が気になって仕方なかった。

『伊原さん』

『弥美』

『好きだから』

『いつも通り、一緒にお昼』

 こんな風に、うるさかった。

 私の世界に勝手に現れる神崎が、勝手な事を呟いては消えて、また現れて何かを言う。そんな無限ループ。神聖な私の世界を乱さないで欲しかった。

 神崎の事を考えなければ良いだけの話なのだが。考えないようにすればするほど逆効果だった。このモヤモヤを解消するには、昼休みを待つしかなかった。

 そんな訳で、待望の昼休み。神崎に連れられて弁当を持って、学園の屋上に来ていた。

「んんーっ」

「……はあ」

 外の冷たくも新鮮な空気を肺に取り込んで伸びをする神崎の傍らで、私は溜息を吐く。

「すごい溜息」

「誰の所為だと思ってるんだ」

「まるでわたしの所為と言いたげだね?」

「その通りだ」

 あははと、神崎が笑う。

「まあ、積もる話はお昼ご飯を食べながらしようよ」

「それは構わないが。……本題の前に、一つ聞いてもいいか」

「なに?」

「どうして封鎖されている屋上の鍵を、神崎が持っていたんだ」

 漫画やアニメの中であれば、屋上は開放されていて、生徒達がそこで団欒の時間を過ごすスポットになりがちだがこの学園は、きっちり鍵が掛けられていた。

 この学園に屋上があるのは知っていたけれど、鍵が掛かっている事は知らなかった。そもそもこの二年間、そこに出ようと思った事は無いわけで。知らなくても生きてこれたのだ。

「わたし、生徒会所属だから」

「え」

「知らなかった?」

「知らなかった」

 生徒会の人間だったのか、神崎。私がこれ程に周りを興味を持っていないのがバレてしまう。

「そうなのか――いや、そうだったところで、微妙に答えになってなくないか」

「生徒会の雑用担当なんだよ、私。だから学園の合鍵を預かってるの」

「……なるほど?」

 それはそれで、生徒に屋上の合鍵を渡していいものなのかという話になる気がするけど。よく分からんな。どうでもいいか。

「弥美。こっち」

 置かれていたベンチに先に座った神崎に手招きされる。隣に座れと言うことらしい。

 昼食を食べる準備を進める神崎と並んで、私も弁当箱の包みを解いた。

「いただきます」

「……いただきます」

 程なくして、食べ始める。外の景色を観ながら、おまけに誰かと昼食を食べるのは学園生活の中で初めての経験なんじゃないだろうか。

「――神崎」

「もご」

 一口だけ食べてから、早速私の疑問を問い質すことにした。神崎はまだ、何かを咀嚼しながらこっちを向く。

「口に物入れたまま喋るな」

「よんいてれはりふゃない!?」

「すまん」

 思わず質問の前に説教を入れてしまった。

「――ん。玉子焼きおいし。それで何、弥美?」

 気を取り直して。

「……入院生活は、どうだった」

「どうだったって、お見舞いに来てくれたでしょう?」

「そうだけど。……記憶を消す処置は、問題無く終わったんだな」

「この通り」

 神崎はドヤ顔でポーズを取った。そんなマッスルポーズみたいな事されても頭の中の調子は伝わらないが。

「記憶の再形成も、上手くいったと」

「うん。友達との会話もバッチリだったよ」

 確かに、傍から見ていても見事だった。神崎にしか出来ない芸当だと思う。

「それにしても、流石わたしの一番の親友なだけあるね、弥美。わたしの心配を、すごくしてくれて――」

「違う」

 どうやって話の本題へ導線を引くか悩んでいた所で、神崎はそれに近い話題を出してくれた。いつだかされたみたいに、神崎の言葉を遮る。

「え?」

「私は、お前の親友なんかじゃない」

「――」

 淡々と告げた。

「病室に行くまで、神崎とはまともに会話をしたことの無いただのクラスメイトだった。当然、こんな風に屋上で一緒に飯を食ったことなんて、一度も」

「……またまたあ。冗談が下手だなあ弥美は。そんなことがあるわけが」

「ある。いつも屋上で一緒に飯を食べているのなら、屋上の鍵の事情を今更神崎に確認するまでも無いはずじゃないか?」

「……あ」

 神崎の箸が止まる。

「それに、一番の親友と称してくれる人物の事を、生徒会所属だと知らないのも何だか不自然だ。違うか?」

 自分の言葉を、反論の根拠材料にするのはちょっと変な感じがするけれど。これしか根拠が無い。

「で、でも。ノートには弥美がわたしの一番の親友だって書いてあって――」

 そこまで聞いて、確信に至る。やっぱり。

 その発言をした神崎自身も気付いた様だった。表情がみるみる内に曇っていく。

「……わたし、ノートに嘘の記憶を書いていたの?」

「その説が濃厚だ」

 神崎の記憶は、ノートに書いてあることが全てなのだ。だからそこに書いてある事は、どうしたって正しい物だと信じるしか無い。そこに嘘が書いてあったとしても、それを真として覚えるしか無い。

「私の事、なんて書いてあったか、聞いてもいいか」

「え、と。『伊原弥美。弥美は私の大切な親友で、病気である事を唯一打ち明けられた友達。記憶を消した後の学園生活で力になってくれる人です』って、書いてあった」

 これも、きっちり自分のノートから一言一句相違無く引用したのだろう。でも。

「……それだけか?」

 私が抱いた感想はそれだった。だって、神崎は。私のことが好きだって言ったのだ。それを書くって、言ったのだ。

 なのに、一切の記述が無いのは不自然でしか無い。

「読めたのは、それだけだったよ」

「読めたのは?」

「うん……なんか、端の方にもうちょっと弥美の事が書いてあるように見えたんだけど……読めないように丁寧に丁寧に塗りつぶしされてて……『弥美は、私の――――なんとかかんとか』みたいな感じ」

 その塗り潰しはおそらく、好きな人、とかそんな事が書いてあったのだろうと、変な確信があった。

「……私の事だけをまとめたノートとかは無かったか?」

「え。そんなノートは無かったよ。天に誓う」

「そうか」

 静かに空を仰ぐ。それから息を吐いて。

 記憶を消す前の神崎は。私に対する恋愛感情の記憶を消し去って、親友としての記憶を捏造した。おそらく、これが私を名前呼びに至る答えなのだろう。

「どうしてそんな事をしたんだ……」

 小さく呟いた。

 その答えを知る神崎は、もういない。

「――あの、弥美」

「なんだ?」

「一つ疑問があるの。今の話が正しかったとして。だとしたら、どうしてわたし、親友でも友人でも無い弥美に病気の事を教えたりしたのかな」

「――」

 今度は、私が黙る番だった。その答えを、私は知っている。好きな人である私の興味を、惹く為。神崎本人が言っていたのだから間違い無い。

「……」

 それを教えなきゃいけないのか。私の口から。とんだ羞恥プレイだ。無いとは思うけれど、そこまで見越していたのだとしたらとんでもない奴だ。

「神崎」

「う、はい」

 すっかり萎縮してしまっている。それはそれで調子が狂ってしまう。

「お前が私に病気のことを教えた理由を、私は知ってる」

「――ほんとに?」

「本当だ。笑わないで聞いて欲しい」

「教えて。こんな状況になっちゃったら、他に信じられるものが無いもの」

「……わかった」

 万が一、その差し伸べた手を取らないでくれる事を祈ってしまったけれど。そんな事は無く。

 私は小さく息を吐いて神崎に向き直った。

「記憶を消す前の神崎は、私の事が好きだったんだ」

「え――」

「私の事が好きだったんだ。記憶を消す前の神崎は」

「なんで倒置法で言い直したの!?」

「なんとなく」

 なんか似たやりとりしたよな。倒置法は覚えたのか。

「って。え。嘘。わたしが弥美の事を好き……って?」

「そうだ。病室で滅茶苦茶言われた。それまで会話の一つ無かったのに、友人同士のする様な会話の中で何回も」

「……」

 神崎は見たことのない表情になっていた。驚愕している、というよりは引いているような、そんな微妙な顔。

「なんでわたし、そんな真似を……」

「私が聞きてえ」

「……冗談とかじゃないよね?」

「そんな冗談言うメリットがねえよ」

 数分ぶりに、弁当へと箸を伸ばす。低めの気温で、白米はすっかり冷たくなってしまっていた。

「親友だと思ってた人が、親友じゃなかった上に、わたしの好きだった人……? 弥美が……?」

「そういうこった」

「ごめん、正直信じがたいんだけど……そんな大切な事、なんでノートに書かなかったんだろう……」

「書くとは言っていた。だけど、そのノートが無い理由が私には分からねえ」

 さっきも言ったが。神崎をそうした理由は、今の神崎は覚えていない。いとも簡単に、迷宮入り事件を作り出されてしまった。

「わたし、弥美とどう接すればいいの……?」

「……」

 二人して、静かに弁当を食べる。そして考える。

 私と神崎が友人同士で無かった、今までの関係に戻ることは容易い。ここで私が神崎を突き放せば良いだけなのだ。

 けど、けれど。

 そんな事が出来るか。

 だって、私は神崎に魅せられたのだ。あの日、神崎の病気を知り、好きだと言われ、自分の世界に神崎が現れるくらい意識をさせられて。無関心を貫き通せるほど、私は神崎ほど頭が良いわけではない。

「……神崎」

 私達の関係をそれなりな物にどうにか落ち着ける選択肢なんてものは直ぐに思いつかないけれど。ここで停滞して、悲しんでいる神崎の顔を見てはいられなかった。

「今から私、理不尽な事を言う」

「理不尽な、事……?」

「そうだ。今の神崎には理解する術が無いだろうけど、しなくていい。でも、私の想いを聞いてくれ」

「……わかった」

 身構える神崎に、私も覚悟を決める。

 箸を止めて、半分以上残っている弁当箱の蓋を閉めた。

 そして。

「――ふざけるなよ」

 努めて静かに怒りを込めて呟いた。

「……え?」

 当然、神崎は困惑している。気にせず続ける。

「お前は本当に身勝手な奴だ。人の事を勝手に好きになって、勝手にノートに書いて、私は何もしてないのに好感度が上がり続けていて、頭の良さを利用して記憶を消す直前に私に好きだって伝えて。私の世界には勝手に現れるし、挙句の果てには、勝手に私を親友に仕立て上げて、忘れてしまった」

「……。ごめん、って言えば良いのかな」

「最後まで聞いてくれ。頼む」

 今、胸の中で変な感情が渦巻いて、テンションがおかしいことになっている。誰かに怒りをぶち撒ける様な事を、今までしたことが無くて、罪悪感を覚えているのも間違いない。だけど、ここで止まっては駄目だ。

「何が許せないって、私の興味をここまで惹いた奴が、もう私に興味を持ってないだなんて、そんな事が許せるか。親友程度にしか思われていない事が、許せない」

 好きだと想われる事は、悪くなかった。

 けれど、もう好きじゃないとなると。途端に腹がたった。余りにも身勝手だと自分でも思う。

「だから。……神崎」

「へ……? 弥美……?」

 隣に座っている神崎の左手首を掴む。細いな神崎の手。

 ――言え。そのまま言え、伊原弥美。

「好きだ」

「……っ」

 言った。言えた。言ってやった。心臓が痛い。だが、言えたのであれば、私の中にはそういった感情が生きていると言うことだった。

「返事はしなくていい。聞きたくねえ。今のは、記憶を消す前の神崎に向けた言葉だ」

 なんだか急にヘタれている気がしないでも無い。

「――そして、今から言うのは、今の神崎に向けた心からの本音だ」

「……うん」

「私を好きになった神崎が、私の好きな前の神崎が、私を親友だと言うのなら。私はそれに応えてやりたい。って、思った。思えた」

 だから。

「だから、

「!」

「私達。まずは本当の友達から。始めないか」

 優里香の顔を見て、告げた。顔が熱い。どんな顔になっているんだろう、私。

「……え、と」

 優里香の、困った様な声。無理もない。

 あまりにも脈略が無いと自分でも思うし。だけど。

「――うん。よろしくね、弥美」

 私の提案に、優里香は静かに頷いてくれた。

「……ああ」

 ――こうした数日を経て。学園一の天才である神崎優里香。彼女が、私の友達になった。

 今日の事を、私はそれしか覚えていなかった。

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