昔から恋愛が駄目だった。より具体的に言えば、自分にそういう感情を向けられたり、そういう行為を見たりするのが苦手だった。

 今でこそ訓練の成果によって恋愛ものの映画や漫画を見ることはできるけど、現実となるとそうもいかない。町屋に手を握られた時や告白された時はまだ耐えられたけど、流石にあれは駄目だ。直接的過ぎる。

 とはいえ、俺も最初から自分がそうだとわかっていたわけじゃない。恋愛に興味はなかったし、両親含め身近に仲の良いカップルはいない。誰かと付き合った経験もなく、物語を楽しむたちでもなかった。

 だから、そうだと自覚したのは、あの時。


「えー! 真木と瑠香って付き合ってないの? なんで?」

 中学時代、俺と瑠香は同じ仲良しグループに属していた。休み時間、なんでもない会話の中で恋愛の話になり、グループの女子がそう言った。

「なんでとか言われても。付き合ってないものは付き合ってない」

「マジで言ってる? 男女でそんな距離近いの変でしょ」

「お前はどうなんだよ」

「私もまあ仲良い男子はいるけどさあ、真木と瑠香は別格じゃん? だってずっと一緒にいるし、二人だけの空気的な? そんなんもあるし」

 他の友人たちからも冷やかされてようやく、俺は、俺たちの関係が周りからそんな風に見えているのだと気付いた。ずっと一緒に居続けていたせいで俺は瑠香を妹みたいに思っていたから、そういう発想にならなかったのだ。

 正直な話、そうやってカップルだと冷やかされた時、俺は困惑するだけだった。けれど瑠香の方を見て彼女はそうではないのだとわかった。些細な表情の変化だったけど、彼女はまんざらでもなさそうだったのだ。

 俺と付き合ってると騒ぎ立てられて悪くなさそうな顔をしている。それが何を表すのかは明白だ。

 だから俺はその日の帰り道、瑠香に告白をした。作法なんてわからなかったから、『付き合うか?』という適当なセリフで。

 そんな言葉でも瑠香は顔を赤らめて頷いたから、俺はそれで満足した。彼女が嬉しそうだと俺も嬉しかったから。付き合ったところで何が変わるわけでもないと、本気でそう思っていたから。

 実際、付き合い始めても俺たちの関係はそう変わらなかった。そもそも四六時中一緒にいるのだ。二人で出かけたり互いの部屋に行ったりするなんて日常茶飯事で、特別なことでもなんでもなかった。何かをプレゼントするのだって、好きだとかそんな言葉を吐くのだって、俺たちの間でそれが特別になることは決してない。

 だから瑠香はそれを不満がった。それで、幼馴染でも友達でもなく、恋人しかしない特別なことをしたがった。


「ねえ、正ちゃん」

 その時のことはあまり記憶にない。確か、俺の部屋で、だったと思う。いつも通り瑠香は俺のベッドに寝転がっていて、俺はベッドにもたれかかってゲームをしていて。ふと、俺の肩のところから瑠香が顔を出して、耳元に囁いて。

「恋人っぽいことしようよ」


 聞いたことない声が聞こえて。

 視界が、瑠香の顔で埋まって。

 女子特有の、甘い匂いがして。

 唇に、違和感を、感じて。

 ────それで。


 あとは町屋の時と同じだ。気付くと意識はなかったし、俺の部屋のカーペットは洗濯されていた。瑠香はなんだか微妙な顔でこちらを見ていて、苦笑いした後『別れよっか』と言った。それきり、恋人になり損ねた俺たちは、ただの幼馴染でいる。

 原因と呼べる出来事には一応心当たりがあった。俺は小学生の頃に一度、知り合いの女性に迫られたことがあるのだ。

 ふた回りも歳上だった彼女は俺のことが好きだとのたまい、挙句キスまでした。何かされたのはその一度きりだったけど、あの時の彼女の顔は今でもすぐに思い出せる。あれ以上に恐ろしい表情を、俺は今まで見たことがない。

 とはいえ、俺はそれをトラウマとまでは思っていなかった。その人は普段はとてもいい人だったし、俺に優しかったからだ。そもそもその時されたことが当時の俺に完全に理解できるはずがなく、記憶が曖昧なこともあって、俺の中でその出来事は真夏に見るホラー映画みたいなものだった。どうしてかわからないけど、なんとなく怖かっただけの思い出だ。

 だから瑠香の前で吐いた時、最初は全然理由がわからなかった。けれどこちらに迫る瑠香の目があの人に似ていたと気付いて、全てを理解する。

 当時わからなかったその行為にも、成長すれば当然理解が及ぶ。明確な形を伴った好意が、いつの間にか俺の中では大きな恐怖となっていた。あの時あの人に感じた恐怖を、俺は瑠香にも同じように。

 町屋も同じような目をしていたから、恋する人は、皆ああなってしまうということなのかもしれない。こちらを焼き殺しそうな熱量を、瞳の中に飼っている。

 瑠香を近くに感じた時も、町屋との観覧車での時も、そんなはずないのに一度嗅いだだけのキツい香水の匂いがした。きっと俺は一生、あの目を見るたびにその匂いを思い出してしまう。

 そうして俺には恋愛が駄目なのだと思い至った。恋人同士が当たり前にすることを、俺の体は受け入れてくれない。よくそんな状態で町屋と付き合うなんて考えられたものだ。浅はかにもほどがある。

 特別なことが何もない恋人同士なんて、そんなの友達と同じだ。だから、俺と瑠香は恋人ではいられない。恋人しかできないことを、俺は瑠香にしてやれない。

 そして恋人でいなければ、瑠香の一番でいることは許されない。これまでは良かったけど、これから瑠香には別の大切な誰かができてそいつと付き合って、家族になるからだ。

 そんなの耐えきれない。耐えきれないから俺も別の誰かをと思ったのに、やっぱり無理だった。俺は瑠香のことを愛している。きっとこの先ずっと、瑠香より大事な人はできない。

 じゃあ、俺はどうすればいいんだろう。どうすれば、瑠香と一緒にいることを諦められるんだ?

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