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それからの日々は平凡なものだった。人間が慣れる生き物というのは本当のようで、俺はもうすっかり瑠香と関わりのない日常に慣れてしまっていた。登校は一人でして、昼休みと放課後は友人と過ごす。思えば思うほどそれは大した変化じゃなかった。当たり前だけど、俺は瑠香がいなくたって呼吸ができる。瑠香は酸素じゃなくてただの人間なんだから。
放課後のことだった。
「真木って、その……今週の日曜日とか、暇だったりする?」
わかりやすいな、と思った。自分から声をかけてきたのに俺に目線を向けない町屋は、俺でもわかるくらい下心に塗れている。
そういえば瑠香の場合、告白はどちらからだったのだろう。もし瑠香が告白された側だったとしたら、その時、ちょっとは俺のことを考えたりしたのだろうか。
「……ああ、暇だけど」
「お、町屋もしかしてデートのお誘い!?」
村田が楽しそうな顔をして声をかけてきた。町屋が顔を赤くする。
「ち、違うってば!」
「またまたー」
「はいはい村田、モテない僻みはそのくらいにして帰るぞー」
「あ、おい赤城、引っ張るなって!」
「正平、先行ってるな」
「あ、ああ……」
赤城が村田を引っ張って教室を出て行く。もじもじしていた町屋が咳払いをした。
「あのね、実は、映画のチケットが一枚余ってて……良かったら、一緒に観に行かない?」
そう言って控えめに笑う町屋のことを可愛いと思う。でも同時に、瑠香の方がもっと可愛いと思ってしまって自己嫌悪した。ろくに話していなくたって、俺の頭の中はほとんど瑠香で占められている。
だから罪滅ぼしとして、俺は頷いた。町屋の顔が晴れる。
「じゃあ、詳しくは後で連絡するから! またね、真木」
足早に去って行く町屋に手を振る。教室の外から『頑張ったね』とか『良かったね』なんて言葉が聞こえてきた。それで彼女のその誘いが、計画されたものだとよく理解する。
瑠香以外の女子と二人で遊びに行くのは初めてだった。これまではずっと瑠香と付き合っていると勘違いされて、そういう風に誘われたことがなかったから。
これまでは別にそれでいいと思っていた。だって、瑠香と一緒にいる以上に楽しいことがあるはずがない。
でも俺はもう瑠香といられない。なら俺も、他にそういう相手を作るべきなのかもしれない。そうやって大人になっていくのだ。
* * *
待ち合わせ場所に来た町屋は可愛かった。町屋は強気で誰に対しても物怖じしないタイプだから、こういう可愛い服を着ているのを見ると、ああ女子なんだなと思う。並んで歩いていれば、俺たちは誰がどう見たってカップルに見えるに違いない。瑠香と並んでいる時は兄妹に間違われることがほとんどなのに。
そこで、また無意識に瑠香のことを考えていると気付いた。駄目だ。今は、町屋といるんだから。
「真木はポップコーン買う?」
「あー……どうしようかな」
「私食べたいから、半分こする?」
「いいのか?」
「うん、もちろん」
町屋は優しいし気が利く。会話を途切らせないよう注意しているみたいだし、こちらが不快になるような物言いをしない。映画に誘ってきた時のような下心を今日は上手く隠しているらしく、わざとらしい雰囲気もない。率直に言って好感が持てる。
観に行った映画は、お誂え向きの恋愛ものだった。男女二人が出会って、紆余曲折ありながら結ばれるまでの話らしい。本当は同時に上映していたアクション映画が観たかったのだけど、町屋が誘ってくれたのだから仕方がない。
瑠香とだったら、迷わずそっちを選べたのに。
劇場内に入り、席に座って映画が始まるのを待つ。楽しみだねと笑う町屋に曖昧な返事をしていると、劇場内が暗くなった。
映画が始まる。二時間弱で終わる、幸せな夢物語が。
映画の途中、横に座っている町屋の顔をこっそり窺うと、町屋もこちらに気付いたらしく微笑みかけられた。彼女の目線はすぐ映画に戻ったけれど、恐る恐るといった風にこちらに手が伸びてきた。そのまま彼女の手が俺の手と重なる。
映画の中ではヒロインと男が手を繋いでデートしているところだった。町屋は、それと自分の状況を重ね合わせているのだろう。震える手から彼女の緊張が伝わってくる。
でも、それに比例するように俺の心は冷えていった。どうして俺は、こんなところで観たくもない映画を観ているんだっけ。ああ、そうだ、大人になるためにだ。でも、大人になって俺はどうしたいんだっけ?
そんなことを考えているうちに映画が終わり、エンドロールが流れ始める。町屋と俺の手は繋がれたままで、劇場内が明るくなってようやく解放された。先ほどまで感じていた熱を惜しく思わないのがなんだか不思議だった。
「面白かったね! 特に最後のシーン……雪の降る街の中でキスなんて、すごくロマンチックじゃない?」
映画館を出ると、外はもう暗くなりかけていた。映画の感想を語る町屋に相槌を打ちながら駅の方へ向かう。
「……真木は、映画、面白くなかった?」
「え?」
町屋の顔が陰る。突然立ち止まった彼女より少し進んだところで止まり、振り向いた。
街灯の光に照らされた町屋の姿が映画の中のヒロインと重なる。ふと、ここまで含めて全部、町屋の計算通りなのだろうと思った。二人で出かけて、恋愛映画を見て、相手のことをそういう風に意識させて、それで。
でもまあ、そんなものなのだろう。彼女は俺のことが好きなのだから、そういう計算をするのは当たり前だ。
「……映画終わってから、ずっと暗い顔してるから」
「そんなことない。映画は、面白かったよ。感動した」
「そっか。それならいいんだ」
そこで突き詰めて詮索してこないところが町屋の美徳だ。実際のところ、俺はあの映画を面白いと思っていなかったわけだし、安堵する。寝るほどではなかったけど、昔から恋愛ものは共感できなくていけない。これ以上ないくらいのハッピーエンドは、どうにも現実的じゃないように思えて仕方なかった。せめて観たかった方のアクション映画だったらもう少し話を弾ませられたのだけど。
「これから、どうする? もう帰る?」
「あー……なんか食べてく?」
求めているであろう言葉をあげれば、町屋は完璧な笑顔を浮かべた。なんだか騙しているような気がしてうしろめたくなったけど、でも、これで正解のはずだ。
俺は男で、町屋は瑠香と同じ女で。それで俺たちは高校生で、青春するような年で、将来を見据えるような歳だ。
それなら、町屋とこうすることが不正解のはずがない。
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