俺こと真木まき正平しょうへいと三橋瑠香は幼馴染だ。家が隣な上に親同士の交流もあり、それこそ赤子の頃からの付き合いである。

 昔から抜けたところのある瑠香の面倒を見ていたせいで、同い年だけど俺は瑠香のことを妹のように思っていた。互いの家で遊んだりどこかに出かけたりすることも多く、本当の兄妹よりもよっぽど仲が良い。俺は世界の誰より瑠香のことが大事で、瑠香もそうなのだろうと信じて疑っていなかった。

 でも、瑠香に彼氏ができたあの日から、俺たちはろくに話もしていない。


「正平、何見てんの?」

 昼休みの教室内で、俺は窓の外を見ていた。声をかけられて振り向くと、すぐ後ろに友人の赤城がいる。説明するのが億劫で、俺は顎で窓の外を指し示した。

「どれどれ……お、瑠香ちゃんじゃん。隣にいる男誰?」

「彼氏」

「彼氏!? え、瑠香ちゃん彼氏できたの? マジ?」

「マジ」

「だから正平落ち込んでんのか。瑠香ちゃんが取られちゃったって」

「なになに、何の話?」

 赤城と話しているところへ村田が割り込んできた。赤城が事情説明するのを横目に、窓の外へと視線を戻す。

 瑠香の彼氏とやらは俺の知らない男だった。別のクラスの、瑠香と同じ手芸部の奴らしい。こんなことになるんなら、興味がないからといって手芸部に入るのを躊躇するんじゃなかった。

「へー、瑠香ちゃんに彼氏か……つーか正平と瑠香ちゃんって付き合ってなかったの? 登下校の時とか昼休みとかいつも一緒にいるから、とっくにできてるもんだと」

「……付き合ってない」

「ふーん……そんで彼氏に取られて、今日は一人寂しく教室で飯ってわけか」

「独り身は辛いな。ほら、可哀想な正平君にジュース奢ってやんよ」

 そう言って赤城が俺の机にパックのオレンジジュースを置いた。少し迷ったけど、ありがたくいただくことにする。

「俺も彼女欲しいなあ……どうやったらできんの?」

「村田には無理だろ。世の中イケメンに優しくできてんだよ」

「ひでえ! 俺まあまあイケてるだろ」

「六十五点」

「ひど! ……くもないな? 及第点じゃね?」

「でも正平は九十点だからな」

「うーわ、これだからイケメンは」

 じとっとした目で見てくる村田に苦笑いを返す。顔の良さが人生で役立ったことなんて一度もない。

「でもこいつ、瑠香ちゃんにしか興味ないからな」

「そうだったわ。つか、マジで付き合ってなかったの? そういう雰囲気だったじゃん」

「どんな雰囲気だよ」

「互いが大好き! みたいな?」

「なんだそれ。ただの幼馴染だよ」

「でも実際、正平って瑠香ちゃん以外女っ気ないもんな。興味ねえの、彼女とか」

「……別に。要らないだろ」

「いやいや要るだろ! 俺たちもう高二になっちゃったんだぞ。今のうちにめいいっぱい楽しまなきゃ駄目なんだよ!」

「村田、うざい。引くわ」

「事実だろー!」

 オレンジジュースを飲みながら瑠香とその彼氏を眺める。何を話しているかはわからないが、雰囲気は良好なようだった。

 瑠香が自分以外の男と話しているのが慣れなくて、不思議な気分になる。これまでずっと、登下校を一緒にするのも、昼休みに中庭で弁当を一緒に食べるのも、瑠香の身の回りのことは全部俺の役目だったはずなのに。それが別の誰かになるっていうのは、突然足場が崩れたみたいで恐ろしい。これからそんな日々が続いていくのかと思うと焦りは止まらなかった。

 でも、瑠香は一度決めると頑固なのだ。彼女がそうするのだと決めたなら俺が何を言っても無駄だ。そもそも俺はただの幼馴染なのだからどうこう言う権利はない。兄妹のように仲が良くたって、所詮血の繋がりのない他人同士だ。

 でも、他人同士っていうなら、瑠香とあの彼氏もそうだろう。あんな出会ってすぐの男の方が、十七年も一緒にいた俺よりも大事で、優先しなければならないものなのか? たかだか『彼氏』ってラベルがあるだけで?

「なあ……」

「どした?」

「恋人がいたら、他の異性と遊ぶのって駄目なのか?」

 問いかけられた二人は、どうしてだか目を丸くした。その顔の意味がわからなかったので首を傾げる。

「いやあ……それは、なあ?」

「恋人できたことないからわかんねえけど、まあ普通駄目だろ。特に女子ってそういうの嫌がんじゃん」

「村田に女心がわかるのか?」

「そのくらいわかるわ! ……あー、他にも誰かいるならセーフじゃね? 二人きりはアウト」

「アウト……」

「……ま、瑠香ちゃんとこれまでみたいに一緒にいんのは駄目だろうな。お前ら距離近いし」

 駄目、という言葉を口の中で繰り返す。駄目って、どうして駄目なんだろう。

 別に遊ぶったって何をするわけじゃない。ゲームをしたり話したりするだけで、いかがわしいことなんて何もないのだ。

 それなのに、どうしてそれが否定されなくちゃいけないのかわからない。だってどう考えたって、俺の方が瑠香を大事に想っているのに。

「ただの幼馴染と恋人なら恋人優先ってのは、まあそうだよなー。幼馴染は選べないけど、恋人は選んだもんだし」

「俺の方が瑠香と仲が良いのに?」

「強気だなお前……それはそうかもだけどさあ」

「正平がそう思っててもな。恋人ってそういう契約だろ」

 赤城の言葉が胸に刺さる。確かに、俺と違ってあの彼氏とやらは、互いの合意を持って瑠香と契約を結んでいるのだ。口約束でもあるのとないのじゃわけが違う。

「ま、これも瑠香ちゃん離れする良い機会なんじゃね? 家族でもないのにいつまでも面倒見続けてるわけにもいかないもんなー。もう高校生なんだし」

「……瑠香離れってなんだよ。言っとくけど、二人で一緒にいなくて困るのは俺じゃなくて瑠香の方なんだぞ。あいつ、自分一人じゃ時間割の管理すらできないんだから」

「あー……こりゃ重症だわ」

 赤城が苦笑いする。でもそれは事実だ。流石に生活に踏み込んだ世話まではしてないけど、学校関連のこともプライベートのことも、その他悩みに関しても、俺は瑠香のためになんでもしてやっている。

 だから、瑠香は俺がいないと駄目なはずなのに。

「そんなにぐちぐち言うなら早く付き合っちゃえば良かったのに。そういう雰囲気になったことくらいあるだろ?」

「…………ない」

 村田の言葉に、懐かしい景色がふと蘇った。俺は俯いて、小さく答える。心臓の音がうるさい。声は震えていなかっただろうか。

「ん? 中学の時、ちょっとだけ付き合ってなかったか?」

 赤城が思い出したように言う。余計なことを覚えている奴だ。

「そういや赤城と正平って中学同じとこだっけ。正平、どうなんだよそこんとこ」

「……付き合ってねーよ。赤城の記憶違いだろ」

「……ま、お前が言うならそうか」

「なんだよつまんねーなー」

 村田があっさり引き下がってくれて安堵する。二人に気付かれないように、胸に手を当てた。早く静まれ。

「つーかマジでいいなあ! 瑠香ちゃん可愛いしさ、俺もああいう彼女ほしー……」

「は? お前まさか瑠香狙ってんのか? 喧嘩なら買うぞ」

「いやいや言葉の綾だって。ちょ、そんな怒んなって正平。赤城助けて!」

「心配しなくても、村田なんて瑠香ちゃんに見向きもされないだろ」

「……それもそうか」

「ひでえ!」

 あの彼氏よりは村田の方が幾分かマシに思える。そうだとしても、俺は絶対にそんなの許せないけど。

 どうしても許せない。許しがたい。俺を突き放す瑠香のことも、その状況を作る彼氏の存在も。

 だけど俺はそれを止めることができない。俺にそんな権利はない。

 俺は瑠香の幼馴染だし、誰よりも瑠香を大切に想っている自信がある。でも、それだけだ。目に見えない想いなんかより、口約束の恋人契約の方がよほど信頼できる。血が繋がってなくて恋人でもない俺たちは、いつでも関係を断ち切れる。

 それが、泣きそうなくらい辛い。これまで自覚していなかっただけに余計に。

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