第10話
凌は、世話好きな方だと自分では思っている。
昔救いだした甥っ子を皮切りに、血の繋がりのない兄たちの子供たちを気にかけ、その子供たちのそのまた子供たちも、可能ならば見つけ出して目をかけていたつもり、だった。
今後どうなるか分からない遊戯施設へと戻っていく、自分の子供と甥っ子の孫を見送った凌は、手近な建物で楽な姿に戻って着替えた後、警察関係者とやり取りする甥っ子の一人を一瞥し、一休みしていた男を振り返った。
四人いる甥っ子姪っ子の一人の、何人目かの息子であるその男は、凌と目を合わせて笑顔を見せる。
「被害がこれ以上大きくならなくて、何よりだった。叔父貴、助かった」
「そうか。まあ、役に立ったのなら良かった」
微笑み返した大叔父の顔は、僅かに陰っていた。
それに気づいて狼狽え、セキレイは顔を覗きこむ。
「どうしたんだ? そういや、夜勤明けから、働かせちまってた。すまない」
「それは、気にするな。体だけは頑丈なんだ、オレは」
知っているが、ガタイもいいのに色白のせいか、妙に憂いのある顔は、整っている分やつれて、弱々しく見える。
そんな様子の大叔父は珍しく、心配してしまったセキレイは、油断してしまった。
「お前、うちの子に、随分嫌われてるようだな」
「ああ、そうなんだ……」
つい答えてから、我に返った。
「嫌われるほど、永い付き合いなのか?」
「いや……数度会った事がある位で、そこまで永くも深くも……」
「おや」
慌てて答えた男に、聞くともなしに聞いていたロンが、目を見張った。
「あなた、あの子を知っていたんですか?」
何故かあわあわとしている男を見つめ、見張っていた目を細め、ロンは慎重に問いを重ねる。
「いつ、知り合ったんですか? まさか、一時期増えていた、前の稼業時の、出し抜きの内の一件、あなたの仕業じゃあ、ないですよね?」
何でここまで、的確に当てにくるのか。
セキレイは思わず慄いて、体を反らしてしまった。
「……」
一方ロンは、その分かりやすさに呆れ、溜息を吐く。
「そう言えばあの一件は、薬を用いた犯行が疑われていましたね。あの時の頭にも会っていたんですね?」
「あ、ああ」
責める口調でもなく、ゆっくりと尋ねる男の意図が分からず、セキレイは正直に答えると、ロンは凌を振り返った。
「我々は当時、カ社長と敵対する形になっていましたので、話し辛かったんでしょう。あの時あの子は、足を洗って群れを離れていましたが、偶然近くにいたのでこの人と会う事も、あったかもしれません」
「……お前が、柄にもない事を、やっていた時期か?」
凌が思い出しつつも呟くと、ロンの意図をようやく察したセキレイも、大きく頷いた。
「ああ。あの時は、周囲のあらゆる菌を取り込む体質が、抑えきれなかったからな。そのせいで、知らず他の奴には障る薬を作り出して、垂れ流していたらしい」
周りの部下や姉は慣れたものだったが、セイは近づきたくもないと遠ざかったと、その時のショックを思い出しながら男は語った。
薬にそこまで弱いのかと、少し心配している凌の様子を見ながら、甥っ子と甥っ子の息子は、同時に安堵の溜息を吐いた。
ロンはセイを保護していたつもりだったが、思い返すとその想いが裏目に出て、無理強いしていた自覚があり、この話題は後ろめたいばかりだし、セキレイに至っては、出会いから後ろめたい上に、嫌われることを覚悟で、拉致して群れから引き離そうとしたこともあったから、余り深くこの話を掘り下げて欲しくない。
そんな様子を、黙ったまま白い目で見守っていた男がいる。
珍しい目で二人を見る葵に、すぐ傍にいる藤原夫妻を気にかけながら、瑪瑙はそっと声をかけた。
「そろそろ、帰るか? 捜索の邪魔になるだろ?」
「あ、ああ。ここはオレの管轄でもねえし。ここの警察に任せても、大丈夫だろ」
「その前に、あの人たちの迎えを呼ばないとな……」
狐と鬼の夫婦は、一人ずつなら何とか対処できるが、二人揃うと迫力がある。
下手な事を言って攻撃されたら、戦いなれていない自分達では、上手く対処できない。
自分の家で迎えを待たせるのも冗談ではないので、葵はすぐに迎えに来てくれるはずの人に連絡を取ることにした。
藤原夫妻を促し、二人は入退門へと歩き出した。
そんな妙に落ち着いた男たちを見ながら、蘇芳は落ち込んでしまっている楓に尋ねた。
「その姪っ子は、間違いなくこの連中に連れ去られたのか?」
「そうでなければ、あんな短期間でいなくなるはず、無いわ……どうしましょう、とんでもない男に、酷い目に合わされていたら……」
「その時は、刑事裁判などと言うまだろっこしい事をせず、さっさと我々で罰してやろう。まあ、無事そうだがな」
気楽な言いようの夫を睨み、楓は地の底を這うような声を出した。
「無事、ですって? じゃあ、どうして、姿が見えないのよ」
「隠されてるから、だろう。お前には、悪い事をしたな」
冷静になった蘇芳は、静かに妻に謝った。
「調べ方がずさん過ぎたせいで、結果、お前の血縁たちまで遠ざける所だった」
「え、何の話?」
「……瑠璃の話だ」
瑠璃の死の事は、楓にも伝えてある。
初めのずさんな調べで、蓮がその死に係わっている事までは分かっていたが、その裏までは調べなかった。
手にかけたのはあの若者だったが、原因を深く調べると、そうせざるを得ない状況だったと、今では分かっていた。
「あの二人の鬼は、蓮たちと親しい。だから、楓をというより、私を遠ざけたかったのだろう」
しみじみと言う狐を、楓は別な生き物を見るかのような目で見つめた。
「ど、どうしたの? 私たちを嫌う者は、それこそ数えきれないほどいるのよ。血縁だって例外じゃない。そりゃあ、珊瑚や凪沙の子供たちに嫌われるのは、悲しいけど。そこまでしんみりと悩む事じゃ、ないわよ」
「嫌われるだけで済んでいる今のうちに、手を打っておきたいことがあるのだが」
この辺りで、少しは頭が回ることを見せておかなければ、自分だけではなく親族や楓まで、命の危険にさらされそうだと蘇芳は笑い、門の外に出て携帯電話を取り出し、今まさに迎えの電話を入れようとしている葵の手を攫んだ。
ぎょっとして振り返る男の耳に口を寄せ、囁く。
「狐を騙そうとするとは、大した鬼だな、お前」
背筋に寒気が走り、葵は体を強張らせてしまった。
その様子に近づこうとする瑪瑙を目で制し、周囲を伺う。
平日の閉園時間に近い時刻で、人もまだらだ。
「私がやってしまった事を思えば、仕方がないのだろうが……その詫びも兼ねて、提案があるのだが。どうだろう? 今晩、お前の家に泊めてはくれんか?」
「……っ」
昨日はあの後、瑪瑙に送られてホテルに戻ったが、今朝チェックアウトしてしまった。
そこまで悪い話をする気はないのだが、蘇芳の目つきは警戒に値する色をしていたようだ。
葵が目を剝いて後ずさり、瑪瑙も慌てて近づいて来る。
「む、迎えを呼びますからっ。あんた、ここにいたら、危ないでしょう? オレたちは兎も角、あの人たちは、勘はいいは調査力半端ないわで、大抵の悪さは分かってしまう」
「それが明るみに出ては、恐らくは命が危ういだろう? 楓にまで、その危険が及ぶのは、困るのだ」
事は、あの地に足を踏み入れなければいいと言う話には、留まらない。
昨日、雅は言った。
蓮よりも、その相手であった若者への侮辱の言葉が許せないと。
言葉だけを理由にしていたにしては、重い拳だった。
恐らくは、あの時の仕打ちも、蘇芳が当時考えていたことも、全てがその理由だったに違いない。
雅があの地に足を踏み入れさせたくない、それだけの願いに止まったのは、もう過去の事だからであって、本来ならば地の底まで追いかけて来られてもおかしくない事態だった。
それが出来る人材が、あの地には集っている事が、藤田家を出た後の調べで分かっていた。
その上……先程、変化を解いて来た、銀髪の男。
あれは、まずい。
蓮の血縁より、数倍不味い男だ。
あれに目をつけられては、こちらの血縁もろとも、殲滅されかねない。
それだけは避けたい蘇芳は、ある望みを元に楓の血縁たちを、味方に引き入れられないかと考えていた。
先ほど見た、若者二人が並ぶ姿。
それを見て、何となく妙な心持になったのだが、同じような気持ちで二人を見やる男に気付いたのだ。
この投合は、大事な縁になりそうだった。
市原葵とその妻朱里の馴れ初めは、少し変わっていた。
初めて二人が顔を合わせたのは、朱里が幼稚園に入った年だ。
幼稚園に迎えに来てくれた兄と二人で、当時住んでいた山の家に戻った時、突然襲ってきた小柄な女性と共に、訪ねて来たのだ。
恐ろしく体の大きな、厳つい顔のお兄さん。
そんな第一印象だったが、朱里の父親ともう一人の兄もそれより体が大きく、怖い顔だったので怖いとは思わなかった。
小柄な母親方の兄は、どうやらこの人を気に入っているらしいと気づいたのは、小学生になってからだ。
あまり笑わない顔が、葵と会うと僅かに緩む。
いつものお愛想程度の笑いでもなく、気を許したような綺麗な笑顔で、何度か本人に指摘して理由を問いただしたのだが、二人とも不思議そうにしただけだ。
葵に至っては、笑いながら、
「いつもあんな顔だろ? それに、オレといる時より、いい顔してる時があるんだぜ。ちゃんと、見物してみろって」
と、気楽な事を言う始末だった。
何だか、面白くなかった。
半分しか繋がっていないとはいえ、自分はセイの実の妹だ。
頼るしかない年代とはいえ、兄に心を許されていないと言うのは、とても悲しかったのだ。
悶々とした気持ちは、高学年に入った年のある日、爆発した。
その頃、葵はいつもに増して頻繁に、セイを訪ねて来ていた。
訪ねて来るだけなら問題ないが、訪ねてくるたびに迷い、やれやれ顔のセイに救出されて山にやって来る。
その日も、葵は山に来ていた。
そして、それを知らせ、まだ来ていないと知って嘆いたのは、久し振りに顔を見せた、蓮だった。
「ったく、稼ぐ気がねえなら、大人しく住処に籠ってろってのにっ。何で、一人で出かけようとするんだ、あいつはっ」
「……住処の山には、いなかったんなら、一応はこっちに向かえたんだな 」
呆れながらも言い、セイはいつものように迷子の保護に向かって行く。
「本当に、手がかかる奴だなっ」
言いながら蓮も、朱里に一言声をかけて、大きな男の探索に向かった。
一人残された朱里は、久し振りに会った血の繋がらない兄まで、葵に振り回されている事実に、不機嫌が最大になっていた。
余り知られていないのだが、朱里は異常に鼻がいい。
父親の血が濃く出たせいらしいのだが、嗅ぎ慣れた人の匂いくらいなら、個々で嗅ぎ分けることも、出来るくらいにはなっていた。
だから、葵が、山の中で迷っている事は、すぐに分かったのだ。
いくら一人で山を歩き回るのが危ないからって、闇雲に探すより、自分を頼ってくれればいいのにと、朱里は頬を膨らませて怒りながら、意外に近い位置で動かない男の匂いを辿って、歩き出した。
五分も歩かぬうちに見つけた大男は、地面に座り込んで空を仰いでいた。
「もうっ、ここまで来てるんだったら、ちゃんと辿り着いてよっ」
ぷりぷりとしながら声をかけた朱里を振り返った葵は、少女の姿を見止め、目を見開いた。
「お、お前、何で一人なんだよっ? 駄目じゃねえか、山の中は、おっかねえんだぞ」
「少し家を離れただけだもん。あっちに、家が見えてるでしょ?」
指さした方向に目をやった大男の目が、更に見開かれた。
「ほ、本当だ……こんなに、近い所まで来れたの、初めてだ」
言いながら朱里を見上げた目から、涙が落ちた。
どんな涙腺だと、探しに出た二人が見たら呆れること必至の、滝の様な落ち方の涙だ。
「お前、オレを、探してくれたのか? すまねえな。どうしても、あいつが気になっちまって……逆に、心配されちまってちゃ、世話ねえって分かってんだ。でも……」
「狡い……」
涙をそのままに、朱里に訴えていた葵は、少女の涙声に遮られ、目を上げた。
「その顔、狡いようっっ」
朱里は叫んで、思いっ切り泣き喚き始めた。
「ど、どうしたんだよ、朱里っ。泣くなよう……」
狼狽えた葵の胸を叩きながら、少女は意味不明な言葉を吐き続けていた。
妹の叫び声に驚き、二人の兄が現場に着いた時、強面の大男と可憐な小さな少女が大声で泣き喚いていた。
葵の方は兎も角、朱里の泣き方は尋常ではなく、二人は家の方まで連れ帰ったが、落ち着くまではそのまま泣かせておくことにした。
朱里本人が、どうして泣いていたのか分からなくなり、喉を引くつかせて泣き止んだ頃、露骨に安堵する葵と天井を仰ぐ蓮を背後にしたセイが、首を傾げて静かに問いかけた。
「学校で習うのは、英語と国語だけ、だったよな?」
唐突な問いだったが、朱里は素直に頷いた。
不思議そうな兄の顔も、珍しい。
「じゃあ、私が知らない間に、国語が増えたのかな? お前の言っていた言葉が、よく分からなかったんだ」
言いながら、セイは洗面器に張ったぬるま湯に手拭いを浸し、軽く絞って朱里の顔を拭く。
「あんまりこすってないから、腫れは余り出ないと思うけど、冷やして置くか?」
「……御免なさい」
その様子に、無感情ながらに心配してくれているのが分かり、朱里は居心地悪い心持で、身じろぎした。
「いいんだよ、助かった。葵さんを、見つけ出してくれたんだろ?」
「すぐ下にいたの」
「らしいな。こいつにしちゃあ、近場で迷ってたな」
頷いて蓮が返し、葵を一瞥すると目を細めた。
「で、何であんなに泣いてたんだ? こいつが、何か変な事をしたか、言ったか。どっちだ?」
目を細めただけなのに、妙な威圧がある。
心当たりはないが、もし心なしに何かしてしまったのならと、大男が唾を飲み込む中、朱里は激しく首を振った。
「何にもされてないっ。この人は、悪くないからっ」
何かされたと言われたら、握った蓮の拳が葵に飛び、大男もそれを甘んじて受けるだろうと言う空気が、少女を必死にさせた。
「だから、蓮お兄ちゃん、怒らないで」
「そうか」
あっさりと空気をやわらげ、蓮は首を傾げた。
「じゃあ、どっかで転んで、痛かったってだけか?」
怪我もないようだが、打ち身でも痛みは結構来るからなと、若者が呟く。
「それも、違うけど……」
どう言えばいいのか、朱里はさっき感じた気持ちに困惑していた。
相談しようにも、この場では恥ずかしい。
そんな気持ちにだけは、人一倍鈍感なセイが、真顔で問いかけた。
「ソノカオデオニイチャンヲフヌケニシタノネズルイ。オニイチャンダケジャナクアタシマデロウラクスルナンテヒドイヨウ……って、どこの言葉だ?」
「日本語じゃねえか」
問われた言葉に、朱里もどこ語か分からなかったが、蓮が代わりに即答した。
「つうか、あの泣きながらの言葉を、聞き取ってたのかよ、お前」
呆れたセイへの呼びかけで、それが自分の吐いた言葉だと気づき、顔が一気に熱くなる。
「何となく聞き取れたけど、日本語に似た言葉ってだけに聞こえた。どう言う意味だ?」
素直な問いかけに、蓮はにやりとして朱里を見た。
目でやめてと訴えてみるが、心配させた反動か、聞いてくれる気はない様だ。
「要するに、お前が一目惚れした葵の泣き顔に、こいつも惚れちまったって事だろ」
「へ?」
葵が、変な声を出して目を剝いた。
セイも目を見張って朱里を見、蓮を見返した。
「一目惚れ? 私がしてたのか?」
朱里が葵に好意を寄せた事よりも、そちらが気になったらしい。
「してただろ? 何せ、目の前に一触即発の敵がいたってのに、戦意を消失するくらいだ、立派な一目惚れだろうが」
「……」
その前に顔は合わせていたが、泣き顔は初めて見ただろうから、一目惚れと言えるだろうと笑う蓮に、セイは首を傾げたまま返した。
「それを言うなら、あんたにも一目惚れしたけど」
「ん?」
何を言い出すと振り返る蓮に、若者はやんわりと微笑んで言った。
「あんたの、優しい笑顔を初めて見た時、本当に胸を突かれた。葵さんの時がそうなら、あれも、一目惚れってことだろ?」
言葉を失くした蓮と微笑むセイを交互に見、それを嬉しそうに見守る葵を見て、ようやく葵の言っていたことが分かった。
言葉を失って目を泳がす蓮も、気を抜いた綺麗な微笑みを浮かべるセイも、朱里はその時初めて見たのだ。
「……セイの心境からすると、オレは手のかかる兄ちゃんってとこだ。オレは、こういう感じだからなあ」
中学校を卒業し、久し振りに会った葵が、南の最端に位置する海を見つめながら溜息を吐き、その時の事を思い出して話しかける朱里に、そう答えた。
「これも、才能だよって、お兄様は言ってたけど。……本当に、刑事さんを目指すの?」
「ああ。抑止力の一つになりてえんだ。蓮の」
セイの方は、気にする者が多く、世間に大きな激震を起こす事は、そうそうしないだろう。
だが、蓮にはそういうものが少ない。
当時ヒスイとも顔合わせしていたが、寂しい人脈だった。
蓮は普段は冷静だが、ふとした時に常識から足を踏み外すことがある。
本人が納得する外し方なら問題ないが、後悔することが多いのが現状で、それが原因で気安い仲の若者たちとも疎遠になることがあった。
重すぎる人脈は、負担にしかならないが、少ない人脈で重い分には、重りになれるかもしれないと、葵は数年前から少ない人脈に頼み込み、戸籍を獲得した。
朱里が中学三年に上がった年に、高校生としてある学園に潜り込めた。
四月からは、朱里も葵と同じ校舎に通うことになる。
「私も……」
家から一時間程南に行った所にある海を眺めながら、朱里は静かに心に決めた事を言った。
「お兄様たちを、幸せにしたい。その為には、葵さん、あなたも幸せにならなくちゃ」
「いいのかよ? オレはこんなで、お前に苦労かけちまうぞ」
「今更? 苦労なんかより、その苦労の後のあなたのその顔の方が、私には大事なの」
親公認になるのはこの後まだまだ先だったが、その時には既に、相思相愛になっていた。
そして何よりも、同志と言っても過言ではない気持ちが、二人を強く繋いでいたのだった。
その日の夕方、葵は瑪瑙と共に戻って来たが、げっそりと疲れ果てていた。
「あいつらがあそこを出るまで、見届けて来た」
そう報告し、出迎えた朱里を見た。
「助かったぜ。森口さんと連絡とっててくれて。危なく、藤原夫妻がここに乗り込んでくる所だった」
安堵の笑顔を浮かべる夫に、妻は優しく微笑んだ。
「そんな暇が、昨日からなかったものね。私もこれ以上、あのご夫婦とはお近づきになりたくないわ。幸い、森口さんも、こちらの方に向かっていたみたいだから、蘇芳さんが出かけた先を教えておいたの。いいタイミングで、お迎えが来た?」
「ばっちりだ」
頷く葵の後ろで、瑪瑙も頷いて親指を上に立てた。
耳元で囁く蘇芳に、動けなくなっていた葵を救ったのは、すぐ傍に寄せて止まった一台の自動車から降りた男だった。
長身で細身のその男は、怯える葵の傍にいる狐を見据え、静かに声をかけた。
「……いつまで、遊んでる気だ? 約束の自由時間は、とっくに過ぎているはずだが?」
不機嫌なその声に、蘇芳だけではなく楓も背筋を伸ばした。
「二泊の約束で、夕方には帰路につくと言うから、殆ど護衛なしの忍び旅を許したんだが、信じた私は、随分馬鹿にされているんだな」
「ち、違う。これには、深い事情が……」
狼狽えた蘇芳の隣で、楓は反論できずに首を何度も頷かせている。
そんな様子にも、男は全く感情を変えずに楓を見据える。
「事情は、市原夫人に聞いた。勝手に事件に巻き込まれた挙句、一つの施設を崩壊させるとは、どこまで力の加減が出来ないんだ」
「ご、御免なさいっ。でも、全部は崩壊させてないわ」
「当たり前だっ」
蘇芳の様に男に姿を変えているだけの女狐のはずなのに、その声には男の迫力があった。
「この地の警察と話を合わせなければならないが、お前たちは邪魔だから、この自動車でさっさと地元に帰れ。この騒ぎで、本当にまずい人に目をつけられたら、お前たちはおしまいだぞっ」
それは、もう遅いかもしれません、とは流石に葵も言えなかった。
「凌の小父様も、あの場にいたんですもの。森口さんの懸念は、無理ないわ」
ご飯の支度をする朱里を手伝っていたその母のライラが、娘の言葉に大きく頷いた。
「あの人、怒りだすと手が付けられないそうだから」
「言葉では優しく聞こえるだろうが、本当に手を付ける隙がなくなるからな」
真顔のウルの言葉だ。
「大概の事は大目に見る奴なんだが、一度怒るとその相手の家族を根絶やしにしても止まらない事がある。その家に小さいガキがいたら、あいつの喧嘩仲間が程々の所で止めに入ったが、それ以外は放置だったから、被害は相当大きかったはずだ」
正確な被害は分からないが、気を静めて戻って来る凌は、いつも血まみれだったからそれと知れたと、葵よりも大きな男は首を竦めた。
「そんな人から、二度も生き残れるあなたは、運がいいんですね」
瑪瑙が、しみじみと言いながら、高校生の年子二人が抱き着いて来るのに任せている。
どちらも少女に見えるが、下の子は男の子だ。
だが、鬼の血筋も入ったこの子供たちは、どちらも力が強く、二人同時に抱きしめられると、大の男の瑪瑙でも抱き潰されそうになる。
「私は、出口まで出たのに、伯母さんが出て来なかったの」
里沙は昨日、葵たちが古谷から戻って来た後、ウルと共に家に戻って来て、そう事情を説明した。
正確には、慌てた楓が出口に出てくる前に、そこに立ち尽くして動かなかった里沙を見つけ、ウルが連れ帰って来たのだ。
「その時、凌と一緒だったんだが、知らん女と絡んでたんで、そのまま置いて来た」
その知らん女が楓だったのだが、ウルは気づかずにそのまま報告もせず、家路についたのだった。
「久しぶりに、女を気にしているようだったからな。邪魔しちゃ悪いだろう?」
あの朴念仁が珍しいと、そう思ったのだが、事情を聞いて男は落胆していた。
「確かに純潔の女の鬼は珍しいが、それだけしか感じなかったのか、あいつはっ」
「そうらしいですね。襲い掛かった楓さんを、すぐに滅しようと判断したそうですから」
躊躇い皆無、だったらしい。
「しばらく見ない内に、少しは変わったかと思えば、そこは変わってないのかっ」
頭を抱えて嘆く大男を見つめ、瑪瑙は小さく唸る。
「偶然の連鎖が、事件を大きくするってのは、こういう事を言うんだな」
メルの企みを避けきれなかった蓮が、無理やり見つけて来た事件性のある事案への協力を、セイが受ける事にしたのは、偶々里沙がその件に関わったかもしれないと言う、漠然とした疑惑があったからだ。
本当なら、断りたかったに違いない。
露骨に拒否しなかったのは一重に、事情を知らない朱里と部外者と、何より弱味は見せたくない客が同席していた為だ。
昨日、蓮が古谷家を辞し、蘇芳をホテルへと送って行く瑪瑙を見送った後、セイは葵を白い目で見上げた。
「里沙は、凪と一緒にいるのか?」
それは先程、市原家に向かうと申し出ても、動揺しなかった事で察したと分かる、問いかけだった。
やはり、こいつは騙し切れないかと苦笑し、葵は素直に頷いた。
「お義父さんが、連れて帰ってくれた」
「ウル小父さんが?」
「そうらしい。で、瑪瑙が連絡くれた時には、お義父さんからの連絡で里沙の無事は分かってた。だから、ちと、やり過ぎかと思ったが、利用することにしたんだが……」
僅かに、顔を歪めた若者を見下ろし、葵は声を潜めた。
「蓮と一緒なら、心配ねえだろ。それに、心のまま泣いちまっても、あいつならちゃんと分かってくれるって」
「……何の、話をしてるんだよ」
睨むセイの頭を軽く叩き、大男は挨拶をして朱里と共に古谷家を後にした。
「こんな形で、お兄様たちを引き出せるなんて。これで本当に空振りな事案だったら、嬉しいんだけれど」
「お義父さんがどこで里沙を見つけたのかも、訊いて置かねえとな。とんでもねえ話になりそうで、気が抜けねえ」
そんな事を話しながら朱里の父母の元に向かった二人は、話を訊き出した。
その時は内心嘆き、頭を抱えたが、思いのほか早く事件の片が付いた事で、何とか形のあるデートもどきの展開になるのではと、期待していた。
「……退園時間間際に、四人揃って出て来た」
「四人?」
小声で報告した葵の言葉に、朱里は目を見開いた。
「誰かと、意気投合して一緒に遊んだとか、そう言う話?」
そう言う二人を想像することも、妹なら容易い様だが、葵はあり得ないと首を振った。
「エンと姐御も、デートしてたんだと」
事情を察した朱里は、溜息を吐いた。
「つまり、お父さんたちが囮に使う気だったのは、あのお二人だった、ってこと?」
「みてえだな。今更、ホラーハウスに、あの二人が刺激を受けるとは思えねえんだけどな」
どうして、間違って入るかもなどと、淡い願いを持つのか、葵にも理解不能だった。
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