第8話

 藤原蘇芳は、古くから日本に巣食う狐の一人だ。

 力のある妖怪には、餌の取り方に拘る者がいるのだが、その内の一人がこの蘇芳だった。

 生きる上で大事な日々の糧は、自然の恵みや新鮮な空気、中には人混みの雑多な空気や人の生気を好む者もいるのだが、大体はそんな目立たないもので事足りる。

 蘇芳の場合も、それで生きているようなものなのだが、それとは別に、力をつけるべく取る食事、と言うものに拘りがあった。

 その拘りも、そこまで頻繁に実行するわけではない。

 年に何度もやっていては、目立つことこの上ない上に、どの世でも犯罪の類だ。

 幸い、蘇芳は我慢強く、大体百年ほどはその拘りに対する欲求を抑える事が出来た。

 男の姿で男を餌として好む女の狐、と言うのは蘇芳の日々の糧の取り方が有名だからで、その拘りを知る者は、意外に少ない。

 金で人を動かせる時代が続く中、日々の糧は簡単に手に入り、色好みの男として有名になってしまっていたのだ。

 その拘りの餌を最近探したのは、ほんの十数年前だった。


「その時についでに、浅葱あさぎ萌葱もえぎにも、力になる糧の取り方を、伝授しておいたぞ」

 寿ことほぎを訪ねて来た蘇芳はあっさりとそう言い、雅は目を見張っただけだが、寿の方は目を剝いた。

 久々に母と娘の語らいをしている場に乱入して来た狐は、女房に収まっている鬼の女と喧嘩したらしく、一人でやって来た。

 父母のいいとこどりをして、人型で生まれ育ち、力も備わった雅とは違い、萌葱浅葱と名付けられた弟たちは、人型こそ取れるようになったものの、それを維持する力を持っておらず、それまでは伯母である蘇芳から貰い受ける形で、世話になっていた。

 母や雅から離れ、頑なにその保護を拒んでいた二人が、何とか独り立ちできたらしいと聞き、雅は安心しただけだったのだが、寿の方は違う事を考えたらしい。

 今は亡き兄を入れると、四兄弟だった雅の母親である寿は現在、目と鼻の先にある大きな企業の社長の邸内の、執事の夫人に収まっている。

 事情を聞いた時は、何とも妙な収まり方をしたものだと思ったが、十数年も経つと自然な振る舞いも板につき、今も旦那がいない時を見計らった、ティータイムを楽しむご夫人にしか見えない。

 雅が訪ねたのは、友人の思惑に乗ったはいいが、男に対して後ろめたい気持ちがあり、何となくその手に詳しそうな母に、実例を聞いてみようと思い立ったせいだ。

 こちらの事情を根掘り葉掘り聞かれるだけで、まだその実例の話に至っていないのだが、至っていない上に、珍しい来客が今は訪れてしまい、それどころではなくなってしまった。

「まだ、本来の性は形取れんが、自分で好みの餌を見つけられるよう、基本を教える事が出来たから、おのずと力もつけられるだろう」

「そうですか。私は、その辺りの事は必要ないので、教えられなかったんです。有難うございます」

 雅が微笑んで礼を言う傍で、寿は目を細めて姉に尋ねた。

「それ、何年前の話?」

「ん? 十五六年前だ」

 という事は、葵と朱里が、めでたく籍を入れた頃合いか、娘が出来た頃かと納得する娘の横で、母は盛大な溜息を吐いた。

「ってことは、あなたの糧は、どのくらい残ってるの? いつものペースだったら、まだほとんど残ってる? それとも、美味すぎてもう骨しか残ってないのかしら?」

「何で、そんな事を聞く?」

 話が見えない雅の横で、姉妹が当然のごとく会話している。

「あなたにだけ、御礼を言うのはおかしいでしょ。あなたが選んだ糧が、あの子たちを成長に導いてくれたんなら、その人にも、御礼を言わなきゃいけないじゃないの」

「ああ、そうだな」

「え、どう言う意味ですか?」

 久し振りの姉妹の会話に割り込むのもどうかと思うが、意味が分からな過ぎて困惑してしまい、雅はつい二人を遮ってしまった。

「糧と言うのは、永く力を保つために徐々に生気を奪う相手の事、ですよね? 十数年で骨って、あり得ないでしょう?」

 徐々に、寿命を数秒単位で減らすにとどめる程度に、生気をかすめ取りながら、力を蓄えるのが、寿の糧の取り方だ。

 今現在の糧は篠原家の執事で、それと引き換えに、死んだ夫人の代わりに娘を可愛がっていると聞いていた。

 毎日の食事よりも気を遣うのが、糧探しと取り方だと言っていた寿が、雅の困惑を見守りながら、ゆっくりと首を振った。

「それは、私の拘りであって、他の仲間には、別な拘りを持つ者の方が、多いのよ」

 この、蘇芳の様に。

 そう言って母が話し出したのは、蘇芳の世にも奇妙な拘りだった。

「この人、堅物の男を落とすのが、趣味なのよね」

「はあ」

 まあ、人間にもそう言う女はいると頷くと、寿は頷き返しながらも続けた。

「落とした後、じっくりと嬲って、完全に何をされても歓喜の声を上げる程に、狂わせたうえで殺すのよ」

「殺すって……死なせるんですか、すぐに?」

 思わず蘇芳の方を見ると、壮年の男の格好をした狐は、笑いながら首を振った。

「すぐではない。これでもかという位、快楽の泥に沈めてやってから、だ。手にかける所作すら、歓喜の元となる位に狂わせられたら、本当に美味な糧になるのだ」

 普通の人間でも、そこまでなるまでに時がかかるが、蘇芳の腕は確かなものだった。

 その腕を支えるのが、生まれた時から持つ眼力の強さ、だった。

「……蘇芳は、一度の糧を百年ほどかけて食しているけど、取る時もこちらがやきもきするような手間をかけるのよ」

 しかも、糧以外の人間を、最低でも一人は巻き込む。

「巻き込む?」

「これも、糧を美味にするための作業の一つだ」

 それは堅物の男が、僅かにでも懸想している相手、だった。

 どんな堅物でも、心に隙が出来る瞬間がある。

 その隙に付け込み、蘇芳は術を仕込み、心の中に止まる淡い思いを、そのまま己の姿に映して見せるのだ。

 男は、大概その姿に驚き、誘われるままに体を預けて来ると言う。

「最後まで堪能させた後、術を解いてやるのだ」

 目を覚ました男は驚くが、蘇芳が触れる感触が、そのまま思い人の感触を思い起こし、抗えないのだそうだ。

「屈辱でもだえる男に、その後、そっと提案してやる。私といい関係を続けると約束できるなら、思っている女を、ここに連れて来てやると」

 堅物の男達は、ここで大概女を庇う。

 女は関係ないからと、己を犠牲にしてでも助けようとするのだが、それは叶わない。

蘇芳の目的は、男との約束を取り付ける事と、女の名を知ることだからだ。。

「……男に近い所にいる、その名の女を探して連れて来る。偶に、探せ切れない時もあるが、そんな事を気にすることはない。要は、男がそう見えれば、いいだけだからな、男の身近な家族を連れて来る」

 その頃には、狐の言いなりになっている男に、連れて来た女を与える。

 狂った男に抑え込まれる女も、その時には蘇芳に術に嵌まり、意識朦朧になっているから、もし男の勝手な懸想だったとしても、抗うことは出来ないし、その後その屈辱を知ることもない。

 何故なら……。

 本命と思いを遂げた男が、その相手を手にかけるまでが、蘇芳の糧の仕込み、なのだ。

 喜び狂った男を蘇芳は堪能した後、その味が落ちる前に手にかける。

「これを、傷まぬ所に隠して置いて、徐々に味わいながら食べるのだ。その間、死の直前の顔や、そうなる過程の顔を思い浮かべながら。あれは、何度やっても飽きない作業だったな」

 うっとりと言う伯母を、雅は別の生き物を見ている気分で見つめてしまった。

 が、よく考えれば、今はいない叔父も同じような生き物だった。

 どちらがましかまでは、雅では判断不能だが、あの叔父とこの伯母が、兄弟であると言う事は確かだ。

「その、男が手にかけた女は? そのまま捨てるんですか?」

 こういう事を尋ねる自分も、相当おかしいと感じながらも、雅は訊いてしまった。

 自己嫌悪に陥っている姪っ子の気持ちに気付かず、蘇芳は答える。

「女は、私にとっては美味ではないが、他の妖怪どもには好評でな。貰い手には困らなかった」

「そ、そうですか」

 無駄にはなっていないだけ、ましなのか?

 狙われた男は運がないと思うだけでいいが、巻き込まれた女はいい迷惑だ。

 何とも嫌な思いを持て余しながらも相槌を打った姪っ子は、そこでようやく寿の疑問に思い当たった。

「じゃあ、浅葱と萌葱に糧の取り方を伝授してくれた、あなたのお相手は、もう生きていないんですか?」

 時期によっては、骨になっているかも知れないと、寿は危惧していたが、雅は別な事が気になった。

「頭は残っていないですよね? 肉付きで? 悦に入った状態で死んだ男の首に、改まった礼を言える自信は、ありませんよっ」

「お前、一番最後に残すとしたら、大体頭に決まっているだろう」

 蘇芳は平然と返してから、雅の顔が引きつって自分から身を引くのを見、心外そうに顔を顰めた。

「人を変人のような目で見るな。別に、変質者のそう言う顔を切り取って置いているわけではないんだぞ。気に入った男の頭を、いい気分で死んだままで取ってあるだけだ。それに……」

 何か言いたげな姪っ子が何か言う前に、伯母は続けた。

「自慢げに戦利品を見せる趣味は、ない」

「じゃあ、どういう心算で、あの子たちの事を今報告してくれたの? あなたの糧がまだ残っている時期に報告されたら、御礼を言わないと、と思ってしまうじゃないの」

 珍しく混乱している娘の代わりに、寿が冷静に尋ねた。

 この子は昔から、どちらかというと人との交わりが多かったから、狐のこういう部分には不慣れなのだ。

 久し振りに母親らしい気分で助け舟を出したのだが、蘇芳の答えは斜め上に返って来た。

「心配ない。その糧は、まだ生きている」

 妹が目を剝き、身を乗り出す。

「生きてるっ? まだ、あなたの好み通りになっていないってことっ? 十五六年も、飼っているのっ?」

「違う。それも中々面白い事になりそうだが、残念ながら違う」

 寿の勢いに少し身を引きながらも、姉は答えた。

「逃げられた」

 言葉を失くした妹に深く頷いて見せ、蘇芳はゆっくりと言葉を重ねた。

「充分逃げられない程に、精力も奪った筈だったんだが、少し目を離したすきに、逃げられてしまった」

「姉さんが、狙った獲物を逃がして、そのまま捕まえないのも、珍しくない? もしかして、その目の力がなくなっているのに、その獲物が係わっているの?」

 久し振りに会ってその現状に気付き、気にしていた妹の少し心配そうな問いに、姉は微笑んで答えた。

「原因は違うが、関係はしている。勿論、私も逃げた獲物を逃がす気はなかった。だから、奴の大事な女を先に捕まえて、再びおびき出そうと考えて、奴が漏らした名の者を調べて、呼び出した」

 その糧は元々、個人的に調べていた事案の関係者だった。

「昔話しただろう、楓の妹が、男を作って身籠り、姿を消してしまったと。その妹の相手だった男だ」

 何か知っているだろうと仕掛け、術をかけて嬲るうちに、ついつい夢中になってしまったのだと蘇芳は言った。

「初めは、その妹の名が一向に出てこないのに腹が立って、これでもかといたぶっていたのだが、段々面白くなって来てしまって、気づいたら喰う気満々になっていたのだ。逃げられたからと、諦められるものではないだろう?」

 同意を求められても、困る。

 苦笑する寿の横で、雅は言い返したい気持ちをこらえ、黙り込んでいる。

「妹よりも男に大事にされている女というのを、完膚なきまでに汚してやろうと言う気持ちが多かったが、多分に興味があった。どう言う女が、楓の可憐な妹から男を寝取ったのか」

 さぞ、いい女だろうと思っていたと言うのに、仕事という名目で呼び出されたのは、期待外れな人物だった。

「まさか、男と呼ぶには弱々しすぎる、どう見ても女のなりそこないの様な奴に、あの可憐な妹が負けているとは、思わなかった」

 どうでもいいが、楓の妹を、美化し過ぎじゃないのかと、呆れてしまう程の嘆きぶりだ。

 親子ともどももはや何も返せない中、蘇芳は話を続ける。

「そいつも許せんが、妹を袖にした男も許せんと思って、そいつも糧に変えてしまおうと考えた」

 一度に二人以上の糧を持つことも、蘇芳には珍しくない事だった。

 昔は、質の悪い狐の討伐と称し、術師や武士が住まいに乗り込んでくることもあり、そこから何人か見繕った事もあるくらいだ。

 相手の男が美味に化けたのだから、このなりそこないの若者も、大いに化けるだろうと期待し、人払いした部屋で仕事の話をしながら術を仕掛けたのだが、一向にかかる気配がない。

「体質的に、術にかかりにくいのだろう。だが、心の隙をつけば、大概崩れるのは知っていたから、その時もそうした」

 実は、妹の男だった若者が無抵抗になった頃、首から外していた物があった。

 年季の入った、黄金色の装飾品だ。

 素っ気なくこちらの依頼を断る若者に、意味ありげにその装飾品を見せた途端、案の定動揺した。

「術を掛けながら、あの者がすでに私の物だと言ってやったら、固まってしまったのだ」

 掛かったと安心し、立ち上がって捕らえようとした蘇芳に、当の若者が声を投げた。

「分かりました。その仕事、あの人の代わりに引き受けます」

 はっきりとした、無感情な声だった。

 戸惑った狐を見返し、若者はゆっくりと続ける。

「報酬は、その石だけで、充分です」

 蘇芳が手に提げる装飾品を一瞥した後、若者は言い切った。

「だから、あの人とは、今後一切、係わらないと約束してください」

 狐はその懇願に、思わず笑ってしまった。

「それでは、仕事の対価としては高すぎる。あの者は、すでに私の……」

「誰が、仕事の対価の話をしてる?」

 遮った声は、あくまでも無感情に耳に届いた。

 そのすぐ後に、耳元で聞き慣れた音が届く。

 頬に何かが掠め、一筋の切り傷が走った。

 その傷が消えるより先に、気づいたら目の前にその若者がいた。

「対価の話は、済んだだろう? その石が、あんたが頼んだ仕事の対価だ。それくらいも覚えていられない程、脳みそに皺がないのか? 聞きしに勝る、頭の悪い狐だな」

 言いながら、若者は蘇芳の顔を掠めた苦無を壁から引き抜き、器用に回して刃を狐の喉笛に突き付けた。

 間近に顔を寄せて、ゆっくり微笑む。

「これは、脅し、だ」

 微笑みながらも、目も声音も、感情が伺えない。

 心臓が鷲掴みされたように、蘇芳は椅子の上で身動きが取れなかった。

「二度と、あの人に近づくな。もし近づいた時は……私が、必ず、あんたを塵より細かく刻んで、葬る」

 何やら考え込んだ雅の横で、寿は不思議に思って尋ねる。

「そんな脅しに、あなたが屈したの? その相手にかなわなくても、問題ない筈でしょう?」

 そう、本来なら、問題ない。

 脅しが本気の物でも、獲物となった男が拒まないなら、意味がないからだ。

 その位既に、その男に糧としての印を染み付かせていたのだが、それは全て無に帰されてしまった。

「……その、頼んだ仕事の影響で、私の目がこの通り、使えなくなってしまったのでな」

 失明は免れたが、獲物を篭絡する目の力が、殆ど消え失せてしまった。

「それは……礼を言う立場からすると幸いだけど、大変な目に合ったわね」

「全くだ。こんなことなら、あの仕事を先に終わらせてから、尋問しておけばよかったと、後悔した。まさか我々が陣取る場を正確に把握して、薬を投げ込まれるとは思わなかった。人間ごときに後れを取るとはな」

 雇った若者が、薬を吸収しない様注意を促さなければ、失明どころか全滅していたかもしれない。

「……」

「人間も、正体を知っていたら用心するから、油断は禁物なのよ。中には、適わない類の術師もいるし」

「それは知っていた。だから、術には用心していたのだが。術返しが一番手っ取り早い方法だからな。だが、のっけから壊滅状態で、焦った」

 薬慣れしていたのは逃げた若者の方で、その時一緒だった方はどちらかというと術に強い若者だった。

「まあ、あなたの呪いにかからないんだから、相当強いわよね」

「だが、負けず嫌いではあったな」

 証拠に、報酬をもらうのだからと、確実な白星を断言して動いた。

 双方に死者を出さない、つまり敵方も生け捕りしてくると言い切って、避難した蘇芳たちを置いて敵方に乗り込んでいったのだ。

「十数分で、全ての敵を捕らえて連れて来た。薬慣れしていない割に平然として、報酬と約束を念押しして、去って行った。その後死の淵をさ迷ったようだが、それをおくびにも出さなかったな。あれは、女のなりそこないではあったが、男としては上等の類だ」

 だから、妹の男だった若者と共に、今でも欲しいと思っていると、蘇芳は締めくくった。

 何故か、雅の顔が優しく微笑んでいる。

 その表情に、妙な危機感を覚えながら、寿はしみじみと感想を述べた。

「あなたに気に入られる位、特異な男達と言う事は、只の人間じゃないわよね。どこの誰かは、分かっているの?」

 礼を言う事が増えたと思いながらの問いに、蘇芳は難しい顔で頷いた。

「それなんだ。後で知ったのだが、瑠璃の男だった奴は、中華の夜叉一族を牛耳った男の、息子だったのだ」

「え?」

「あれを敵に回すのは、流石に厄介だ」

 溜息を吐く蘇芳から、寿は恐る恐る雅の方へと目を向けた。

「中華の、夜叉一族のって……カ・セキレイ?」

「そう、それだ。あの男自体には力がないようだったが、楓の一族が滅ぼし切れなかった種族だからな。数もいるだろうが、力もそれなりにあるだろう」

「それ以前に、色々、危なかったんじゃあ……」

  セキレイの父親は、得体のしれない男だ。

 子供やその血縁者の危機には無頓着だが、その近辺の者に知れては、どうなるか分からない。

 カ・セキレイの父親が誰かを知る女は、ついつい、あり得ない恐れを抱く。

 だが、その恐れを、軽く別な感情で塗りつぶした者がいた。

「蘇芳さん、一つだけ、いいですか?」

「ん? 何だ?」

 優しい笑顔を浮かべた雅が、それにつられて笑顔になった蘇芳に、やんわりと尋ねた。

「先程話題に出た、『女のなりそこないの若者』というのは、もしかして、私くらいの体格と背丈の、金髪の綺麗な子、ですか?」

 母親がぎょっとして自分を見やるが、そんな心境に気付かぬ伯母は、目を見張って頷いた。

「そうだ。男の形で男の格好だったが、あれはなりそこなっているだけだ」

「そうですか……これは、瞬殺ものですね」

「ん?」

 聞き返した蘇芳が、それを避けられたのは、偶然だった。

 聞き取れずに身を乗り出し、頭の位置がずれた事で、それを免れたのだ。

 狐の耳元を掠って、雅の拳が壁を突き破った。

「壁ドンっ。拳でするもんじゃないでしょうっ」

 思わず、寿がどうでもいい叫びをあげて、頭を抱えた。

「避けないでくださいよ。壁が可哀そうじゃないですか」

「可哀そうなのは、家全体よっ。それ、コンクリートだからっ。上までつながってるのっ」

 悲鳴を上げる傍から、雅の拳を受けた壁が亀裂を走らせ、部屋中の壁と天井に罅を入れた。

 メルに、雅が仲間の半分を跡形もなく瞬殺して見せたと聞いた時は、そんな馬鹿なと思ったものだったが、これを見て納得した。

 これは、手加減したから、人一人の瞬殺を目的にした攻撃だから、家がまだ無事なだけだ。

 誰よ、うちの娘を、こんな化け物に仕込んだのはっ?

 知らない誰かに毒づきながら、寿は逃げ腰になった姉に微笑んで、再び拳を向けようとする雅を止めに入った。

「やめなさいっっ。お願いだから、弥生がもうすぐ、戻って来るからっ」

「首持って床に押し付けて、蓮とメルに、謝ってきたいんですよ。いいじゃないですか、後で片付けますから」

「後じゃ困るのっ。血まみれになったら、流石にお掃除大変なのっ」

「寿っ。私が負ける事を前提に、話してないかっ?」

「逆に、勝てる自信がある方が、驚きよっ」

 思わず文句を言った姉に、妹もついつい鋭く返し、その勢いのまま娘を宥める。

「怒るのは最もだけど、落ち着いてっ。大体、謝ってすむ問題? これは、私たち血縁者にまで、類が及ぶかも知れない事態じゃないのっ」

「ええ、そうですよ。しかも、それ以外も敵に回ること、必至です。もう、この地に踏み入れない方が、いいんじゃないですか?」

 いや、その前に、踏み入れたくても踏み入る事が出来ないようにしてやろうと、雅は笑顔で言い切った。

「あの子が、なりそこない? どこを取ってそう言ってるんですか? 性別がどっちだろうが、あれほど愛らしく、素直な子はこの世に存在しませんっ。そんな侮辱的な言葉を吐くような人が、この地に歓迎されるとは、思わないでください」

 蘇芳が身を竦め、挨拶もそこそこに家を出て行くのを見送った寿は、言い放った娘の言葉に脱力した。

「……そっちが、瞬殺の理由?」

「違うと思うなら、旦那さんと社長さんにでも聞いてみては? 何で逃がしたと、残念がられると思いますけど」

 違わない。

 そう知っている女が、頭を抱えて唸るのを横目に、立ち尽くして怒りを静めた雅は、深く息を吐いた。

 メルは、どこまで知って、蘇芳を嫌っているのか。

 嫌うだけで済んでいるのだから、今聞いた話の半分も知らないとは思うが、本来なら憎む位になっていても、おかしくない事情だった。

 蓮にはお礼も言わないといけないが、それ以上に何度も謝る必要がある。

 雅はそう思いながらも、妙な心持だった。

 蓮は、知っているのだろうか。

 セイが、自分を魔の手から救うために、知らず男前の脅しを放ったことを。

 知っていたら、この事情と相まって、情けない気持ちになっているのではないだろうか。

 明日の吊り橋効果作戦。

 うまい具合に行って、何とか進展してくれればいいのだがと、自分の事を棚に上げて、雅はしみじみと願うのだった。

 

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