第6話

 話は、五日前に遡る。

 松本まつもと建設の社長を通して、面会して来たのは、久し振りに会う甥の子供だった。

「お、元気そうだな。あれから、シュウレイの具合はどうだ?」

 気楽な挨拶に答えるのは、大柄の男だ。

 短く刈り込んだ黒髪と、整った顔立ちを売りにし、中華で大胆な事業を立ち上げた男だった。

「叔父貴も、元気そうだな」

 便宜上、そう呼びかける男に笑いかける男も、大柄だ。

 今迄、夜勤明けで寝ていたらしく、短い銀色の髪は寝ぐせで乱れている。

「まあ、病気になるほど、不健康な生活はしていないからな、こう見えて」

 だが、先程帰って来たばかりで、余り眠れていなかった男は、欠伸をかみ殺して客を見返した。

「お前がこの国に入るとは、よっぽどまずい事態なんだな? 用件はなんだ?」

 そんな男、しのぎの問いに、男は少しだけ躊躇った。

 カ・セキレイは、最近会社を立ち上げた。

 主に病に使う薬物を研究して、材料を栽培し作り上げ、実験や諸々の事も全てこの会社で行い、それをブランドとした会社だ。

 最近と言ってもここ数十年の話で、その割には若く、話題になった当初から二代目ではと、世間では認識されている。

 否定する必要もないと、その手の話には曖昧に返している為、それが真実と思われているようだ。

「これは、由々しき事態なんだ。日本内で、オレの会社が手ずから作り上げた薬が、全く違う用途で出回っている。しかも、かどわかし目的で使われているとなっては、こっちの信頼は、がた落ちだ」

「かどわかしとは、随分古い言い回しだな。誰に習った? 日本ではもうその言葉、古いぞ」

「……あんたの、子供からだが」

 混ぜっ返す凌の返しに真面目に答え、セキレイは話を続けた。

「気づいて調べ始めたのは、数か月前なんだが、あんたの耳に入れておいた方がいいと思ってな。内容が内容なだけに」

 随分寝不足らしい凌は、頭を軽く叩きながら聞いていたが、不意に真顔になって手を止めた。

「……闇業絡み、か?」

「ああ。しかも、何を血迷ったか、堅気の奴らを連れ去って、金儲けしている奴が、この国にいる」

「ああ、じゃあ、昔堅気じゃないな。最近、そう言う奴が多いんだ。そう言う奴は、昔の闇業の奴らが、考えもつかないような、悪行を思いつく」

 考えついても、それをしないのが、暗黙のルールでもあった。

「そこまで分かっていると言う事は、どこの誰がやっているのかも、目星がついてるんだな?」

 凌の問いに、甥の子供はすぐに頷いて答えた。

福田ふくだ産業、だ。土地の買収も大々的に行っていて、日本では有力な企業になりつつある」

「……まっとうな企業か。あの辺りの連中に、一度探りを入れて来るか」

 銀髪の男はあっさりと言い、その日の夜には調べ上げて来た。

「随分、派手にやっているが、中々証拠を攫むのが、難しいらしい」

 そう言った凌に、唸るのは松本まさるだ。

 恰幅のいい四十代の、松本建設の社長だった。

 松本家の夕飯をご馳走になり、泊まる部屋まで用意してもらってしまい、恐縮するセキレイの前で、勝がいつも通りの調子で言った。

「刑事事件に発展させるのはいいが、そちらの薬が打撃を受けるような騒動には、したくないな。あなた方には、今後もお世話になりそうだし」

「その辺りは、知り合いの警察関係者に、何とか取り入るとしても……」

「というか、お前、あのあずまさんに取り入るって、一体、どんな弱味を握ってるんだ?」

 ついつい、そんな疑問を吐いてしまう男に構わず、凌は考えながら続ける。

「まずはその証拠、か。一度、疑いのあるその施設に入って見ない事には、話が定まらないが……困ったな。その施設、大人の男が、一人で気軽に入れる所じゃない」

「二人なら、どうだ?」

 切り出した勝に、男は身震いした。

 社長と自分が二人で入る様を、想像してしまったらしい。

「無理だ、お前の女房や子供も連れて行くのなら、考えるが」

「……ってことは、そう言う遊び場、か?」

 鋭い社長に、凌は笑いかけながら頷いた。

 それを見て、勝が舌打ちする。

「そんな場所を、金儲けに使うとは、相当腐った奴らだな」

 実は子煩悩の男の、吐き捨てるような言い分に、凌は顔を緩ませたままだ。

「まあ、最近では、アベックも遊べる場所だが。要は、遊園地、だな」

「人目があるな。その上、かどわかし放題じゃないか」

 セキレイが、呆れ返った声を上げた。

「しかし、そういう、犯罪防止のために、ああいうところは対処があるはずだ。防犯カメラの類が」

「確認する頃は、事が起こった後で、既に遅い場合が多いがな」

 抑止力でしかないが、効き目はあるようだ。

「犯罪防止も、犯罪ゼロには、出来んな。だが、少なくなったことは、いい事だ」

「要は、その防犯カメラを、一度見直してみれば、何か分かるかもしれないな」

 二人の社長の言葉に頷き、凌は再び出かけていき、朝方に戻って来た。

 夜勤明けから一睡もしていない為、えらく眠そうにしながら報告する。

「ざっと、早送りでここ二月程の、開園時間内の人の動きを見て来た。怪しすぎる所が数か所あるな」

「どこだ?」

「ホラーハウスだ。出入り口の客の出入りが、他の物と違って大幅に差がある」

 入る客より、出る客が少ない、と言う。

「あの施設、ホラーハウス、お化け屋敷の類が、六か所もある。そのどれにも、中の方は監視カメラがない」

「何だと? それじゃあ、女一人で入ったら、格好の的だろうが」

「それ位、女どもも分かり切っているだろ? どの国でも、女が一人で、あんな薄暗い中に入ろうなどとは、思わんはずだ」

 思わず目を剝いた勝に、気安い関係になったセキレイが、笑って宥めたが、凌が苦笑して首を振った。

「それがなあ、この国は、平和ボケが進んでいて、そう言う警戒心のない女が、多いんだ」

「マジか」

 呆れかえった甥の息子に構わず、男は上司に伺いを立てた。

「どうする? オレらで処理するか、警察の手を借りるか。どちらでも、構わないぞ」

「堅気を巻き込んでいるのなら、堅気を守る機関に任すのが、妥当だ」

「分かった」

 そんな話を朝食の時に済ませ、昼食時にはもう一人の男を交えて、話が進んでいった。

「……一つ、曖昧にされているお話で、気になっているんですが」

 新たな客、ロンが静かに切り出した。

「その堅気の者を連れ去って、どんな金儲けをしているんですか、その会社は?」

「そんなこと、想像範囲内だ。人身売買、そんな所だろ?」

「見目が良ければ、そうらしい」

 当たりをつけた凌の問いに、セキレイは頷きつつも答えた。

「そこの社長が、相当な好きものらしく、薬中にして好きに嬲った後、高く売り払う。他の奴は、全ての臓器を抜かれて、直ぐにあの世逝き、だ」

 ロンは、眉を寄せて唸る。

「そういう輩は、表には出てこないと、思っていたんですが?」

「裏の稼業でも、そこまで多くない。借金のカタにしてもだ、取れなきゃ意味がないからな。大体、借金を膨らませる奴の臓器が、移植できる程、健康体に思えるか?」

「それは、借金の種類にもよるでしょうね」

 だが、例えガタガタの臓器でも、病気の臓器に比べたらまし、そう思う病人もいるのだろう。

「まあ、移植に頼るしかない人への事業を、考えている最中なんですがね、我々は」

「煮詰まってしまったな。後で、二人の意見も聞かせてくれ」

 松本建設の二人が、悩まし気に頷き合い、凌の方がすぐに話を戻す。

「その、臓器を抜かれた者の遺体は、今のところ、出ていないのか?」

「出ていたら、すぐに全国ニュースにされてますよ。今のところ、それらしい身元不明の遺体は、見つかっていません」

 万が一見つかって、その遺体の主に借金の影がないなら、すぐに連続殺人と騒がれるレベルの話だ。

「証拠が、まだどこかに放置されている、と言う事か? 確かあの施設、数年前に建て替えただろ? その時から所有者が、そんな馬鹿な金儲けを始めていたのなら、それなりの異臭があるはずだが……」

「連れ去る場所はそこでも、臓器を抜く場所まで、同じのはずはありません。それこそ、足がつきにくい場所で、行われているはずです」

 ロンの言い分に軽く唸り、凌は頷いた。

「よし、やはり、入って見て、わざと連れ去られるしか、ないな」

「無理だ」

 セキレイと勝の声が、揃った。

「あんたな、どんだけ自分が、簡単に連れ去れない空気を纏ってるか、分かってないだろ」

「全くだ。お前は、逆に連れ去りそうな空気を出してるぞ」

「そこまで否定しなくても、いいだろうが。勿論、この格好では行かないぞ。ちゃんと、変装していく」

 それでも、疑いの目で見る二人と叔父を見比べ、ロンは妥協案を出した。

「こちらの知り合いから、それらしいのを見繕って、囮にしますか。匂いを辿れる者が空いていれば、その囮が何処に連れ去られるかも、分かるはずです」

「成程。なら、疑われないように、男女の二人を見繕ってくれ」

 そんな話をした翌々日、ロンは男女二人を、その遊園地へ誘う手配が出来たと言って来た。

 ただ問題が一つ。

「匂いを辿れる者が、昼勤らしく、その日に行けない様です」

 二日酔いの顔で報告するロンに、後ろめたそうな色が少し滲んでいたが、それは自分に対してではないようだと、凌は気にせず頷いた。

「分かった。なら、こちらで、鼻の利く者を用意する」

 セキレイには、こちらの連絡を待つように言い置き、男はとある喫茶店を訪ねた。

 本当は、もう少し気安い男を頼りたいのだが、保護者が目くじら立てそうだ。

 よって、こいつを頼るしかない。

 扉を開けた凌を見止めた途端、カウンター内の大男が、悲鳴を上げた。

「な、何の用だっ。ライラはいないぞっ」

 怯えながらも、女を庇おうとするところは、立派と心の中で褒めておこう。

 凌は思いながらも、全く別な言葉を投げた。

「お前に、頼みがあるんだが。聞いてくれるよな? ウル?」

 カウンター内で後ずさる大男に、銀髪の男はやんわりと切り出す。

「な、何だ? 気味が悪いな。お前が、オレに頼み? 死ねって頼み以外なら、聞いてやるぞ」

「……そうか、無理か」

 つい、呟いてしまい、ウルは盛大に悲鳴を上げる。

「冗談だ。ちと、手伝って欲しい事がある。これは、仕事としてやってくれてもいい。報酬も出す」

「ど、どんな手伝いだ?」

 及び腰のままの大男に、凌は手短にこちらの事情を話す。

「で、お前は、その男女の匂いを覚えて、連れていかれる先を辿って欲しい。場所を特定出来たら、知らせて欲しいんだ」

「……」

 目を瞬かせているウルに、報酬の額を告げ、すぐに承諾を得ると、翌日、下見として二人で件の遊園地内へ入った。

 凌もウルも、変装と言うよりも変化に近い姿で、単独で園内をうろついていたが、あるお化け屋敷の出口の前で、凌は珍しい女に会った。

 純潔の、鬼の女だ。

 今どき、珍しい種族で、女は、更に珍しい。

 その女が、焦って周囲を見回し、誰かを探しているようだった。

 ついつい、声をかけてしまったのが、いけなかった。

 ……目を覚まして、凌はこれまでの事を回想していたが、やはりどう考えてもそうとしか思えない。

 どうやら、例の奴らにとっ捕まったようだ。

 体内時計からすると、あれから丸一日経った所のようだ。

 体を伸ばし、関節を動かしてみて、どこもなくなっていない事に安堵し、身を起こしてみた。

 狭い部屋の中だ。

 薄暗い中周囲を見回すと、もう一人、床に転がっている。

 小柄な、金髪の若者だ。

「……」

 どこかで見たような、そんな気がして顔を覗きこみ、思わず目を剝いてしまった。

「おい、お前、何でこんな……」

 ついつい声を出し、その体を揺さぶって見たが、起きる様子もなく、すやすやと寝息を立てている。

「お前、拉致される回数が、多くないか?」

 確か、初めて顔を合わせたのも、若者が拉致された場所から、逃げていた時だった。

 どういう育て方をされたのだと、嘆きたい気持ちを抑え、まずは部屋の出入り口を探した。

 生憎、武器になる物を、持って来ていない。

 だが……。

 ちらりと若者を一瞥し、起きる気配がないのを確かめ、扉に掌を触れる。

 そのまま引くと、重いはずの扉は、あっさりと持ち上がった。

 慎重にその扉を床に下ろし、大きく息を吐く。

 細かい作業は、苦手なのだ。

 そのまま廊下を伺い、中に戻って、起きる気配のない若者を、背中に乗せた。

「……もう少し、ガキの頃に、おんぶしてやりたかったがな」

 しかも、姿を変えたままでの親子水入らず、だ。

 どうして、オレは、こういう役回りが多いんだろうな。

 ここまで来ると、嘆く事しかできない凌は、それでも注意して廊下を進んでいたが、不意に聞こえた悲鳴に足を止めた。

 銃声と、血の匂いが、遠くから聞こえる。

「……」

 無言で目を細め、そっと背中の若者を、廊下に下ろす。

 見据えた先から、男たちが蜘蛛の子を散らすように、走って来る。

 その後ろから迫るのは……小さな女、だった。

「おいおい、何をやったんだ、こいつら」

 その女が、さっき声をかけた女で、完全に我を失っているのに気づき、凌は乾いた笑いを立ててしまった。

 ここまで正気を失っては、戻すのも難しい。

 後ろを一瞥して、舌打ちする。

 男たちは混乱し過ぎて、逃げ場のない行き止まり方へ、逃げてきてしまったようだ。

 つまり、この男どものせいで、自分たちは、危険にさらされているわけだ。

 勘弁してくれっ。

 さっきから嘆きっぱなしの男は、目の前に迫った女が、無造作に拳を振り上げたのを見て、つい反応した。

 自分に殴りかかった拳を攫み、そのまま前へ放り投げた。

 そして、投げた女を追って床を蹴って走り、そのままその顔を殴りつける。

 無情な拳を、女は紙一重で避け、拳は壁を一面崩壊させた。

 身を引いた女に舌打ちし、我に返った凌は振り返った。

 瓦礫に埋もれて、うめき声を上げる男たちに構わず、若者が寝ていたはずの場所へ歩み寄る。

 その背後で、女が襲い掛かった。

 その気配に振り返ったが、その攻撃を受ける前に、前に立ちはだかった者がいた。

「すみませんが、こいつは、殺さないでくれますか?」

 金髪の若者より、少し小柄な、黒髪の若者だった。

 何故か、いつもは一つ束ねしているだけの髪を、編み込んで淡い色のリボンで結んでいる。

「……蓮? お前さん、どうしてここに……」

「あんたこそ、なんでここに? あんたが出てるなら、オレらがここまでする必要、無かったんじゃあ?」

「いや、その女を死なせてはいかんのなら、オレでは無理だ。この女、力の加減が出来るような、弱い奴じゃない」

 思わず真面目に答えてから、思い出して振り返った。

 若者が寝ていた辺りの瓦礫に手をかける男に、蓮は呑気に言った。

「探す手間が省けた事には、礼を言いますよ、叔父上」

 便宜上、そう呼びかけた若者は、前で立ち尽くす女を見て、笑った。

「お蔭で、ここで、楓の中の薬を、抜いてやることができる」

「そういう話は、後でもいいだろ」

 無感情な声が、女の後ろからかけられた。

 瓦礫をかき分けていた凌が、思わず振り返る。

 女の背後から、握られた拳を攫んでいるのは、先程まで眠っていたはずの、セイだった。

 安堵の顔になった男を見て、若者は微笑んだ。

「お久しぶりです、凌の小父さん」

「ああ、こんな場所で言うのもなんだが、元気そうで、何よりだ」

「お陰様で、元気です」

「そっちの話の方が、今はどうでもいいだろうが」

 呑気な挨拶を交わす二人に、女の頭を攫んだ状態で蓮が鋭く言った。

「どうでもいいけど、待っている間は暇だから、仕方ないだろ?」

 セイはそう返し、女の様子を見やった。

 握った拳が緩まり、抗う力も消えた時、蓮の手が頭から離れた。

 体をふらつかせた楓を、セイが危なげもなく支える。

「あなた、セイ? どうして……」

「あんたを、探しに来たんだよ」

 無感情に答える若者を見返し、不意に顔を強張らせた。

「そうよ、里沙、里沙が……」

「そちらは、これから探すから、あんたは気にするな」

 うなだれる女の前に立つ若者と男の背後で、瓦礫から這い出た男が三人を睨み、女に向けて銃口を向けた。

「……あれ、止めた方がいいんじゃないのか?」

 女を支えたまま、セイが声をかけると、蓮は肩を竦めて見せた。

「オレの言葉で聞くはずが、ねえだろ?」

 そんな二人を見下ろしながら凌が頷き、銃口を向ける男の方に、声をかけた。

「そんな奴、殺す価値はないぞ、セキレイ」

「殺す価値もないが、生かして置く価値も、思い浮かばない」

 男の背後で、低い声が答えた。

 振り返って身を竦める男の頭に、セキレイは銃口を突き付け、引き金に手をかけている。

「……警察に、任せてくれる約束でしたよね?」

 溜息をつきながらロンがそんな男を制し、蓮に声をかけた。

「蓮ちゃん、どうしてこの子を連れて来てるのよ。しかも、どうして、あなたの方が、女役?」

 困惑する男に、蓮は目を細める。

「あんたは、これ目的で、あんな話に誘導したってのか?」

「そんなはず、ないでしょ。この子が係わってるのに、その子供のあなたを巻き込むわけ、無いじゃないのよ。偶々よっ。……今までのご無沙汰を、全部ひっくるめて返してもらおうと、ミヤちゃんも巻き込んだのにっ」

「……その辺りの話、詳しく、聞いてもいいか?」

 セイが、二人の会話に割り込んだ。

「まさか、蓮だけじゃなく、あんたまでこの件に係っていたなんてな。ミヤとエンに、一体、何を期待していたんだ?」

 無感情のままの問いかけに、ロンは珍しく後ろめたい顔で黙り込んだ。

 その様子を見て、凌が静かに説明を始める。

 ロンが連れて来た警察関係者が動く中、セイは立ち尽くしてこちらの様子を見ていたセキレイを、鋭い目つきで睨んだ。

「あんたの所の薬が、また係わっているんですか。いい加減にしてもらえないですか?」

 口調は丁寧なのに、無感情に響くその言葉に、薬品会社の社長は思わず首を竦めた。

 

 葵と瑪瑙に連れられてきた蘇芳と楓が、目の前でひしっと抱き合った。

「蘇芳、御免なさい。あんな些細な事で怒っちゃって。どうかしていたわ」

「私の方こそ、すまなかった。同伴させる者が多すぎたな。三人に減らしたから、それで許してくれ」

「勿論よ」

 それを見物している、楓の甥っ子たちは呆れ果てている。

「喧嘩の内容も、訳分らんが、仲直りの仕方も、訳分らん」

 一方、セイの方は凌から、ここに連れ去られてしまうような事態に陥った経緯も聞き、呟いた。

「……狼の小父さんも、あの中に来ていたんですか、昨日?」

「ああ」

「……どうでもいいんだけど、セーちゃん? どうして、この人もあの狼も、一緒くたの小父さん呼ばわりなの?」

 ついつい、ロンがそのあんまりな呼び方に物申すと、セイはきっぱりと言った。

「他に、どう呼べばいいのか、分からなかったんだよ」

「そういうことだ。今更、父親呼ばわりしてもらえるほど、深い付き合いでもないからな」

 この親子は……。

 溜息しか出ない男に構わず、凌が舌打ちした。

「あいつが、昨日の内にオレの匂いを辿ってくれていれば、お前さん達を煩わせることは、なかったんだが。折角、つけた匂いも覚えさせたってのに」

「あなたが、簡単に捕まるとは、思っていなかったんでしょう。……不測の事態も、あったようですし」

「どちらにしても、葵ちゃんから連絡が来て、助かったわ。よく分かったわね、あたしがこの件に係っているって」

 珍しく褒められつつも、葵は居心地が悪そうだ。

「その、狼の親父さんから、聞いてました、はい」

 それを聞いた蓮が、眉を寄せて大男を見る。

 セイは崩壊した建物を見回し、今回逮捕されるに至った例の遊園地の所有者と、その従業員たちを見た。

 今後の経営はどうなるのかも気になるが、目下の気がかりは……。

「後は、被害者を探す作業が、残ってるな」

「それは、完全にこちらの仕事、よ」

「手伝わなくてもいいのか?」

 当然のように問う若者に、ロンは首を振って答えた。

「あなたは、連れてこられた場所から、出口に出なきゃ。カメラに不自然さを残さないように。努力でどうしようもないくらい、時間が経ってたら改竄を勧めるけど、半日も経ってないもの」

「……連れてこられた所から、出る?」

 嫌そうなセイに、男は頷いて続けた。

「嫌だろうけど、そうするしかないでしょ? それに、これはついででいいけど、エンちゃんとミヤちゃんがどういう進展したか、見ておいてよ」

 それは、どうでもいい。

 そんな想いの若者の服の埃を軽く払い、ロンはその両肩を叩いた。

「よろしくね。……蓮ちゃんも」

「ああ」

 自分で埃を払い、女らしく見える様に身づくろいしてから、蓮が頷く。

 大人たちに見送られ、二人は連れ去られた場所に歩き出した。

「……おい、お前、昨夜、ここに下見に来たのか?」

 眠っていたのだから、帰り道など分からぬはずのセイが、迷わず並んで歩くのを見て、蓮が問うと、若者はあっさりと頷いた。

「一度も来たことがない場所に、のこのこ行ける程、素人じゃない」

 夜は、人形たちも動いていなかったから、恐怖も覚えなかった。

 心の中でそう付け加えるセイに、蓮は更に問う。

「その時に、里沙は助けた、のか?」

「いなかったよ」

 蓮が、立ち止まった。

 同じように立ち止まって振り返るセイに、若者は目を据わらせて問いかけた。

「なら、何で、お前も葵も、そこまで落ち着いてんだ?」

「葵さんが、取り乱していないのは、昨日から、だろ?」

「……」

 細くなっていた目が見開かれ、次いで逸らされるのを見ながら、金髪の若者はやんわりと言う。

「あんたは、変な策略の取り繕いで、後ろめたくなっていたんだな。何で、気づかなかったのか、不思議だったんだ」

「つまり、狼のおっさんは、凌の叔父貴の指示より、孫娘を取ったって事か?」

「当然のこと、訊くなよ」

 自分の保身に走る男なのなら、凌も初めから手伝ってもらおうとは、思わないはずだ。

 ウルと凌は、女をめぐる裏切り行為が起こる前は、親友同士だったと聞いた。

 銀髪のあの男は、情に厚い面がある。

 だからこそ、怒り狂って探し当てた夫婦が、子供を助けるために、殺されることも覚悟した時、怒りの矛を収めたのだ。

 今回も、事情を知れば、仕方ないと話を収めてしまうだろう。

「……あの人、永く生きている割に、損な役回りが多いな」

「それ、あの人も言ってたよ、自分で」

 セイは幼い頃、ウルに背負われた記憶はなく、先程は新鮮な気持ちで眠っていた。

 つい、感想が出た蓮は、話を元に戻した。

「じゃあ、何で、蘇芳と楓に、里沙が見つかった事を、教えねえんだ?」

「それは、あんたも、察してるんじゃないのか?」

「……」

 楓は凪沙、つまり葵の母親の姉だ。

 瑪瑙は姉妹の弟の子で、葵と同じ立場だ。

 親しくする理由はあるが、問題は、楓の旦那に収まっている狐だった。

 蘇芳は、雅の母の姉に当たる。

 その男に化けた女狐を、蓮の血縁者を中心に、嫌い始めていた。

 里沙をはぐれさせたと思わせて、何とか楓と疎遠になろうと目論んでいるのだ。

「婆さんたちが嫌ってるからって、別に葵たちが、血縁の者を遠ざける必要、ねえのにな」

「それで遠ざかってくれるかも、分からないけど、もしこのまま楓の訪問を許したら、もれなく蘇芳も、ついてくる」

 その言葉に、蓮は思わず息を詰まらせたが、セイは気づかぬふりをして歩き出し、連れ去られた場所の、隠し扉の前に立った。

 深呼吸するセイに追いついて来た蓮が、扉を開いて先に戻っていく。

 丁度、ミイラ男が展示されている場所だ。

 そのミイラ男が、突然前のめりになり、二人の前に体を乗り出す。

 声もなく身を竦める若者の隣で、蓮はその腕を軽く攫んだ。

「手を繋がなくても、いいのか? 本当に?」

「……いい。でも……」

 首を振ったセイは、小さく切り出した。

「髪を攫んでても、いいか?」

「……あんまり、引っ張るなよ」

 丁度、縄状に編まれた髪の先を、セイはしっかりと握り、蓮の後に歩き出した。

 髪の先から、本気で怯えているのが分かる震えが、伝わって来る。

 さっきまで仕事中だからと、気が張っていた分、気を抜いた今は、反動が来ているようだ。

 人形の少しの動きにすら、大袈裟に反応する若者を、目だけで振り返りながら、蓮が気楽に問いかけた。

「暗闇もその中で襲う者も平気なくせに、何だってこんなものが怖いんだ? 理解できねえんだが」

「あんただって、異様なほどに、火を嫌がるじゃないか。それと一緒だよ」

 そんな小憎らしい事を言うセイを振り返り、蓮は立ち止まった。

「な、何だよ、早く出よう」

 珍しいほどに弱い声音で言う若者に、蓮は意地悪く問いかけた。

「早く出ねえと、怖くて泣いちまうか?」

 そんな若者を見返し、セイは顎を引いて答える。

「あんたもな」

「ん?」

 妙な事を言った若者が、並んだ蓮の向こう側を指さした。

 振り返ると、そこにはフランケンシュタインの人形がある。

 そして、蓮の目の前に、特大級の火の玉があった。

 この日、このホラーハウスの従業員たちは、達成感が半端なかったに違いない。

 絶叫、そう呼んでもいい位に叫んだ二人が、脱兎のごとく出口から転げ出た。

 

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