第5話
初めてそれに気づいたのは、いつだったか。
元々、祖父のジャックが得意とする物を、セイはあまり好きではなかったのだ。
祖父は晩年、鍛冶師としての顔が目立っていたが、若い頃はそれこそ秘術の様な類を得意とし、仲間からも一目置かれていた。
セイが来た頃はまだ現役で、ジャックは引退するまで失敗することなく、使いこなしていた。
……死者を操る術を。
それを見るたび全身に震えが走り、それを祖父に知れてはならないと、必死で平然とした風を装っていた。
その震えが、嫌悪によるものではなく、恐怖によるものだと気づくのは、江戸に出た時だった。
ある見世物小屋で見た、からくり人形。
恐ろしく巧妙な作りで、本物そっくりのそれは、セイが見ている前でのっそりと動いた。
その後、どうやって隠れ家に戻ったのか、覚えていない。
どうやら、自力で帰ったらしいのだが、どうやってあの場を去ったのか、記憶になかったのだ。
最近では、店の服を飾るマネキン人形や、朱里が小さいころ遊んでいたビニール人形など、嫌でも目に付くところにあったから、多少の免疫は出来たが、それは、動かないと分かっているからだ。
「朱里の奴、誕生日にミヤに貰ったあの人形、里沙に贈ったらしい。親子二代に可愛がられたんだから、たかがビニール人形でも、動き出すかもしれねえなあ」
何を思ったのか、蓮がそんな事を言い出した。
「……何で、今、そんな事を言い出すんだ?」
四つ目のホラーハウスは、西洋のお化けや幽霊をメインにしたものだった。
その中の、フランス人形の前で、蓮が不意に言ったのだ。
目がぎょろぎょろと動く様を、見ないようにしながら問い返すセイに、蓮は振り向かずに答えた。
「いや、お前が、身近に動く人形はねえって、そう思ってるんじゃねえかと、思ってな」
「……あったからって、別に私は……」
「お、あの人形、こっちに来るぞ」
蓮が不意に指をさし、セイは悲鳴を殺しながらも、前を見据えてしまう。
何もない順路を指さした若者は、その反応を見て思わず吹き出しそうになるが、真面目に切り出す。
「怖いなら、手をつなぐか?」
「な、何を言ってるんだ、別に怖くなんか……」
睨みながら答えつつ、セイは手を握りしめた。
その中には、蓮からもらった錠剤が、握られている。
頼るものは、それで充分だ。
順路の半ばで、待っていた気配が近づいた。
目を交わすまでもなく、セイは口に錠剤を放り込んだ。
すぐに溶けていき、溶けきる前に、急激な眠気が襲ってくる。
手の中では溶けなかったのに、不思議な話だと思いながら、セイは誰かに背後から口を抑えられた。
体は動かない。目すら開かないが、頭ははっきりとしていた。
傍の若者も、こちらは抵抗せずに、眠らされた風を装っている。
何か固い物が、床に落ちた音がした。
自分の携帯電話だと気づいたが、動けないから拾う事が出来ない。
後で拾いに来るにしても、ここに戻るのは嫌だな、そんな考えを振り払い、セイは今後の動きを探る。
二人が似通った容姿で来るのなら、二人をカップルと勘違いした方は、どちらを女として扱うか分からなかったが、今日は蓮がかなり女寄りで、男女別々の場所へ連れていかれた時は、少し厄介だった。
里沙は兎も角、楓の顔を見た事があるのか、蓮に聞きそびれていたのだ。
葵の母親の顔は知らないが、もう一人の、今は亡き姉妹の事はセイも知っている。
が、楓はその女とは、小柄と言う所以外、全く似ていないのだ。
一緒の場所に連れていかれるのなら、隙を見て薬を抜いてくれるだろうが、どうやらそれは叶わないようだ。
後ろから続いていた、蓮を抱える者の気配が、どこかで別れた。
しばらくこのままか、暇だな。
そう判断したセイは、眠ったままで出来る事を、やっておくことにした。
すかっと、爽快。
そんな気分で軽やかに歩くのは、女の方だけだった。
「何か、色々すっきりした。来てよかったっ」
雅が珍しく明るく、声を張り上げた。
対するエンは、短い相槌を打つだけで、青ざめたままだ。
そんな男を振り返り、ようやく気遣いの言葉を投げる。
「すまなかったね、色々、一緒に乗ってもらっちゃって」
「いえ、約束ですから……」
だが、これ以上は、限界だ。
口に出そうな言葉を飲み込み、エンは何とか笑顔を浮かべた。
「ミヤこそ、これまで、色々気を病むことが多かったでしょう? 何もかも押し付けて逃げてしまって、すみませんでした」
「押し付けられたのは、私じゃないだろ。私は、出来る所を手伝ってただけだよ。それだって、自己満足の域だった」
仲の良かった女の一人の死を機に、見た目が若い頭領が初めて怒りをむき出しにし、盗賊紛いの集団は、壊滅状態にまで陥った。
その後、一方的な解散宣言を受け、生き残った者たちは散り散りになった。
落ち着くまではと、セイを日本へ強引に連れ出し、気安い地に落ち着かせたが、気が休まる前に、エンの手に異常が出た。
利き手の左手が、怪我の後遺症で動かなくなったのだ。
大概の怪我は治りが早いが、その傷は気づかぬうちに神経を腐らせていた。
「自業自得の怪我だったのに、周りに心配をかける程に、落ち込んでしまいましたからね。どうして、あそこまで、後ろ向きになったんだか……」
「そちらの方は、納得できる。君は、私が鼻を高くしたくなる程、手先が器用だったからね。逆に、立ち直ってくれてた、って方が意外だった」
エンが姿を消した時、もう、二度と会えないと、諦めていた。
後を追いたいのに、それには、残す者が多すぎた。
気にかかる者が多すぎて、姿を消した男の事など、考える余裕は、なかった。
その気にかけていた者の数人がエンを匿い、雅にそれをひた隠しにしていたと知った時、それこそ大暴れしたくなった。
が、同時に、ほっとした。
「きっと、これから先、気になる子が一人もいなくなったら、君の事を考えるようになっただろうから。そうなったら、きっと、耐えられなくなる」
どう後を追うか、そればかりを考えるようになるだろう。
「だから、この事では、もう文句は言わない。今日は、楽しかったし」
優しい笑顔を浮かべ、雅は男に近づいた。
見上げたエンの顔は、まだ少し顔色が青いが、血色が戻って来ている。
そっと男を見上げた女は、今まで言えなかった言葉を、ようやく投げた。
「お帰り、エン。また会えて、嬉しい」
目を見開いて雅を見返したエンは、表情を緩めた。
「ただいま、帰りました。永くご無沙汰して、すみませんでした」
伸ばした右手が、雅の顔に触れた。
その手に頬ずりし、エンの方へ体を寄せる。
そのまま腕を、男の背中に回した時、突然、けたたましい音が、胸元から響いた。
エンが、飛び上がって後ろに下がる。
雅の胸元の携帯電話が、着信を知らせていた。
「……あの子、何で、着信音が、目覚まし時計の、アラームなんだよっ?」
しかも、ベルの音で、更にやかましい。
完全に、雰囲気にのまれていた所の邪魔だっただけに、雅は流石に毒ついてしまう。
未だ鳴り響く電話を耳に当てると、ついつい不機嫌な声で対応する。
「もしもし? セイは、ここにはいないよ」
対する相手は、一瞬戸惑った。
「いないんですか? あれ? だって今……この携帯に、メールが……」
「ん? 君、瑪瑙? 珍しいな、君が、この子に接触なんて」
雅も目を瞬いて返し、それから眉を寄せた。
「メール? どんな?」
「あー、いえ、それは、仕事の話なので……」
「この携帯から届いたのなら、打った形跡があると思うから、秘密には出来ないと思うけど?」
意地悪な言い分に、傍で聞くエンは苦笑している。
困った瑪瑙が、誰かと会話を変わった気配がした。
「すいません、葵ですけど、どうして、セイの携帯を、あなたが?」
「落ちてたんだよ、遊園地内に」
「へ……あの、姐御。もしかして、今日でしたか? エンとのデートって?」
何で知ってるんだ?
そう思ったが、雅は否定せずに問いかけた。
「まあね。で、セイは、蓮と、何をしに、ここに来たんだ?」
だが、葵は逆に、確認の問いかけをする。
「あの、まさか、ホラーハウスには、入ってませんよね?」
「入ったよ。私だけだけど。そこに落ちてたんだよ、この携帯」
呆れた溜息が、通話口から聞こえた。
「そうですか、あいつ、落とすようなところに、それを入れてたんですかね。すいません、あいつと蓮で、ちと難しい侵入をしてもらってんです」
その経緯を、セイはメールで知らせて来た。
「余りに短いんで、確認のお電話をと、思ったんですけど、よく考えたら、とっ捕まってちゃ、取れる訳ねえか」
笑いながら言うが、聞き捨てならない言葉だった。
「捕まってる? 誰に?」
「……」
しまった、と悔いている気配があるが、遅い。
「葵君? 君、もしかして、あの子に、危ない事、させてる?」
「い、いえ。そういう訳では……」
「じゃあ、正直にお話なさい。初めから、詳しく」
優しく微笑みながらの、威圧。
それに抵抗できる者は、殆どいなかった。
薄目で連れ去られる場所を確認し、自分を抱えている男が前を進む男と別れ、別な部屋へと向かうのを見て、蓮は舌打ちしそうになった。
セイが自分に対して、術を使わないように、蓮もあの若者に対して、今迄一度も薬を用いた事はなかった。
寧ろ、敵に使われた時に解除する、と言う役割をそれぞれ担っていたのに、今回は事を急き過ぎて、セイを眠らせる方を選んでしまった。
二人一緒の場所に連れていかれる事を願っていたが、恋人同士を狙うだけで、使い道は別らしい。
こんな事なら、囮などと言う役でではなく、全て調べ上げてから、普通に協力を仰げばよかった。
セイを眠ったまましばらく放置するするしかない、と言う心配と、一人で女二人を探さなければならない、と言う不安が、今の蓮にはある。
里沙は兎も角、楓と言う鬼には、一度も会ったことがないのだ。
今まで会った鬼娘二人は、どちらも小柄ではあるが、顔立ちに似通ったところが、無かった。
大陸から渡って来た時に、父親に連れてこられた姉妹だと言うこと以外、凪沙の話にも出た事がない。
写真の一つくらいは、手に入れているべきだったと悔やみつつ、ふと違和感を感じた。
何か、大切なことを、見落としてないか?
いや、いつもなら、そこまで大事には感じない、ごく僅かな違和感だ。
薄目を開けたまま、連れてこられた部屋に転がされた蓮は、眠ったふりを続けながら昨夜のことを思い返した。
楓と所帯を持ちたい一心で、蘇芳は政治家として名を上げたと言っていたから、その女房がいなくなり、かなり錯乱していた。
ふざけた理由で女を怒らせたのだから、反省の色の一つも見せればいいものを、訳の分からぬ責任転嫁を繰り広げ、葵すら呆れ果てていた。
そう、呆れ果てていただけだ。
朱里も、蓮の持って来た話に、少々明るすぎる反応で乗って来た。
話がこちらの思惑通りに進む事に安堵して、よく知る者たちの様子がおかしい事に、疑問を持てなかった。
まさか、とは思うが……。
そこまで考えた蓮の思考を、突如聞こえた女の声と、その後聞こえた、何かが壁にぶつかって潰れる音が、遮った。
傍で、蓮を覗きこんでいた男が、壁を振り返って小さく悲鳴を上げる。
同時に、嗅ぎ慣れてしまった匂いが、鼻を突いた。
静かに、転がったままの体制で身構えた若者は、絹を裂くような悲鳴を上げた男を見止めた。
そこに立つ小柄な女と、その女に無造作な動きで腕をもがれ、悲鳴を上げ続ける男。
「そうよ、初めから、こうしておけば、良かったのよ。簡単だったのね」
そんな男を、乱暴に放り投げて、女は呟いた。
小さく何やら呟きながら、部屋の中にいた男たちが逃げ出すのを振り返り、女は微笑んだ。
それを見て、蓮は全身に衝撃が走る。
同時に、この女が楓だと、確信した。
女の鬼が、小柄な体とは裏腹の、剛力を持つことは、よく知っている。
「待っててね、すぐに、あなた達を、自由にしてあげるわ」
こちらを振り返って呟いた女の目は、狂気を孕んでいた。
ゆっくり部屋を出て行く、その後姿を見送りつつ起き上がった蓮は、周囲の惨状に顔を顰めた。
「あれが、楓か。とんだ化け物夫婦だったんだな、あいつら」
蘇芳は、すでに殆ど力を失っているが、未だに厄介な奴だ。
楓の方は、その連れ合いとは違う厄介さを、持っていた。
どこに向かったかは分からないが、今の内だ。
蓮は立ち上がり、廊下へ出ると薄目で確認した方へと、歩き出した。
これから起こる惨事を、最小限に止める為の、戦力が乏しすぎる。
セイを探し出して、早く起こさなければならなかった。
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