第19話
あの日、屋敷中の大人たちが慌ただしく動いていたんだ。何が起こっているのか分からないけど、周りの緊張感に僕はただ黙って半分開いたままの扉の隙間から部屋の中を廊下から見ていたんだ。
隙間から見えるフェリックス兄さんの部屋の中で、ベッドの横に座る母上の背中が震えているのが分かった。その姿も行き来する侍女たちに時々遮られて見え隠れしていたんだ。
「セバスチャン様」
名前を呼ばれて右を向けば、侍女のパメラが辛そうな顔で立っていた。
「フェリックス様は、きっと大丈夫ですから」
絞り出すように言ったパメラの言葉に、僕は顔をフェリックス兄さんの部屋へと戻した。
僕が赤ちゃんの時から兄さんはいつも家にいた。体が弱くて、あまり外で遊べない兄さんだけど、いつも優しい。
本が大好きな兄さんは良く絵本を読んでくれた。文字の書き方も教えてくれたし、兄さんは自分の分のお菓子も僕にくれた。顔についたケーキのクリームも笑いながら取ってくれる。
僕は優しい兄さんが大好き!
でも、6歳になった頃からみんなヘンなことを言うようになった。
『フェリックス様に万が一の事があったら、セバスチャン様がグリーウォルフ家を背負うのです』
と。家庭教師やアシルにパメラ。父上や母上まで、僕の顔を見るたびに言う。
『お兄様に何かあった時の為にしっかりお勉強を!』
『もし、フェリックス様がいなくなられたらセバスチャン様がこの家の主となるのですから、もっと自覚を持ってお勉強なさいませ』
『セバスチャン様にはもっとしっかりして頂かないとお兄様も安心できませんわよ』
『しっかりお勉強なさい!』
『もっとしっかり!』
――万が一ってなに?
――兄さんがいなくなったらってどういうこと?
――いつまで、しっかりしなきゃいけないの?
だんだん、みんなが厳しくなっていった。優しかった母上も。
兄さんは相変わらずベッドの上にいる事が多くて、僕とは違って兄さんにはみんなが優しかった。
僕の中でどうして? が大きくなっていった。
――どうしてみんな、兄さんにだけ優しいの?
――どうして僕はしっかりしなきゃいけないの?
――どうして?
――どうして?
ーーどうしてーー
やがて、僕はこんなことを考えるようになる。
『兄さんがいなくなったら、みんな僕に優しくなるの?』
兄さんが死んだらーー兄さんが死ぬ? ナニソレ…………
ぐるぐると暗い思考は頭の中で渦を巻いていた。
だから、あの日、兄さんがもうダメかもしれないと囁きあう使用人たちの声に、僕は仄暗い希望と血の気が引くショックとで茫然としていたんだ。
でも、兄さんは死ななかった。
それで良かったと心から思う。だって、今はお外に出られる日も増えたし、一緒に遊べる日も増えた。
もう、兄さんがいなくなったらって考えるのは嫌。
だって兄さんは生まれた時からずっと一緒にいるんだもん! これからも一緒だ!
……………なのに、あのガーデンパーティーで見知らぬ子の服に付いたクリームを兄さんは取っていた。いつも僕にしてくれるように。
兄さんが服や顔についた汚れを取るのは、僕だけでいい!
他のやつになんかしないで!
だって、兄さんは僕の兄さんなんだから!
これまでも、これからも、僕だけの兄さんなんだ――
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