第5話

 空が白々と明るくなり始め、次第に賑やかになる鳥のさえずりを聞きながら私は目を開けた。

 前世と現世の記憶が突然ごちゃ混ぜになった時は、今見ている天井に随分と違和感を感じて落ち着かないものだったが、今では随分と慣れた。


 ジーナが起こしに来るにはまだ大分早いが、私はベッドを出ると部屋の隅にある姿鏡の前に立つ。

 鏡に映るのは9歳の少年。栗色の髪は少し癖毛のようで大きく緩やかに波打っている。日本人の黒目とは真逆の明るいヘーゼルの瞳はいまだにちょっと慣れないが、鏡の中の自分の目を覗きこむ。


「私の名前はフェリックス・グリーウォルフ。グリーウォルフ男爵家の長男。現在、9歳。私はフェリックス。将来、立派で尊敬できる貴族になる。私は貴族。私は貴族」


 鏡の中のフェリックスを見つめブツブツと呟く私。

 頭がオカシクなった訳じゃございませんことよ? 自己暗示と言っていただきたい。

 性格や思考回路が前世の26歳を引きずっているのなら、自己暗示でも役に成りきるでも何でもいいからとりあえず自分自身が意識していなくてもフェリックス・グリーウォルフとして振る舞えるように刷り込めば良いんじゃないかと思ったのだ。


 ……まぁ、このやり方が効果があるのかは分からないが。


 とにもかくにも、朝と夜に自己暗示作戦を試してみることにしたのだが、まぁ、こんなとこ見られたら病気で脳ミソやられたかと心配されるのがオチなので、こうやって朝も早くから起き出してこっそりブツブツ呟いているのである。


 一通り呟き、窓の外を眺めながら体を伸ばしたり腕振りしたりしていると、扉がノックされジーナが入ってきた。


「おはようございます、お坊ちゃま! 今日はお早いですね」


 驚きの表情で言ったジーナに私はニコニコ笑いながら頷いた。


「うん。鳥の声で目が覚めたんだ。今日も晴れて気持ち良さそうだね」

「そうでございますね」


 最初のうちは驚いていたジーナだったが、私の調子が良さそうだからか嬉しそうに私の身支度を整えていく。

 グリーウォルフ家の朝食は夜に比べればとてもシンプルで、パンにスープ、サラダにハムかベーコン、ゆで卵に果物だ。朝食を家族でいただきながら、やはり当面の問題は夜ご飯だなと私は考えていた。

 あの、胃への爆弾のような晩餐をどう回避するべきか?

 朝食後に私はペンとインク瓶、紙を持って図書室へと向かった。昔から病弱なフェリックス君の調子が良い時の過ごし方は図書室で本を読む事だったので、ジーナは私を図書室の中へと見送ると自分の仕事へと去って行った。

 質素倹約地味男爵家のグリーウォルフ家だが、唯一の自慢とも言えるのが図書室だ。どうもグリーウォルフ家の当主は代々本が好きなようで、長年代々の当主たちが集めた本が広い室内に整然と、だが所狭しと備え付けられた立派な本棚にぎっしりと並ぶ様は壮観の一言。

 フェリックスだけでなく、私も長年図書館のお世話になってきた身としてこの環境は歓喜でしかない。


 何度見ても飽きない景色にほぅ、とため息を吐きしばらく紙とインクの独特な匂いを楽しんでいたが今日の目的を思い出し、私は窓の横に置かれた簡素ながらもしっかりとした造りのダークブラウンの机に座り、私は真っ白な紙に向かいペンを握った。



***



 朝食と同じような胃に最適な昼食を終え、私は厨房へと向かっていた。手には筒状に丸めた紙を持ち、向かう途中で執事のアシルを掴まえて。


「ケヴィンに用とはお珍しいですね、フェリックス様。どうかなさいましたか?」


 ケヴィンとはこの屋敷の料理長の名前。私はアシルの腕を引っ張り歩きながら、彼を振り仰いだ。


「晩餐のことで相談したいことがあるんだ。アシルにも聞いてもらいたくて」

「晩餐のことでございますか?」


 怪訝な顔をするアシルに構わず顔をまた前へ向けてどんどん歩く。アシルは私たちの少し後ろを歩いているジーナへ視線を向けるが、ジーナは小さく首を横に振った。

 そうこうしている間に厨房に到着。厨房内では、料理長ケヴィンと料理人、それと見習いの3人が昼食を取っているところだった。本当なら、大切な休息も兼ねた昼食時間は邪魔したくないが、この作戦は出来るだけ《大人》を巻き込みたかった。


「お坊ちゃん、どうかなさいましたか?」


 厨房にやって来た私たちに真っ先に気付いたケヴィンが立ち上がりながら驚いた様子で尋ねてくる。他の2人もつられて立ち上がり、こちらの様子を伺う。


 私は片手はアシルの腕を掴んだまま、えっとその、と自分の足元に目を落としモジモジと言い淀む。

 しばらくそうやっていると、今度は私の側に近づき、目線が同じになるように屈んだケヴィンが優しくもう一度問いかけてきた。


「どうされたんですか?」


 アシルは黙ったままで、どうやらしばらく私の出方を見守るつもりのようだ。

 意を決して頑張って言います! と見えるようになるべく真剣な表情を作りつつ、顔を上げケヴィンの目を真っ直ぐに見て私は口を開いた。


「晩餐のことで相談があるんだ!」

「どのようなことでしょうか?」


 真剣な顔で言った私に、ケヴィンも少し表情を固くする。雇い主の息子がなにやら切羽詰まったような切り出し難そうな面持ちで相談があると来られては、そりゃ緊張するだろう。

 周りの皆も固唾を飲んで見守っている。


「あのっ、これ!」


 学生のラブレターよろしく、ケヴィンに持っていた紙を突き付けるように渡す。受け取ったケヴィンは紙面を広げ、そして私の顔と紙面を交互に見た。


「これはレシピですね」

「レシピ?」


 ケヴィンの言葉に反応したのはアシルだった。不思議そうな顔でケヴィンの方へ身を傾けると、ケヴィンも紙の表をアシルへ差し出した。


「これは、お坊ちゃまが?」

「うん。図書室で調べたんだ」


 と、言っておく。

 今回の晩餐メニューをどうにかできないかと考えた時、そういえば、と思い当たったことがある。それは、体調が良くなって家族と晩餐を取った翌日は必ずと言って良いほどまた体調不良になっていた事。

 それはそうだ。油と香辛料と消化の悪いお肉のトリプルコンボが病み上がりの体に良い訳が無い。ましてや未熟な子どもの体なら尚更だ。この事に気付いたのも、前世の記憶が戻ったお陰。


 そして原因が分かれば対処あるのみ。

 ケヴィンに渡した紙には前世の私の知識を遺憾無く発揮させてもらったが、前世の食材がまるまるこの世界にあるかどうかは分からなかったので、そこは図書室で逐一調べた。だから『図書室で調べた』というのは嘘ではない。


 私が書いたメニューレシピは、根菜を主とした長時間煮込んだ薄味スープ。蒸した緑黄色野菜の温野菜サラダと蒸した鶏肉の香草添えにはどちらもソースの代わりにかけるのは新鮮なオリーブオイルと塩のみ。それとゆで卵と果物のシナモングリル。

 あえて炭水化物はメニューに書き加えなかった。これは前世の巷で流行っていたグルテンフリーを思い出したので、夕御飯だけパンを止めてみようという単純な思いつき。

 果物をシナモンと一緒にグリルするデザートは、前世、図書館で読んだ薬膳の本に載っていた応用バージョン!

 このメニューなら、一応体裁的には前菜からメイン、デザートまで揃っているから貴族の晩餐メニューとしても及第点、だと思うっ!


 いつの間にか集まり、私の書いたメニューレシピを回し読みしている大人たち。

 私はケヴィンに申し訳なさそうに言った。


「あのね、ケヴィンたちの作る料理はいつも美味しくて私はとても大好きなんだ。だけど、体が弱くて、美味しいのに食べられなくて、残しちゃうのが申し訳なくて…………」


 そう。完食したのは昨夜が本当に何年か振りなのだ。


「だからね、考えたんだ。体を強くしなきゃって。いつでもケヴィンたちの料理を全部食べられるように」

「お坊ちゃま………そんな! そのお言葉だけで私どもは幸せでございます。ですので、お気になさらず残していただいて大丈夫です」

「そうですよ! お坊ちゃま!!」

「そのように言っていただけて、料理人冥利に尽きます~!!」


 ガッシっ、と料理人3人目尻からキラリと光るものを飛び散らかしながら硬く拳を握り合い、ずずいっと私に迫る。


「しかし、お坊ちゃまが自らこのように素晴らしいレシピをお調べになり、お纏めになられるなんてっ!! 感動しました!」

「そ、そうかな?」


熱意の塊のようなケヴィンの圧に少々気圧されつつも私は彼らの顔を交互に見ながら言う。


「そ、それでね! 体が弱い間は野菜中心の消化の良いものを取ると良いんだって。それで、私なりにメニューを作ってみたんだけど。でも、これってケヴィンたちに協力してもらわないと出来ないし、それに………」


 と一度言葉を切り、父上似の強面男の子の上目遣いがどのくらいの効力があるのかと薄ら疑問に感じながら、私はケヴィンたちを見ながら続けた。


「いつも美味しいお料理を考えて作ってくれる皆の仕事を邪魔しちゃうし、私みたいな子どもが作ったこんな子供だましみたいなメニューなんか、迷惑だよね…………」

「「「何を仰いますか!! 迷惑だなんてっ!」」」


 噛み付かんばかりの勢いで、ケヴィンたち料理人3人の声がハモる。


「このメニューで早速今夜からお作りいたします! この命に変えても! 必ずや!!」


 ガッシ! とケヴィンにやや強めに握られ、輝く目で命まで賭けられて宣言された。

 ケヴィンの後ろではケヴィンの弟子にあたる料理人と料理人見習いがやる気満々に拳を高く突き上げてエイエイオー! なんて言っている。

 なんか、うちの料理人たちってこんなに熱い人たちだっけ?

 内心首を傾げながらも、一先ず目的は完遂出来たらしい様子に私は満面の笑みで感謝を伝えた。

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