第9話

 前世の記憶を持ちながらもフェリックスとしての生活に慣れ始め、新しい晩餐メニューに変わってからお腹の調子も体の調子も良く私は少しずつ体力も体調も顔色も良くなっていった。

 そして、今日は午後からセバスチャンとサロンで礼儀作法のお勉強。


 貴族のお仕事のひとつ、社交。

 社交には様々なものがあり、それぞれに礼儀や作法がある。

 父のヴィクトーは夜会や狩りなどの参加は本当に必要最低限しかしない。参加しても会話は一言、二言の無口無愛想っぷりで有名らしく、お陰で今は誘いの招待状など無いに等しい。そんな父の息子たちなので、これから参加する社交も必要最低限になるとしても、それでも男爵家の子としてちゃんとした礼儀作法は身につけておかねばならいのだ。


 社交界デビューは早ければ6歳。遅くても12歳までには社交界に顔見せをするのが一般的で、18歳になると成人となり、一人の立派な大人として、貴族として社交の場に立つ事になる。


 私は7歳の時に、テール王国第一王子生誕祭で社交界デビューをしたが、それ以降は体調の兼ね合いで一度も社交の場には出ていない。

 セバスチャンは今度行われるテール王国第二王子の生誕祭で社交界デビューの予定だ。もちろん、私にも招待状が届いているので二人揃って参加の予定。つまり、今日のお勉強はその為の挨拶の礼の仕方と女性のエスコートのお勉強なのだ。


 先生は執事のアシル。50代の渋いおじ様執事の所作はそれはもう優雅に流れるような動きで隙がなく、半端ない安定感と安心感。どんなに練習してもムリと思ってしまうほど完璧だ。

 まぁ、私にはムリです、と言ったところで免除される訳もないのでやりますけどね。


 アシル先生の指導の元、始めはぎこちなく優雅さの欠片もない私とセバスチャンだったが、次第にそれとなく見られるものになってきた。


「良くなってきましたね、フェリックス様。セバスチャン様」

「ほんとう?」


 にこっと微笑みながら言ったアシルに私はちょっと前のめり気味に言葉を発してしまった。何故なら、ティータイムまでで終わるのかと思っていたらティータイムを挟んでなお、みっちりお稽古中なのだ。

 ………私もセバスチャンもだいぶ疲れているんですよ。


 そんな私たちの様子は百も承知でニッコリとアシルは笑んだ。


「えぇ。それでは、今日のところは綺麗に自己紹介の挨拶が出来た方から終わりにしましょうか」

「はーい! はいはい! 僕やるー」


 終わりと聞いて、セバスチャンが勢い良く手を上げる。さっきまで少し不機嫌気味にやる気無さそうにしていたのに、急に元気だ。

 苦笑しつつも、アシルはそれではどうぞ、とセバスチャンを促した。


 小さな足の踵を揃えて爪先を少し開いて立ち、すっと背筋を伸ばしたセバスチャンはそのまだ愛くるしい顔に小花のような笑みを浮かべ


「セバスチャン・グリーウォルフと申します。お会いでき光栄です。どうぞ、以後お見知りおきください」


 と、流れるように右手を胸の前に持ち上げながら頭を下げた。その動作はもう一端の紳士のようでさえある。

 ゆっくり頭を上げたセバスチャンは、ドヤ顔で私とアシルを見た。


「?」


(…………なんだろう? 今のセバスチャンの顔、どこかで見たような………)


 何か、私の中で引っ掛かった。その引っ掛かりにアシルがセバスチャンを誉めているやり取りも遠いところで話しているように聞こえる。

 

(なんだろう。とても大事なことを思い出しそうな…………)


「では、次はフェリックス様」


 アシルに名前を呼ばれ、私は我にかえる。


「初めまして。フェリックス・グリーウォルフと申します。どうぞ、宜しくお願い致します」


 無難に挨拶の礼をした私は、セバスチャンの顔を見ていた。


「それでは、今日はここまでにしましょう。今日のレッスンを忘れないようになさってください。また明後日、レッスン致しますので」

「えぇーまだやるの!?」


 口を尖らせてアシルに言うセバスチャンの横顔に突然私は思い出した。

 見覚えのある横顔。

 それは、今の7歳のセバスチャンのものではなく、私が知っている15歳のセバスチャン――しかもモニター越しの彼の面影が重なり軽く眩暈を覚えた。

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