第8話 そのころ、横浜の領事館では

 そのころ、横浜の領事館では、ローランド家から派遣された、ワッツ商会のワッツ氏が領事館の職員に向かって、苛立ちながら愚痴を吐いていた。

「朝廷と幕府を仲違いさせようと、色々と画索するのだが、なぜか、力を合わせる方向にいってしまう。特に、折角、尊皇攘夷派の公家と浪士に資金を出し、焚き付けたのに、公家は途中で臆病風に吹かれてしまうし、浪士は仲間割れを起こし、今、幕府に居る薩摩藩の島津久光とか言うやつに粛清され、総崩れだ。何か、仲たがいする良い手はないか? 」

「ワッツ様、それなら、この日本の風習を使うというのはどうですか」

「風習? なんだそれは」

「武士は気位が高いのですよ。特に大名が通るときには、平民は全員地面に膝と頭を付き、通り過ぎるまで頭を上げないぐらいなんです」

「それで?」

「島津久光が江戸から京都に帰るその行列に、リチャードを突っ込ませるのです。奴は、「切り捨てごめん」で切り殺されるでしょうが、その賠償をネタに、色々幕府に請求するのですよ。それにより島津久光を捕え、薩摩を弱体化させるのです」

「リチャードか……」

「そうです。あいつ、傲慢で横柄なんで、日本人なんて猿と同等位に考えているでしょう。策を巡らすのにはまったく向いてなくて、我々も手を焼いているんです。この際、死んでもらって我が組織の礎になってもらうのが一番よろしいでしょう」

「なるほど、妙案だ。それでは、手配を頼むぞ」


 ワッツ氏は、領事館員に指示を出し、内心細く笑むのだった。


一八六二年八月、幕閣との会談を終えた島津久光は、江戸から京都に向かう途中、横浜の生麦村に差しかかった。

 その場所には、リチャードを含む後の生麦事件の当事者となる四名と、領事館職員の二人が、観光を兼ね、東海道を生麦村に向かって馬を駆けていた。

 当然、この光景を少し離れた場所から眺望している大和たちがいる。

「おい、長さん。これから、あいつら外国人が、あの行列に突っ込むのか? 」

「ああ、間違いない」

 大和と、ここで二日前に合流した影の一族、長さんと呼ばれた二人の会話に巫矢が口を挟む。

「ねえねえ、あの集団から身を隠すように離れていく二人怪しくない? 」

「巫矢、確かに怪しい。姫さんから聞いている人数は四人だ」

 巫矢と長さんの会話を聞いていた大和が口を開く。

「郷に入っては郷に従えだ。それなのに風習を利用するなんてな。あの二人がこの事件の黒幕の一派だ。事件発覚後、必ず黒幕に報告行くぞ。報告させてから、命を取るか」

「大和、任せて、そういうの得意だから」

「巫矢、あれを使うのか? なるべくむごたらしく黒幕の前で死んでもらおう」

 二人の会話に長さんが割って入る。

「おいおい、どういうことだ? 」

「まあ、見ていればわかるよ。それに始まったみたいだ」


 薩摩藩の行列から、騎馬している四人に向かって、手振り身振りで馬を下りるよう指示しているが、言葉が通じないため、四人はそのまま、行列の中を進んでいく。

「まったくキイキイやかましい猿どもだ。おい、デックこいつらなんて言ってるんだ? おい、デックどこに行ったんだ? 」

 リチャードは、領事館職員のデックを探すが、さっきまでいたはずのデックはどこにもいない。そして、いよいよ、リチャードたちは、行列の中心、島津久光の乗った駕籠へと近づいていく。

 それを遠目に見ていた。領事館職員のデックともう一人は、いきなり行列とは反対方向に馬を走らせた。


「逃がさないよ!」 

 巫矢は、長めの作務衣の裾を翻し、腰に巻きつけられたガンベルトから、神魂0式を一瞬で抜くと、ろくに狙いも定めず引き金を引いた。

腰が細いため、普段から身に着けている神魂0式は作務衣の上からでは目立たなかったが、日常から武装し、その抜き身は恐ろしく洗練されたものであった。


 パンパン。かわいた音が一帯に響き、薩摩藩の武士たちは、銃が発砲されたものと勘違いし、一斉にリチャードたちに刀を抜き切りかかった。

 

一方、撃たれたと思われた二人の領事館員は、更に馬を飛ばし、横浜の領事館に向かっていた。

 そして、領事館職員デックともう一人は、領事館に飛び込み、ワッツをはじめとする領事館員に囲まれながら馬から飛び降りた瞬間、背中から噴水のように血が吹き出し、呻きながらうつ伏せに倒れた。それでも、血は噴水のように吹き出しつづけ、体中の血が噴き出したのではないかと思う頃、やっと血の噴き出すのが止まったのだった。

 その光景は、辺り一面を血に染め、領事館に詰めていた兵士でさえも、凍りついたように身動きできず、リチャードと共に行動して、傷を負いながらも、何とか逃げかえった三人も何が起こったか分からず凍り付いている。

 そのため、本来なら、リチャードの死後、すぐさま、島津久光の捕縛に向かう予定だった兵士たちの士気が落ち、なんとか大名行列までは行ったが、小さな小競り合いの後、そのまま行列を通すことになったのだった。


 ところで、巫矢が撃った弾は、ニードル弾といい、ガラスのように薄く筒状になった鉄に薬莢を充填した物であった。この弾に撃たれたものは、痛みをほとんど感じす、貫通した銃痕から死ぬまで血を吹き出し、止血不可能な死神の放つ弾丸と恐れられていた。


 巫矢は、その弾丸を心臓の筋肉に達する数ミリで止める射程距離で撃ち、体に衝撃が加えられたとたん、一気に心臓を貫くところに打ち込んだのだ。

 このような普通に考えれば真っ直ぐ飛ぶとは思えない特殊な弾丸を、遠く離れた一点を撃ち抜くことを可能にする巫矢の技量と神魂一族の技術に、逃げた領事館員の二人を追うことともなく、平然としている大和と巫矢に、後で聞かされた長兵衛は恐れ慄くのであった。


その後の生麦事件における賠償交渉は、なぜか、弱腰のイギリス領事館館長とすべてをうやむやにしようとする薩摩の間に入った幕府によって、島津久光や薩摩藩の重臣を捕虜に差し出せというイギリスの要求を退け、武士のメンツを保った形で決着した。しかし、横浜イギリス領事館で起こった惨劇を目の当たりに見ていないイギリス本国やローランド家には遺恨を残す結果になったのだった。


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