URS ザ・モンスター
このままでは、いずれ壁は壊されてしまう。どうするべきか、桃李は考えた。だが、良い方法は浮かばない。人の味を覚えたクマが相手だ。矢を当てた所で、急所を射抜いて絶命させない限り追いかけてくるであろう。そして、今の桃李には急所を正確に射抜く自信はない。
――自分が囮になって、その隙に理央を逃がそう。
「理央、ヤツが入ってきたら、俺が矢を放つ。その間に逃げてほしい」
今まで、理央を傷つけるものは誰であろうと許さなかった。それは当然、クマだって同じことだ。理央が生き残ってさえくれれば、山狩りが始まってクマは射殺されるだろう。すでにこいつは一人殺している殺人グマだ。どうして駆除がためらわれようか。己の命と引き換えに、この陸のジョーズを道連れにしてやろう。そう桃李は覚悟を決めた。
「だ、駄目だよ! そんなの絶対駄目!」
いつになく、理央は強気に食って掛かった。
「このままじゃ二人とも死ぬ。それよりは……」
「駄目だよ。もっと考えなきゃ。二人で生き残る方法を」
弱気になっていた桃李と違って、理央はまだ希望を失っていないのだ。そうだ。自分が犠牲になって理央だけを逃がす、などと気のいいことを言っている場合ではない。二人で生き残る方法を考えなければならないのだ。自分と会えなかったことで理央がどれほど悩み抜いたのか、先程聞かされたばかりではないか。もし、自分がクマに殺されるようなことがあれば、残された理央の悲しみは察してしかるべきだ。桃李は目を覚まされたかのような目で、理央の顔を見つめなおした。小動物のような愛らしい顔立ちをしていながら、その目つきは最後まで敵と戦おうという強い意志に満ちている。
理央は小屋の中にあったガス缶を並べた。
「ガスを部屋に充満させておいて、奴が小屋に入ってきたらボクがスプレーで怯ませる。その隙に小屋を出て、火矢を小屋の中に放つんだ。そうすれば小屋ごと奴はドカン、さ」
「何か昔そんな映画を見たことあるぞ……」
そう思うと、何だか桃李は映画の登場人物になったようでわくわくした。
「後は矢にどうやって火をつけるかだよな……」
「これとかどうかな……」
理央は救急箱から綿を取り出し、矢の先に巻きつけた。そして、ワセリンをその上から塗りつけた。
「ワセリンコットンっていうのを前に聞いたんだ。本当は火でワセリンを溶かして綿に吸わせるみたいなんだけど、そんな余裕はなさそうだから……」
「よく知ってたな……」
「えへへ、役に立ってよかった」
そうしている間にも、壁は体当たりされ続けている。この古い小屋では、破壊されるのも時間の問題だ。
理央は工具から錐を取り出して、並べたガス缶の一つ一つに穴を開けた。火を投げ込めば、すぐにでも引火するであろう。
「さぁ……来い!」
桃李は壁の向こうのものに向かって吠えた。自分を奮い立たせるためであった。理央も、クマよけスプレーの缶を固く握りしめていた。
どん、どん、どん、どん
木の壁から、音が鳴る。
どん、どん、どん、どん
「来いよ……入ってきた時がお前の最期だ」
桃李がそう挑発した、その時である。
壁が蹴破られ、黒く大きなものが姿を現した。
「き、来たぁ!」
大口を開けて吠えるクマに、二人は腰を抜かしてしまった。そうしている間にも、クマは二人の方へ向かってくる。
「このっ!」
理央は咄嗟にクマよけスプレーを噴射した。スプレーに含まれる唐辛子の成分で、クマは目や鼻の粘膜を刺激されて苦しみ出した。
「今だ! 逃げよう!」
理央は桃李の手を握って引っ張り起こし、扉を開けて小屋を出た。暫く走って距離を取ると、理央はポケットからガスライターを取り出した。細長い形状をしていて、引き金を引いて炎を出すタイプのものだ。
「火を点けるよ」
「おう、頼んだ」
桃李の持つ矢の先に、理央はガスライターで点火した。ワセリンを塗られた綿が、爆ぜる音とともに燃え出す。
開け放たれた小屋の扉を見ると、あのクマが二人を睨んでいた。殺意で満たされたような、恐ろしい目をしている。
桃李は深呼吸をすると、火のついた矢をつがえて引いた。後は、全て自分にかかっている。
桃李、父に付けられたこの名前は、古代中国、前漢時代の名将
今、自分は李広なのだ。李広のように、襲い来る敵をその弓矢で討たねばならない。そう念じて、桃李は狙いをつけた。
「死ね、化け物」
矢が放たれる。クマが扉の外へ出ようとしたまさにその瞬間、矢が小屋の中に飛び込み、ガスに引火して爆発を起こした。
大きな爆音に、二人の少年は耳を塞いで顔を伏せた。
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