クローズド・フォレスト

 二人はかんぬきで扉を内側から施錠すると、小屋の中を確認してみた。壁の上の方に小さな窓がついており、そこから日の光が漏れ出ている。小屋の奥には布団が畳まれており、引き出しやプラスチックの小箱などが置かれている。


「ごめん、俺のスマホ忘れてきた……理央のは?」

「駄目だ……充電切れてる」


 スマホが使えない、ということは、結局自分の足で助けを呼びに行かなければならないということだ。しかし、不用意に外に出ればクマに襲われる可能性がある。

 恐らく、あそこに倒れていた死体はクマに食われたものだ。となれば、あのクマは人の味を覚えている。執拗にこちらを追ってきたのも、人を餌だと認識したからだろう。

 そのことを思うと、桃李は寒気を覚えた。人の味を覚えたクマなど、もはや陸のジョーズのようなものだ。


 二人は小屋の中にあるものを漁ってみた。救護用品や水、食料などの他にガスコンロとそれに使うガス缶ガスライターなどの着火用品なども見つかった。しかもありがたいことに、引き出しの中からクマよけスプレーが出てきた。人の味を覚えたクマが相手では一時いっときの足止めにしかならないだろうが、何もないよりはずっとよい。桃李は武器を持たない理央に、クマよけスプレーを手渡した。

 桃李は紙コップを二つ取り出すと水を注いだ。一つは理央に手渡し、もう一つは自分が飲んだ。

 水を飲むと、桃李の中の焦燥が幾分か和らぎ、落ち着きを取り戻すことができた。


「ごめん……桃李」

「え……」

「こんなことに巻き込んじゃって……全部ボクが悪いんだ」

「どういうこと?」

「ボク……桃李に嫌われたんじゃないかと思って……」


 そこから、理央は何故自分があの場所にいたのか、ことの顛末を話し始めた。


***


 桃李と会わなくなってから、理央は思い悩んでいた。


 ――もしかして、自分は嫌われてしまって、避けられているのではないか。


 いつも桃李におんぶにだっこであったことを思えば、重荷に思われても仕方がない。けれども、長らく付き合いのあった彼に拒絶されたということを思うと恐ろしかった。

 何とか会って話がしたい。仲直りがしたい。そう思わない日はなかった。けれども弓道部で忙しい彼に対して中々切り出すことができないまま、一夏を空費してしまった。

 

 そんな中、テレビで芸能人が川魚の塩焼きを食していたのを見た。理央はその時、桃李と以前に川釣りをしに行った時のことを思い出した。その時以降、桃李はその時川魚の魅力に取り憑かれたようで、それから幾度となく釣りに行っては魚を持ち帰っていた。


 ――そうだ、これだ。


 川魚を釣って、おすそ分けという名目で桃李の所へ持っていこう。そのついでに、彼と仲直りするきっかけを探ろう。

 そう思って、理央は釣りに出かけた。他に釣り人がいないこともあって、釣果ちょうかはそこそこであった。

 釣れるものは釣れた。さあ帰ろう。そうして帰路に就いた理央が道中で目にしたのが、あの死体と、クマの足跡であった。

 

***


「謝らなきゃならないのは俺の方だ……ごめん、理央」


 桃李の方も、何故理央を遠ざけたのか、その理由を包み隠さず話した。


「理央がどんなに悩んでたか、考えてなかった。もしよかったら、これからも仲良くしてほしい……」


 理央は桃李との関係が壊れることを恐れていた。しかし桃李の方もまた、理央のことを常々考えては煩悶していたのである。桃李はそっと右手を差し出した。


「勿論だよ。桃李」


 理央は、桃李の手をしっかりと握った。桃李もまた、握られた手を握り返した。


 小屋の中は、二人だけの世界であった。この薄い木の壁とトタン屋根が、二人と外界を隔絶させている。疲れからかしなだれかかるように寄りかかってきた理央の肩を、桃李は優しく抱き寄せた。

 久しぶりに感じた、理央の温もり。理央の体温が自分に伝わってくるのを感じて、桃李は自らの心臓が、クマと出会った時とはまた違った風にどきどき鳴り出しているのを感じた。


 ――ああ、ずっとこうしていたい。


 桃李は、もしやすれば自分の理央への想いは友情の一線を越え出しているのかも知れない、ということを自覚し始めていた。その感情の正体が何であるかはまだ分からない。けれども、ただならぬ何かであることだけは理解できる。

 

 そうした、二人だけの静寂を、背後から鳴った音が邪魔立てした。


「うわっ!」


 驚愕のあまり、桃李は叫び出した。理央もすっかり目が覚めたようで、目をきょろきょろと泳がせている。


 どん、どん、と、音は立て続けに鳴っている。扉と反対側の壁に、何かが体当たりを仕掛けているのだ。


「まさか……追ってきたのか」


 人の味を覚えたクマが、餌である自分たち二人を追いかけてきたのだ。そう桃李は判断した。

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