第4話 失ったもの

それから、朝顔が嫌いになった。

それまで屋敷の至るところに生えていた朝顔は全て処分し、自分の目に入れることを極力避けた。

そうしなければ、幼い自分の心を守れなかったのだろう。

あれから何度も夏を迎え、何度も夏が終わった。しかし今でも、朝顔は苦手だ。


(朝顔が悪いわけじゃないのだけど)


その記憶は、遥か遠くの記憶。まるで玉響のように一瞬で、一時の苦い思い出。

それでも確かに胸の奥底にしこりのように残り、忘れた頃に酷く燻る厄介な代物だった。

あれきり男君には会っていないし、その行方も全く知らない。


だが、もうこんな記憶と一緒に居てはいけないのかもしれない。


「いつまでもこんな感情に振り回されているから、わたくしは前に進めないのよね」


これから自分は、顔も見たことがない誰かの妻になる。きっとこの想い出は、感情は、捨て去らなければならないのだ。


(相手を想うことができれば、この記憶も忘れられるかしら?)


顔も知らない、話したこともない。

今日初めて会う背の君となる人を、心から愛することができれば、いずれはこの悲しい記憶も忘れ、朝顔も好きになれるかもしれない。



「…」


有明に咲きすさびたる朝がほの まだ知らぬ人を思ふなりけり

(朝が来れば朝顔の花が咲き誇るように、いつか私も新しい恋をすることができるのでしょうか)


「よし」


葵は声を上げて立ち上がると、くるりと朝顔に背を向けた。


「ええっと今日は湯あみをして…お化粧もきちんとして…ああそうだ新しい衣も出さないといけないのだわ」


準備することはたくさんある。

正直、あまり興味はないのだが張り切って用意してくれた両親や女房達の事を考えると、その思いを無下にはできない。


涼風に揺れる朝顔を後にし、ぶつぶつと呟きながら葵は再び部屋へと戻った。

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