17.それは少し、夢の中の甘い時間 【2016年GPファイナル】②

 シーズンに入っても、よっぽどのことがない限り日曜日はオフの日にしている。


 取材があった週の日曜日の夜。夕飯を食べつつ、テレビではファイナルの放送を見ている。生中継じゃなくて、録画放送。だから全ての結果は知っている。


 今日の放送は男女フリーだ。こういう時、カップル競技が放送されないのはどうかと思ったりする。

 食卓には三人の好物がバランスよく並んでいる。父の好物のほうれん草の白和え。私の好物の大豆入りミネストローネ。母の好物のごまだれで食べる豚しゃぶ。などなど。他はグリーンサラダ。今日は普通のご飯だ。食材の変な組み合わせは見当たらない。……そう思っていたら。


「……白和えにパクチーを入れて欲しくはないのですが」

「いいじゃない、面白くて」

「次は普通のものが出てくると期待しています」

「そのうちこれがスタンダードになるわ」


 父が気が付いた。しれっと答える母に、父はそのまま箸をつける。父はパクチーが嫌いではないのだが、「なるべくなら入っていてほしくないものにパクチーが入っている」のが嫌らしい。……ちなみにこのパクチー入りのほうれん草の白和えは「スポーツ管理栄養士が送る、彼氏に食べさせたいゲロマズ料理集」という、母が去年出版した料理本に載っている。結構売れて重版がかかり、第二弾も打診されているようだ。私も箸をつけてみる。……うん、最初食べた時はビビったけど、これは慣れてきた味。


 テレビでは女子シングルの6分間練習が行われている。


 最初に女子シングル、次に男子シングルが放送される。


 ステイシーは慣れた空気を楽しんで流している感じがする。小柄な里村さんは、六人の中に混ざるといっそう細さや小柄さがわかる。それでも滑りは速く、力強い。マリーアンヌと杏奈は少し固い顔をしている。


 最初の滑走はショート6位、ステイシー・マクレア。


 ミルクティー色のボブカット。真っ黒いセクシーな衣装で滑るのは、ブラット・ピットとアンジェリーナ・ジョリーがダブル主演した映画「Mr.&Msスミス」。


 最初に飛び出てくるのは、三回転フリップ+三回転トウのコンビネーション。ジャパンオープンやフランス杯でも盛り上がったプログラムだ。舐めるようなスケーティングから繰り出される色気とキレ。アンジェリーナ・ジョリーが乗り移ったみたいだ。後半、ルッツがパンクしたり、サルコウをステップアウトとやや失速したが、演技そのものはダレることがなく纏まりがあったのは流石だ。


 二番滑走は里村さん。ショートは見た目はノーミスだったけれど、コンビネーションジャンプのセカンドがダウングレードと判定され、点数が伸び悩んだ。このフリーでも転倒もなくステップアウトもなく、ぱっと見ミスは見当たらない。しかしジャッジの目は違うのだろう。総合得点はステイシーの上に立ったが、フリーでは2位になった。……大丈夫かな、里村さん。日本大会で右足を捻挫したという噂があったから。


 次滑走は……うげ、と言うのをなんとか抑える。

 ショート4位、アメリカのジョアンナ・クローン。


 スケートアメリカで四位だったジョアンナは、第三戦の中国杯で里村さんを抑えて優勝し、ファイナル出場を決めた。


 ジャパンオープン、スケートアメリカのショートでの不振はどこへ消えたのか。ラベンダーブルーの衣装を纏ったジョアンナは、映画から抜け出したシンデレラそのものの輝かしさがあった。6分間練習も、スケートアメリカの時のような危なっかしさがない。あの時は彼女の動きが読めなくて、ぶつかりそうになってさっと避けた覚えがある。杏奈も似たようなことがあったと言っていた。


 彼女の容姿がディズニーのようにきらきらしいのは認める。昔は健康にした感じのマリリン・モンローとか思ってたけど。ただ、もともと彼女のスケートは、プリンセスのように優雅で気品に溢れた……というものではなかった。品はあるけれど、どちらかというとスポーティで、どこにでもいる明るいティーンの女の子、と言う感じだっった。ジュニアの時のピンクパンサーも、それを生かしたコミカルなプログラムだった。


 その容姿さながらの魅力を引き出したのは、間違いなく振付師の堤昌親で。

 不振から抜け出すような魔法を与えたのも、間違いなく振付師の堤昌親なのだ。


 

 キス&クライでコーチのリチャード・デイヴィスと笑顔で隣り合う。ノーミスもノーミス、悔しいことにパーフェクトな演技だった。ステイシーと里村さんを抜かして暫定1位に踊りたつ。


 次滑走、ショート3位の日本の安川杏奈。

 今季安定している「こうもり」を披露する。


 三回転ルッツ+三回転ループのコンビネーションが、ループが二回転になってしまった以外は目立ったミスがなかった。その後もジャンプ構成を変更したりしてリカバリーしていたし、スピンもレベル4だ。ワルツを踊るようなステップも魅力的に滑れていたと思うのに。


「杏奈ちゃん、いい演技だったのに残念ね」


 母が大豆入りミネストローネを啜りながらポツリとつぶやいた。

 ……私の採点だとちょっと納得がいかない。完全に贔屓目だけど。ショートは3位だった杏奈だが、フリーとの総合得点でジョアンナに抜かされる。二つの演技を見比べて、杏奈が劣っていたようには思えない。


 そんな私の思いをよそに、演技はマリーアンヌ・ディデュエールと世界女王、エレーナ・マカロワに続いた。


 マリーと初めて試合に出たとき、比べられたくないほど上手く、圧倒的な力を感じたものだ。

 それでも上には上がいる。

 女子シングルは現世界女王、ロシアのエレーナ・マカロワが優勝を飾った。

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