9.桜の乱【2016年スケートアメリカ その②】③
「ありがとうございます」
記者会見が終わった後、私と杏奈は深々とシンプソンに頭を下げた。
一悶着の後も会見は続いたけれど、刺々しい空気は最後まで払拭されることはなかった。特に、ミス・シンプソンに対する風当たりが強くなった。私たちを庇ったからだ。
日本のマスコミが海外の選手に失礼な質問をした例はたくさんある。
だけど、海外の記者からこんな刺をもらったのは初めてだった。
会見が終わり、プレスルームを出たところで、シンプソンが話しかけてくれたのだ。ーー二人とも、お疲れ様。さっきはよく対応したわね、と。
「いいのよ。あなたたちがいい演技をしたのは喜ばしいことだし、アメリカ人はアメリカ人が大好きな風潮があるから。マスコミや一般人が求めるのは、スター選手かシンデレラなのよ」
ミス・シンプソンはそこで自嘲気味に笑った。私はスターでもシンデレラでもないから、と。亜麻色の髪にダークグリーンの瞳。23歳のベテラン選手は、世界選手権のメダリストでもある。
「日本のマスコミも多くきてるからね。それが気に食わないうちの国のマスコミも多いわ。ここはスケートジャパンか、って言っていた人もいるしね。……もしかしたら、こういう質問をして、あなたたちから浮かれた言葉でも引き出そうと思ったのかもしれない」
昔、日本のマスコミが自国の選手の活躍に浮かれて、公式記者会見の際ににとんでもない質問をした、というエピソードを思い出した。その大会は、今回と同じくスケートアメリカだったような。……あなたが失敗して、これで日本の優勝争いになったわけですが、と。
「そうすれば少しは牽制になるから、ですか」
「そうね。バッシングまではいかなくても、否定的な記事はいくらでも書けるから」
杏奈の言葉をシンプソンは肯定する。
アメリカ人の心になって考えてみる。今でも十分強豪国だが、かつては現在の比ではない。かつてのアメリカは、五輪金メダリストも何人も出した超大国だ。だが、今では人気もあまりなく、実力者はいても絶対的にその競技に君臨する強い選手がいない。例えば、ロシアで言うアンドレイ・ヴォルコフとエレーナ・マカロワ。日本で言うと、神原出雲。実力者ではだめなのだろうか。
正直私は、どんなに苦手だろうとジョアンナにショートだけでも勝てるとは思っていなかったし、今日の私の演技がたまたま当て嵌まってミス・シンプソンの上に行っただけだ。
だが。
自国のホスト大会で、自分の国の選手よりも他国の選手が活躍していたら、メディアとしてはそれは面白くもないのだろう。
調子に乗るな、と言いたい気持ちも少しだけ理解できる。……理解できるのと、私の心情は別物だが。
「記者が全員が全員、スケートやスポーツに精通しているわけではないからね。これは覚えておいた方がいいわ。ゴシップ紛いのことを書くやつだって、額面しか見てないやつだっているから。ーーインタビューや会見の時は、相手の言葉を吟味して、自分の言葉で自分を守るのよ」
シンプソンのキャリアは相応に長い。バンクーバーは16歳、ソチ五輪は20歳で出場した。……その間に、メディアと一悶着とまで行かなくても、何某かの食い違いやスレがあったのは、想像に固くない。
「でもまぁ、二人とも大丈夫そうね。ちょっと意地の悪い質問されても冷静に対応していたし。少し安心したわ。若い子はこういう対応に怖気付いちゃう子も多いし、それも仕方がないことだけどね」
私と杏奈は顔を見合わせて笑った。杏奈と一緒に認められている、と思うと少し嬉しい。
ぱん、と手を叩きながら、シンプソンは笑った。この話はもうこれで終わり、と言うように。
「これから男子のショート見に行くんだけど、どうせなら二人とも一緒に見ない?」
「いいんですか?」
思わぬ提案を受ける。
「もちろんよ。それから、ミス・シンプソンではなくジェシカでいいわ。どうする?」
断る理由はない。せっかく声を掛けて頂いたんだし、知り合った縁もある。杏奈と顔を合わせて、よろしければ是非、と答える。
「……と。ジョアンナ!」
少し離れた隅で小さくなっていたのは、金髪碧眼の女子選手。
ショートプログラム六位の、ジョアンナ・クローンだ。普段は明るいカラッとした女の子……というのはてっちゃんの談だが、その様子は今は影を潜めている。
自国の先輩には逆らえないのか、ジョアンナは素直にこちらにやってきた。
「あなたも来なさい。今日の出来は引きずりすぎていても仕方がないわ」
「……でも」
「悪い理由なんてないわ。二人とも、いいかしら?」
杏奈がちらっと私の方を見た。目が、大丈夫か聞いている。杏奈は、私がジョアンナを苦手だと知っている。
……彼女のことが苦手でも、さっきの演技は気の毒だった。失敗して欲しいとは思わないし、良い演技をしてほしいとは思う。それと私の感情は別だけど。でも……。
心の中で出てきた映像を必死で振り払った。あれは関係ない。それに。彼女が来て私が去ったら、ジェシカに不審がられるだろう。そういう事態は避けたい。私は杏奈に大丈夫だよ、と念を込めて笑った。
「はい、勿論です」
隣には杏奈がいるし、何よりてっちゃんの演技を見たい。失礼なようだけど、当たり障りなく話して隣にいるだけ、と考えればいい。気にしないように。
笑って答えられた筈だ。目の前のジョアンナも、張り付いたような笑顔で私を見つめていた。
関係者席に座ると、第一グループの6分間練習が始まるところだった。
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