3.安川杏奈

 昼下がりのコメダ珈琲はランチを求める人とコーヒーを求める人で異様ににぎわう。個室感があって、ソファが柔らかすぎずに絶妙に固いところが落ち着くのかもしれない。


 名古屋人のコメダ好きは有名。私こと、安川杏奈もコメダが大好きだ。


 スマートフォンを見ると、SNSのトークルームは、新着のメッセージを知らせていなかった。この数日、私に切羽詰まったメッセージを送ってきた子は、当日の昼になって精神的にもようやく落ち着いてきたみたいだ。私が『落ち着いて。大丈夫よ。どうにかなるわよ』と送った直後、すぐに既読の通知が付いたけれど、その後はまるで何も来ていない。


「リア充になっている時はSNSから離れるらしいけど……」


 その一説は本当みたい。今頃彼女は、意中の人とときめく時間を過ごしているのだろう。もしくは心臓爆発させるような思いを体験しているか。

 是非そうであってほしい、と思う。


 雅とのトークルームを過去にさかのぼらせていく。


 件の出来事で彼女が真っ先に送ってきたのは、言葉ではなく焦り切ったと表現されるスタンプの数々だった。哲也君に誘われたと思われる直後だ。


 彼女はその時「でもてっちゃんはスケートの勉強って言ってたから! だからこれはデートではないから!」と……。ちなみにその後の雅からのメッセージは「着ていく服どうしよう」の相談だった。……雅、あなたもう少し考えてごらんなさい。哲也君がどう思っているかは知らないけれど、あなたそれ、あなた自身がものすごく「デート」として意識しているのよ。大体、どうでもいい相手だったら、切羽詰まった相談メールなんて送ってこないでしょうに。


 私が初めて会った時から、雅が哲也君に何か感情を抱いているのは何となく気づいていた。それが幼い故から生まれる「憧れのお兄さん」なのか、スケーターとして彼のスケートを純粋に尊敬しているのか、「自分の心の中に留まっている大事な人」――要するに恋なのかは、私も長らくわからなかったけれど。


 はっきりと「恋」だと私がわかったのはこの間の世界ジュニア。本人は焦りまくって否定するかもしれないけど、間違いない。私の周りはもう一人、雅の他に哲也君が好きな子がいる。その子と話している時に複雑そうな顔でそっと離れていったのを見たことがある。


 でも哲也君はそのあたりを全く気にしない。気にしないというのは間違いで、全く気が付いていない。だから雅が離れて行ったのにも、離れていった雅を確認してもう一人の子がめちゃくちゃ笑顔になったのにも全く無頓着になれるのだ。

 哲也君は恐らく、「異性として自分を好いてくれる女の子がいる」という想像が全く働かないのだろう。こと色恋に関してはかなりのお子様で、さらに言っちゃえば自分の心にすら気づいていない。だから自分を好きになる女の子を、知らないうちに傷をつけてしまう。割とひどい男なのだ。


 半分ぐらい残っていたコーヒーを一気に飲み干す。コメダはアメリカンよりブレンドの方が私の好みだ。冷めて酸味が出始めたけど、これはこれ。


「落ち着いて。大丈夫よ、何とかなるわよ」と雅にはエールを送った。でも本当はこういいたいのだ。

 聞いている人が誰もいないから、声に出していってみる。


「心配しなくても、哲也君は雅の事しか考えてないわよ」


 願わくば。雅の思いに哲也君が気が付きますように。

 そして哲也君が、自分の気持ちに気づきますように。


 さて私は……。


 スマートフォンから目を話して、ぐるりと目を一周させる。慣れ親しんだソファが並ぶ店内。

 行きつけのコメダ珈琲。テーブルには食べ終わったシロノワールの皿と、中身のないコーヒーカップ。読みかけの小説とiPodが雑然と置かれている。忘れちゃいけない、スマートフォンも。今日は雅と同じく、練習は完全にオフ。その代わりじゃないけど、午前中はバイトを入れた。週に二度、スケートリンクの受付で貸靴を渡すバイトをしているのだ。


 ぐっと伸びをして、呼び出しを押す。


 アスリートならば食事管理は徹底的に。それもフィギュアスケートは個々によってベスト体重は異なる。体重が増えすぎてジャンプが飛べなくならないように。まして、女子選手なら、これから訪れるのは体形変化の問題だ。私は今高校一年生。確かに、ジャンプを飛ぶとき体が少し重くなってきたかもしれない。気にしすぎかもしれない程度だけど。直面しなくてはならない現実だ。


 でも……。


「ブレンドコーヒー。それとシロノワール、もう一つ」


 注文を取りに来た店員さんに告げる。


 体重を気にして、ナーバスになりすぎて摂食障害になる可能性だってある。自分の体形や体質と向き合い、何が一番いいかを探り当てていく。


 iPodが適当にシャッフルされて滴当に曲が再生される。Nothing’s Caved in Stoneの「ツバメクリムゾン」だった。クラシックも大好きだけど、同じくらいロックも大好きだ。でも後者はなかなかプログラムには使えない。日本製なら猶更。


 我慢しない。


 オフの時こそ、メリハリを利かせて。聞きたいときに聞きたいものを。食べたいときに食べたいものを。

 だから今日。これからの私は、大好きなコメダ珈琲で、大好きな音楽と大好きな甘味とデートだ。


 後で雅に、今日の事を1から100まで聞いてみなければ。楽しみだ。

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