第6話 幟作りを依頼しよう

 

「うーん」

「あ、気がついた」


 ぱちぱちと目をしばたくと徐々に視力が回復する。

 どうやら朝のベッドではないらしい。眩しさに目を細めつつ、見知った顔をそこに見つけた。


「プァンピー……俺は一体」

「え!? ああ、なんか運悪く開いたドアに額をぶつけて気を失ってたんですよ」

「痛いのは右の頬なんだが……」

「まあまあ、そんなことより」


 じゃん、と両手をくの字に広げた。そこには女性が立っている。どうやらご紹介してくれるらしい。しかしこのナイスバディーのお姉さん……。


「なんか見覚えがあるような」

「夢でも見てたんじゃないですか?」


 そうか。そうかもしれない。なんせセクシーな姿だったからな。現実じゃないのは納得だ。


「えっと~。あたしはパレル。このお店の店長の娘でっす。メインは布問屋ですけど、小売もやってまーす。普段は私が店番してまーす。よろしくお願いしまーす」


 言い終わると、ぺこっと頭を下げた。ビジネスにおける自己紹介というものに慣れていないのだろうか、なんか合コンみたいな感じだな。褐色の肌に金色の混じった茶髪と軽い言葉遣いがまた合コンっぽい雰囲気を醸し出す。はっきりいってモテそう。短いハーフパンツからはみ出た健康的な太腿が――


「痛っ!?」


 どうやらプァンピーに足を踏まれたようだった。


「あー、ごめーん。踏んじゃいましたー」


 なーんという棒読み。わざと踏んだのではないかと疑いたくなるくらいに。まさか本当に、と思って表情を伺うように見ているとぷいとそっぽを向かれた。


「ぼさっとしてないで自己紹介してくださいよ、カオスさん」


 なんか言い方にトゲがないか? 俺が何をしたっていうんだ……。肩を落としつつ、パレルさんの方を向く。名刺がないので、やりにくい。突っ立ったまま自己紹介。


「俺はカオスと言います。えっと~、この世界、いや、街に来て間もなくてですね、右も左も分からないので、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いします」

「ぷっ、何それ~。右も左もわかんなかったから超不便じゃん」


 けたけたと笑うパレル。右も左も分からないってのはもちろん言葉の綾だけど、実質何もわかんないことは間違いない。しかし距離が近いというか、初めて会ったのに話しやすい人だな。ガールズバーの店員みたいだ。ちょっとビジネスだからと構えすぎたかも知れない。ふっと肩から力が抜ける。


「いや、そう。そうなんだよ。ほんと生きてくの大変なんだ」

「へ~、面白~い。あたしが教えてあげよっか? 手取り足取り」

「え? ほんと? そりゃあ助かるなあ」


 あっという間に打ち解けて、お互いに笑顔で見つめ合う。

 この出会いにありがたさを噛み締めつつ、握手でもしようかと距離を近づけた。


「痛――――――っ!?」


 プァンピー! 足を踏んでる! 踵で! グリグリしてる! 痛すぎて声が出ない。とりあえず目で訴えるが、全く慌てていない。むしろ無表情だった。こいつやっぱりわざと踏んでるだろ。


「あらら、ついうっかり」

「うっかり踵でグリグリするかよ!?」

「うっかりです」


 なんなんだコイツ。謝りもしないって人としてどうなんだ。目尻の涙を拭う。あー、痛い。最初に踏んだところと同じところだよ。ハイヒールだったら死んでたな。


「んふふ、ふふふふ。ほんと面白い。あんた達、何しに来たの? コント?」


 パレルはお腹を抑えて笑っていた。こんなもんがコントだと言うのはお笑い芸人に失礼すぎるし、ウケてることも別に嬉しくない。プァンピーは少しも笑っておらず、むしろ不機嫌に見える。もちろん嬉しくない。ふくれっ面の彼女には説明を期待できないので、俺が目的を説明する。


「えっとな、のぼりを買おうと思ってここに来たんだけど」

「ノボリ? 何それ。そんなの売ってないけど」


 聞き慣れない言葉にぱちくりとするパレル。どう言ったものかと思案していると、プァンピーが紙を見せながら解説を始めた。優しいのかなんなのか、こいつ情緒不安定だな。


「こういう布に、こんな感じで印刷したものを店の前に立てるんです。それをのぼりって呼ぶらしいんですよ」

「へ? なんで? なんの意味があんの?」


 パレルは全然わかんないとばかりに首をひねりまくった。これは彼女だからわからないということではなく、おそらくこの世界においてはほとんどの人がわからないのだろう。


「店に入るつもりが無かった人も、それを見て入るかもしれないだろ」

「は? 店に入るつもりがない人を入れてどうするの? 買いに来た人しか買わないじゃん」


 むむむ。意外と説明が難しいものだなあ。こめかみを抑えていると、パレルは表情を段々と和らげた。どうしたのかしら。俺の後ろに子猫でもいるのかな。


「そっか、そっかー。そういえば右も左も分からないんだったね~。ごめんねー」


 ヨシヨシと、頭を撫でられる。むう。正直俺はもう立派な大人であり、こんなギャルみたいな若い女の子に頭を撫でられるのは……撫でられるのには……弱い。魂が、浄化されていくね。生きていてよかった。転生も悪くないね。


 ドスッ


「うおっ」


 なぜか脇腹に地獄突きをかまされる。だからなんでだよ。暴力をふるいたくなる薬でも飲まされてるのか? それともバーサクか? 状態異常ですよ?


「パレルさん。カオスさんは確かに知らないことだらけなんですが、妙なことを知ってるんです」

「妙なこと?」


 妙なことって言われるのも釈然としないが、まぁこの世界においては非常識なことなのだろうから仕方がないか。とりあえず黙っておくことにする。これ以上痛い目に会いたくもないし。プァンピーは別に俺に何か話させるつもりははなからなかったのか、まるで旧知の仲であるかのように俺のことを話した。


「商売そのものは変えずに売上を増やしたり、お店に人を呼んだりする方法です。この街では無名ですが、ちゃんと実績もあるんです」

「何それ。売上を増やす? そんな事できるの?」

「もちろん出来ます。このお店だって」

「へえ~」


 ん? なんかおかしくないか? 話の流れが。


「だから、このお店の売上が増えたら、お礼にタダでのぼりを譲ってください」

「面白~い。いいよ~」


 おいおいおい、何勝手に決めてんだよ!?

 俺は抗議の意味でプァンピーを睨むが、飄々とした顔。


「ほら、お金が無くてもなんとかなりました」


 そう耳元で言ってのけた。俺は振り回されっぱなしだな。


「どうやるつもりだよ」


 俺も小声で言う。考えがあるんだろうな。


「それはおまかせします」


 ねえじゃねーかよ! 丸投げかよ!

 まぁ、そりゃそうか。俺が考えるしか無いし、俺のできることはそれくらいしかない。すぐに観念した。気を取り直してヒアリングを始める。


「パレルさん、なにか値引きできるものはあるかな」

「え? 無いですね」

「新商品とか」

「無いです無いです」

「じゃあ同業他社と比較して優位なポイントは」

「なんですかそれ。よくわかりませんけどうちは普通ですよ」


 お知らせするポイントがなかった……。む~んと俺が腕組みして考えていると、プァンピーはジト目を俺に向ける。


「それだけデレデレしておいて思いつかないなんて」


 なんだよ、デレデレって。してないだろと反論しようと思って気づいた。


「そうか、看板娘がいるんだから、まさにそれを看板にしたらどうか」

「なるほど……誰かさんみたいな人が吸い寄せられるようにやってきそうですね」


 吸い寄せられるようにってここに連れてきたのは誰だよ。俺はうっかりドアを開けちゃっただけだろ。ん? うっかりドアを開けた……? ううっ頭が! なぜか頬も痛い!


「ええ~? あたし目当てのお客さんが入ってくるってことですか~? なんか恥ずかしくない?」


 パレルさんは体をくねくねさせた。意外というのも失礼だが、意外にも恥ずかしがっているようだ。


「なにも可愛くてナイスバディなお姉さんが接客しますよ、とそのまま書くわけじゃないですよ?」

「えー、ちょっとなんですかそれ、口説いてるんですか~?」


 俺がフォローのつもりで言ったのに、彼女は余計に恥ずかしがってしまった。どうしようかとプァンピーの方を向いたら、脇腹をつねられた。もう訳がわからない。別に俺は痛いのが好きなタイプじゃないってことを説明しておく必要がある。俺のことが嫌いという可能性はあまり考えたくない。少なくとも好きということはなさそうだが。


「イテテ……えっとですね、写真を下半分に入れて、イテテ、上に布のことならなんでもご相談くださいとか書くだけです」

「それだけで人がやってくるんですか?」

「結構違うと思いますね……イテテ。さっき言ってたように買う前提でしか入らないのと、気軽に相談してねと名言しているのでは大分違います。イテテ……そこから今回みたいな既成品じゃないものの注文も発生するんじゃないかとイテテ」

「なるほどねえ」


 そもそも幟自体が珍しいということもあるわけだから効果は高いだろう。俺が解説をしながらも、こちょこちょと幟のデザイン案を書いていると、筆を奪われた。俺は日本語で書いてしまったので、二人にはさっぱりわからないのだと後で気づいた。とりあえず脇腹をつねる攻撃が止まってよかった。


「むしろですね~、こうしてこうです」


 プァンピーはノリノリで筆を走らせる。紙には俺のレイアウトどおりに配置された文字と、簡単なイラストというか似顔絵だな。上手いね。

 パレルはそれをどれどれと期待の籠もった顔で覗き込んだ。


「看板娘のパレルちゃんがなんでも教えてア・ゲ・ル……って超恥ずかしいじゃん!?」

「いいじゃないですか~、バンバンお客さん来ますよ? ねえ、カオスさん」

「多分な」


 下心丸出しの客も増えそうだが……まぁ、大丈夫だろ。布のことならなんて書かなくったって、これだけ由緒正しい老舗の布問屋って感じの店なら言わずともわかることだ。


「あとはここにうっふーんとか書き足せば」

「それはいらん」


 プァンピーは調子に乗っていた。俺が軽く睨むとてへ、と舌を出した。すっかり期限が回復している。絵を描くのが好きなのかな。

 描き終わった紙を眺めたパレルは小さな声でぶつぶつと独り言。それを店頭に置いたことを想像しているようだった。


「んー。じゃあまあ、やってみよっかー」


 パレルはノリが軽かった。まぁ、最初から軽かったけれども。それにしても、家族経営といえども勝手に決めていいのか、とも思うがまだ法人っていう概念がないのだろう。おそらくプライベートとビジネスの境目が曖昧なのだ。法人税無しなんだろうなー、いいなー。


「とりあえずこの輪っかみたいのを作って布に縫い付ける作業はやっとくから、魔法の発注先と話してきたら?」


 魔法という言葉と発注先という言葉が同時に使われていることに違和感はあるが、間違いなく日本語として正しい。俺たちはこれから発注をかけるのだ。


「よろしくお願いいたします、パレルさん」

「はーい。なんか結構楽しみ」


 俺はビジネスライクにお辞儀をしたが、彼女はピクニックの準備のように作業を開始した。ただの販売員じゃなくて職人でもあるのか、凄いな。


「いつまで見てるんです。さっさと行きますよ」

「痛てて、なんで」


 見惚れていただけなのに耳を引っ張られながら外で連れて行かれる。こんなことをするリアルな人は初めて会った。俺はカツオくんでもジャイアンでもないっつーの。


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