14.                 







 メインの照明は薄め、ころがしには種板が嵌められ、緑系のゼラで舞台全体がほんのりと色づけされている。

 緑色の灯りは狂気や不気味さを表現する際に使われる、といつか先輩に教わった。


 舞台上にいるのは部長=霍小玉、一人きり。

 彼女は舞台中央でうつ伏せに倒れ伏している。


 眠っているのだ。

 大きく荒く呼吸をし、浅い眠りの中で夢を見ている。

 何度目かの呼吸の後、ゆっくりと静かなBGMがイン。


 スティーヴ・ライヒのミニマルミュージックだ。曲名は『The Desert Music:Ⅰ.Fast』。ひたすら単調な繰り返しの中に少しずつ変化が付けられていき、心が騒めくような、焦燥感に駆られるような、そんな気持ちを掻き立てられる。


 やがて、舞台上に照明=桂子が現れた。

 霍小玉を見つけると駆けつけて抱き起そうとする。

 目覚めさせようと召使の口が開かれるが、声は出ない。


 代わりにエコーが強くかけられた音声が挿入される。


『こっちこっち! こっちやで~』


 豪士の声だ。


『もうすこしやで~』 


 それも、先程のシーンと全く同じ。

 この後の小玉の台詞で説明されるが、彼女は今、先程の場面を夢見ている。

 夢を見て、裏切り者が自分の目の前に再び現れることを知るのだ。

 これから愛した男と再び出会い、それから死ぬ。そこまでの未来を彼女は知るのだ。


『何言うてん、オタクが主役なんやで~』


 舞台上に衣装=浄持もやってくる。

 同じく娘の肩を揺さぶるが、反応ない。


『霍小玉さーん、亭主のお帰りやで!』


 二人が困り果てた時、しかし、パチッと霍小玉の両目が開かれた。

 一人で身を起こし、正面を見据え、息を深く吸う。

 発声。




「これより略式裁判を始める!!」







「はあ!?」


 教壇で劇を注視していた僕は思わず声を上げた。

 こんなこともちろん台本にない。


「何のつもりだ!」


 部長は僕に背を向けたまま、平板な声で答える。


「お前が言った通り、私も好きにすることにした」


 そして、勢いよく立ち上がると、右手を振り翳して彼女の演説が始まった。


「二年の諸君に、ご来場の皆様まで、聞いてくれ! このまま演出に流されて唯々諾々とこの無様な劇を見せられるままでいいのか。カーテンコールの後、不満と不愉快とで重くなった足を動かして地歴公民教室を逃げるように去ることを許せるのか。私には耐えられない! こうなったことは誰のせいだ!? 台本を書き換え、舞台を混沌に陥れた演出助手か? いいや、違う!」


 握りしめた右の拳は体ごと勢いよくスウィング。長い髪がブワリと揺れる。

 拳は僕を指し示していた。


「演出だっ! 演出助手をここまで追い込んだのはこの女じゃないか! 暴露が起きた後も徒に劇を続け、部員達の傷口を拡大し続けたのもこの女。暴露の後の取り繕い方もどうだ、極めて雑でヘタクソ。お陰で劇はどんどん惨めになっていった。演出助手の独白を聞いても、まるで反省しない。『ごめんなさい』の一つも言えない。挙句の果てに自分に批判を集めて終わらせるだと!? 『散々パワハラを働いてきたのも部活運営の為で、最後まで部に殉じる』という保身が隠し切れない醜く陳腐で最悪のオチだ。それに何より……」


 台詞の途中で入るのは聞こえ辛くなるからと黙っていれば、この野郎!

 だがカッとなって反論しようとした瞬間、部長はこちらに振り向き、思いっきり叫んだ。


「この劇、元から全然面白くないぞ!!」


「ぐぶっ」


 お、面白くない!?

 面白くない……

 面白くな……

 面白く……

 面白……

 面……

 ……

 …


 う


「嘘だ……」


 いつもの発声が出ない……膝から力が抜けていくような感覚。

 ていうか、実際に教壇に膝を付いていた。


 そんな僕を冷たく見下ろしながら、部長は淡々と告げる。


「シーンの合間に一々お前の上手くも無い長ゼリが挟まれて、テンポが悪くて不快。肝心の本編もほとんど原作の台詞を和訳しただけ、何の個性もテーマの解釈も無くてダルいだけ」


 あっあっあっ……。


「舞台も手抜きのオンパレード。セットは机と椅子だけ!? 衣装は部ジャー!? これで誰がどんな場面をどんな役で演じてるかわかるのは、お前の頭の中だけだ!」


 あっあっあっあっあっ……。


「こんな駄作、もううんざりだ!」



 ……そう思っていたなら稽古中に言えよ!



 いつものように怒鳴り返したいが、それはできなかった。

 僕は悪口言われようが憎まれようが全然気にしないが……劇の出来を詰られるのだけはめっちゃ弱い。

 それに一番信用していた部長から言われるのは本当に堪えている。


 実際、今までの芝居作りではいつも部長は遠慮なくこういう批判をしてきたはずだ。

 わかっていながら、今日まで黙っていたってこと?


 ……裏切り。


 裏切られた気分だ。


 怒りが込み上げて、悲しみも溢れてきて。

 『どうして』と聞きたいのに、口が縺れて何も言い返せない。


 僕にできるのは恨みがましい目を向けるのみ。


 でも、そんなこともお構いなしに部長は糾弾を続ける。


「諸君ももうわかったろう!? 今回の公演の戦犯は演出だ! 散々人々を傷付けた上、つまらない芝居を作ったこと、それがこの女の罪で、我々はその被害者。我々演劇部員にはこいつを裁く権利と、そして劇を有るべき姿に戻す義務がある!」


 部長は僕の肩を突き飛ばして教壇から降ろし、代わりに上って、チョークを手に取った。


 黒板に刻まれる、有罪と無罪の字。


 その間にぽつり、ぽつり、と二年達が舞台にやってくる。あまりに唐突な展開で、彼女達の表情には戸惑いもあるが、ほとんど意志は決まっているように見えた。


 部長の迫真の演説で作り出した有無の言わせなさもある。

 あるが、そんなことしなくても、部長には人望があるからな……。


 重く、暗い、沈黙。

 ライヒの長いBGMが最高潮の盛り上がり。


 後輩達を見回してから、あいつは静かに口を開いた。


「まずは私から」


 有罪の下に一本線。






 それから一分と経たずに『正』の字ができあがった。






「判決! 有罪で演出は降板とする!」



 その一部始終を僕は床にだらりと倒れながら見ていた。

 黒板をぼんやり見ていたら部長と目が合い、彼女は吐き捨てるようにこう告げる。


「いいか、私がこの部を辞めるのは、部長の役目に疲れたからではない。お前の作る芝居がつまらなかったからだ」


 ……😂。




「あ、あの部長、演出を有罪にしたら……これからどうなるんですか……?」


 ややもあって、ようやく部長に問い掛けられたのは演出助手だった。


 部長は真顔をクシャッと崩して笑う。



「有るべき姿になるんだよ」



 その笑みはころがしの緑の灯りが当たって、ギョッとするほど明るく、暗い。



「そ、それって」


 演出助手が更に問おうとした時だった。

 急に客席の向こうから光が差し込み、 銅鑼を打ち鳴らしたような高らかな声が転がり込む。




「ただいまやで~!!!!」




 声の主は、チカ。

 両脇に段ボール箱を掲げ、足で引き戸を開けている。

 そして、ズカズカ室内に侵入してきた。

 後には三人の友達も続き、そいつらも大荷物を抱えていて、それらを舞台の隅に置いては次々戻り、また荷物を抱えて置いていく。


 チカは舞台中央でしゃがんで、箱を床にそっと置いた。

 再び立つと、満面の笑顔でその場の全員を見回す。

 それから、両手を肩の位置まで上げて指をパチッと打ち鳴らした。


「やっぱ舞台はゴッテゴテに飾らんとな!」



 バタバタバタバタバタッ!!



 途端、彼女の足元の箱から何かが飛び出す。


「誰カ来タ! 誰カ来タ! すだれ下ロセ!」


 そう甲高く鳴くのは、一匹の鸚鵡だ。

 薄黄色の嘴、黒い瞳、身体の羽は真っ赤で、翼は黄色から先端へかけて鮮青色。

 床上二メートルをゆったりと周回している。


「こんなこともあろうかと用意しとったんや、アマゾンで!」


 次にチカはもう一方の箱を蹴り飛ばした。


「ほいこれ、衣装ちゃん」


 スーッとスライドする箱は直線運動を摩擦で減速しながら、衣装の前で停止。

 彼女が箱を開けると、その顔が綻ぶ。


「わあ、綺麗!」


 中から引き上げられたのは立派な着物。

 それも和服では無く、華やかに色づけられた袍服ほうぶくや、襦裙じゅくん

 唐代に着られていた衣服だ。


 衣装は大喜びで、部員達に着付けと髷結いを始める。


 それを見届け、チカは舞台外に控えていた友達らに手を振った。

 その内二人が頷くと、大量の木材や土嚢を舞台上に運び込む。運び終えたら、一人が鋸や金槌を猛烈な勢いで振るい出し、もう一人は土嚢の中の黄色い土を次々地べたにぶちまけては代掻しろかきでならしていく。


「うんうん、これで良し!」


 更に無人のブース席にズカズカ入り込み、BGMところがしの灯りをアウト。


「辛気臭いBGMもヤメヤメ! チルでトラディショナルに行こうや、ヘイ!」


 ライヒの音楽が止むや否や、弦楽器の音が鳴り響く。

 スピーカーからではない、生音だ。

 見れば、チカの友達の一人が三味線に似た二本弦の楽器を竹の撥で弾いている。

 これは奚琴けいきん。二胡や馬頭琴の先祖とも呼ばれる古くからある楽器で、唐でも奏でられていたものだ。


 高らかで伸びやかな演奏を聞きつつ、チカは満ち足りた様子で笑みを深める。


「ええ感じになってきたわあ!」


 そこで初めて、チカは客席に目をやり、軽くウィンクした。


「おっと、お客さん達には申し遅れとったわ、ウチは三年の舞台監督や! 演出が芝居の、部長が部活のまとめ役なら、舞監ぶかんは大道具、小道具、衣装、音照等々――舞台上にある森羅万象のまとめ役なんやで! 演出の意向と、部員やスケジュールの都合に合わせて、舞台に何を置いて、どんな風に見せるのか決める。それがウチの仕事や、こんな風にな」


 と言って、彼女は手近な箱から衣装を取り出して着替え始める。

 着替えながら頬をプクッと膨らませ、しばらくモゴモゴ。

 やがて白い喉が見える程上を向き、小さな唇を突き出す。




 フーーーーーーーーーーーーー。




 初め舞監の唇から出たのは雲だった。

 灰白色の入道雲。それがグニューッと溢れて、教室全体を覆うかと思われるぐらい広がる。

 だがその次に突き抜けるように群青色の空が噴き上がり、雲もまた上空に昇って行った。

 最後にかっぴらいた大口から、まん丸な太陽がスポンッ。猛烈な勢いで成層圏を突破すると、一目散に長安の街を越え、東の驪山りざんを越え、地の果てから黄土高原を薄紅色に照らし始めた。


 乾いた冷たい風が人々の間を通り抜けて、唐の都の夜明けの完成だ。


 友達二名が霍小玉の屋敷を建築するのを眺めながら、浅黄色の麻の衣を纏ったチカはニコニコと、奚琴に合わせて歌い出した。



シュイウエンジェンダン スウヨウヨウ


 チエンリイジアチイ イイシイシウ


 ツオンツウ ウウシンアイリアンイエ


 レンタア ミンユエシア西シイロウ



 歌い終える頃には屋敷は建て終わり、着飾った役者達が位置についている。



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