12.風光甚麗,草木榮華。傷哉鄭卿,銜冤空室。




「ぼくはただ演劇したかっただけなのにっ! この部に入るなりアンタの稽古という名の誹謗中傷・人格否定の毎日、散々脅されて重圧の中の本番、暗闇に瞬く客の失望の視線。やっと終わったと思ったらすぐ次の稽古でまたアンタに罵られる……。もう散々だ!」


 怒りを思い切り吐き出す演出助手。

 先に反応したのは僕じゃなくて、同じく激怒した衣装だった。


「だからって私達のことまで暴露する必要あった!? 演出に復讐したいなら一人でやってよ!」


 演出助手はいつもの臆病さなど感じさせぬ調子で僕ら部員に喚き散らす。


「お前達も同罪だっ! このモンスターが作る異常な劇と部活動を放置して、今日のこの日までのうのうと生かしてきた。優しかった先輩も、仲の良かった同期もみんなアイツに耐え兼ねて辞めていった……。責任はこの部の全員にある!」


 部員達は顔を見合わせ、黙りこくった。


「だから……ぼく自身のことも暴露したんだ。夜になると、こいつの顔を思い出す度に目が覚めて、もう何か月もきちんと眠れてない……」


 最後は泣きながら、それでも彼女は今度は客席に向き直った。


「一年の子達もこの部のこと、もうわかったろ!? こんな部活に入っちゃダメだ! たった一年でぼくはもう十分だ、高校演劇なんて大っ嫌いだ!」


 そのまま彼女は顔を両手で覆って涙の夕立。


 ……もう終わりかな?


「はい、要点がまとまっていて良かったです。ということでね、次のシーンですけど」


「えっ」


 衣装がぎょっとして声を上げる。


「何?」


「え、いや、あの」


 衣装は僕が見ると目を反らして、部長に視線を向けたが、彼女は無表情で肘を擦っているだけ。


「何にも無いなら続けるけど」


 そう告げると、衣装は俯いて唇を僅かに震わすのが見える。

 『モンスター』かな。


 助手の泣き声をBGMに僕は明るい口調で喋り出す。


「じゃあね、まあ犯人も見つかったし『霍小玉伝』ももう後はラストまで一直線なんで、色々な解説パートはもう飛ばして後は劇パートだけ飛ばしてやりましょうか。台本十八ページ上段、饅頭屋の『「ハイハイハイ、寄ってって、寄ってって!』から。音・照もその直前のキューに合わせて。いきます、よ」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 衣装が慌てて止めに入ってきた。


「いい加減にしてください、演出助手がこんな状態じゃ……」


 が、彼女が怒鳴る横を演出助手が鼻をズビズビ言わせながら通り過ぎていく。

 そして、シーン開始の位置で止まった。


「いや、お前もお前でやるんかい!」


 日頃の稽古の成果だよ。


「行きます、よーーーーーーーーーーーーーーい」


 結局なし崩しに役者達が動き始め、準備が整う。


「はい」



 パン!







「ハイハイハイ、寄ってって、寄ってって! 長安チョーアンいち饅頭まんじゅう、饅頭だよ!」


 長安の市場で饅頭屋が今日も同じ口上を述べ、他の商人達も自分の商品を売り込む。


「よお、饅頭屋。売れてるかい」


 これも最初のシーンと同じように干物屋が饅頭屋に話しかけてきた。


「今一だねえ、干物屋。景気けーきのいい話は無いもんかねえ」


「悪い話ならあるぜ! 李益の野郎が長安にきてるらしい」


 そう言われると市場の人々がオーバーに仰け反ってみせる。


「うわー、マジかよ! あのロクデナシ、霍小玉さんを裏切ったくせによくものうのうと!」


 饅頭屋が騒ぎ立てると、横の酒屋=演出助手が絡んでくる。


「う……アイツ、本当に、うぐ、ありえないよな……! 霍小玉さんが、ふごっ……可愛そうだよ」


「お、おう……本当に気が知れねえよ。噂が出回って、今は俺達平民や危ねえヤクザもんまでこの都一番の嫌われ者だ。針の莚だろうに、何しに来たんだ?」


 泣きながら喋る酒屋にビビりながらも饅頭屋が言うと、瀬戸物屋=音響が奥から叫ぶ。


「ボク知ってる! 嫁さん予定の娘が都にいてさ! 結納金を集め終わって迎えに来たんだ!」


「へ、へえ、詳しいじゃねえか。今頃は何してんだろなあ」


「ボク知ってる! 現実逃避で崇敬寺すうけいじって寺の牡丹をダチと見に行ってるんだってよ!」


「詳し過ぎねえか?」


 照明が急変。

 電球のみが点灯、役者達が僕とスタッフ含め六名、その灯りの照らす周りに駆け付ける。


 中央奥に李益、光=牡丹を眺めながらも周囲の人間=友人達に愛想笑い。

 周りは無表情で牡丹を見ている。


「あはは……こ、これがかの有名な崇敬寺の……牡丹かあ。き、綺麗だね」


 李益はまだ少し泣きつつも何とかそう絞り出した。

 返事は無く、友人らの視線が彼に集中。困ったような表情が三。白けたような表情が二。


 静けさの中、李益はキョドリつつ数秒考え込んだ後、いきなり仕掛けた。


「ぼ、牡丹は牡丹でも、護身術にも使える牡丹ってな~んだ!?」


 返事は無く、友人らの視線が彼に集中。困ったような表情が二。白けたような表情が三。


「答えはクボタンでした、あはは……」


 笑って誤魔化そうとしたが、友人達の内一人が口を開く。


「李益さん、少しいいですか」


「ひっ!」


 急に話しかけられて李益は竦みつつもぎこちなく目を、僕の方に向けた。


「なんだい、親友の夏卿かけい君……」


 僕=韋夏卿は背筋を真っすぐ伸ばし、猫背の李益を見下ろして口を開く。


「確かに綺麗な牡丹です。草木も花の盛りの季節だ。それなのに霍小玉さんは部屋で一人寂しく君を恨んでいる。このままでは、本当に人でなしになってしまいますよ。そんなのは男のすることじゃあありません。どうか思い直してください」


 李益は真っ青になって固まった。

 色んな文脈が乗って部員から客席まで緊張で強張っているが、予定通りの気まずい沈黙を作った後に主役は乾いた声を絞り出す。


「そ、そんなことを言われても……もう遅いんだよ……」


 哀愁の余韻の内に照明がブースに戻り、フェーダーを上げた。



「ここで殺伐とした崇敬寺にウチが登場や!」



 舞台上がパッと明るくなり、一人だけ花見に参加していなかった役者=チカが登場する。

 机の上で黒いサングラスをして仁王立ちの彼女の今の役名は、豪士ごうし


「うわっヤクザ者だ!」


 現代語で翻訳するとそんな感じの存在だ。

 豪士を見て声を上げた友人の一人は思いっきり渋面。


「ヘッヘッヘ、どもども!」


 豪士は机を飛び降ると、ジャージのポッケに両手を突っ込み、肩をいからせて李益らの元にのしのしやってくる。


「な、何の用でございましょうか?」


 李益はニコニコ笑顔の男にへりくだって問うた。

 国家公務員が友達と街で遊んでいたらヤクザが絡んできたという構図、まあこんな反応にもなろう。


「そうビビらんといてや! お兄さん、李益って名前やろ? ウチは山東サントウの出で、キミの母方の遠い親戚やねん。お噂かねがね聞いとりまして、オタクにお会いしたかったんや!」


 と、ドギツいエセ関西弁で熱っぽく語り、李益の両手を奪い取るように握手してブンブン振った。


「は、はあ……それはどうも」


「実はウチの家が近所にありますねん。楽人に、若くて綺麗な姉ちゃんも八、九人おって、駿馬も十数頭揃えてるんや。全部オタクの望むままやで!」


「本当ォ!?」


「お、おい!」


 その申し出に先に飛びついたのは、李益では無く友人達。


「三時間飲み放題、五千円ポッキリや!」


「スゲー! 行こうぜ、李益!」


「ま、待ってよ。それは絶対女の子がノミホ対象外の高額な酒を頼ませてきたりする奴だって!」


「唐代にそんな悪質なぼったくりがある訳ないだろ、行こうぜ李益!」


「そ、そんなあ!」


 嫌がる李益を友人達が強引に引っ張っていく。


「こっちこっち! こっちやで~」


 豪士を先頭に男達がぞろぞろ舞台上を巡ることになった。

 一周。


「おい、まだなのか?」


「もうすこしやで~」


 二周。


「あ、あのぼく、用事があって帰らなきゃ……」


「何言うてん、オタクが主役なんやで~」


 三周。


「おい、ここって」


「あ、ああ」


 友人達の足が止まった。

 李益はとっくに気付いてたのだろう、引き返そうとした瞬間、豪士にガッと肩を掴まれる。

 悪い奴の満面の笑みを見て、李益は蛇に睨まれた蛙だ。


「ここ、霍小玉の家……」


 韋夏卿がポツリと呟く。


 友人達の二人がすっと離れて体を組んで門を作った。

 豪士は抱えた李益を門に押し込みながら、銅鑼のように響く大声を上げた。





「霍小玉さーん、亭主のお帰りやで!」







 パン。




「はい、そこまで」


 終了のキューを出したのは僕じゃなくて、部長だった。




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