10.太夫人素嚴毅,生逡巡不敢辭讓,遂就禮謝,便有近期。
部長は左の肘を右手で擦りつつ、眉間に皺を寄せる。
「そんなことして何になる。醜い仲間割れを客に見せる気か?」
「そんなわけないだろ。稽古と一緒だよ。みぐさい芝居はダメ出しして直す、それだけ。ちょうどいいじゃないか。この芝居の目的は高校演劇が何なのか伝えることなんだから、これぐらい赤裸々にやっても」
「一理ある、としよう。だがどうやって犯人を見つける?」
彼女は険しい顔のまま、首をコテンと傾げた。
僕はふふんと鼻を鳴らし、なるべく自信があるよう喋る。
「まずわかることをまとめる。一つ、暴露犯は台本に暴露を仕込んだ。二つ、暴露の内容は部員しか知り得ない内容が含まれていた。三つ、暴露は僕が一番多いがほぼ部員全員に対して行われて、全員が痛い目を見る事になった。材料はこれで十分」
「あの、ウチは何も言われてないんやけど?」
「会話が常時エセ関西弁の奴なんて暴露するまでもなく常時痛いだろ」
チカを軽くあしらうと、部長が続きを促す。
「それで?」
「まずは一つ、台本に暴露を仕込んだ、という点。台本は小道具でもあるから稽古に使ったものでは無く、事前に新しく刷ったものを使っている。これを用意したのは二年、つまり、演出助手・照明・音響・衣装の四人」
二年の部員が一様に肩をビクンと震わす。まあ、各員これぐらいは思いついていたろうが。
「だが、刷ったのは昨日の部活終わり。そして別に刷った後ずっと誰かが見守っていたわけじゃない。授業の合間、昼休み。三年どころか部員以外にも犯行は可能だ。ただし、二つ、暴露の内容は部員しか知り得ない内容、だから部外者の可能性は薄い。ここまでまとめると、犯人候補は部員全員ということだ」
「誰だってわかることを勿体付けて話している」
「そこで、三つ、暴露は僕が一番多いが部員全員。つまり、犯人は自分の腹を切ってでもバレたくない。それが知りたかったんだ」
「どういうことだ?」
僕は唇の端を吊り上げて見せるだけ。
「おい、質問に答えろ」
部長の催促を無視して、喋り出す。
「それから、犯人の目的はおそらくこの劇を破綻させること、次点でデマを振り撒いて僕及びこの部に悪印象を与えること……自分も部員なのに。劇を続ければ、きっと、これからも色々な部員達のお見苦しいところがバラされてしまうんだろうなあ! おお怖い怖い」
「……もしかして、適当に喋ってるだけか?」
僕はビシッと部長を指差し、自分の頭をコツンと叩いた。
「そういうこと」
「このバカ! 何がしたいんだお前は!」
「ゴメン、ゴメン!」
殴りかかってきそうな勢いに本気で平謝り。
「ちょっと雰囲気変えたくてさあ。ね、何かこのままずっと暴露されてイヤな感じで続けるより、先行きが見えた方がよくない?」
「見えてないだろ! むしろもっとモヤモヤしたわ!」
「そうやそうや! ウチが探偵役のはずやったのに!」
チカまで追従して騒ぐ。
お前にそんなこと任せられるわけないだろ。
今のは仕込みだ。
「まあね、とにかく空気変えられたし、いいじゃないですか! それじゃ次のシーンね。改めて変わらぬ愛を誓い合った二人ですが、どうなっちゃうんでしょう! 台本十二ページ上段、李益の『お久しぶりです』から、照明キューは二十三、音響キューは十八、手拍子と同時にすぐ変化。行きます、よ~~~~~い、はい!」
パン!
◆
部活解説は切って、強引に『霍小玉伝』を再開。
部員達も混乱しつつも、指示をちゃんと出したので稽古の要領で動き出す。
場面はこうだ。
教壇の上に二人役者が立ち(僕は教卓の下に潜り込んでいる)、李益が舞台中央に跪いている。
BGMは如何にも中華風な管弦楽、畏まった雰囲気。
「お久しぶりです、お父様、お母様。ただいま帰りました」
顔を上げた李益は客席に向かって、そう呼びかける。
「お帰り、坊や。お仕事決まってよかったわね」
「見違えたじゃないか、我が子よ!」
教壇の上の両親は鷹揚に頷いているが、現実的に考えるとかなり妙な構図だ。当然、これは客に顔を見せる為によく採用される演劇的な表現でもあるし。
「ありがとうございます、お二人とも」
「そんな他人行儀にならないで。今日はお祝いなんだから、坊やの就職と……婚約のね!」
これから起きる親と子の断絶を表してもいるわけだ。
「は……婚約?」
衣装扮する母親が、赤子を見下ろすように微笑みかける。
「ええ、坊やに相応しい、いとこの
「あ、あのですね、お母様、そのお」
「大丈夫よ、そんなに怯えなくても! 真面目で女性に疎い坊やの為に女の子のこと、一つ一つ教えてあげるからね。まず女の子はね、みんなマシュマロでできていて……」
「いや、そういうことじゃなくて! その、あの、えと」
威勢よく立ち上がったは良いものの、その後はしどろもどろに何か言おうとする李益。
不思議そうに息子を見ていた、母親はやがて右目を眇め、低い声を出す。
「なぁに?」
そのたった一言で、李益の心は砕け散った。
「い、いえ……何でもありません……」
握りしめた拳をそろそろと開き、ポソポソ返す。
打って変わって李益の母親は安心したように笑みを取り戻した。
「そお、良かったわ、喜んでくれて! 私もほっとしたわ。跡取り息子の仕事もお嫁さんも決まって。これで我が家は安泰ね!」
父親もまた頷く。
「うむっ! 我が家の繁栄の為にこれからも頑張るのだぞ!」
「はい……」
「む、元気が無いな! もう一回!」
父親はエイエイオー、と言った感じで右手を振りかざした。
息子は渋々応じる。
「……はい」
「もう一回!」
「はい!」
李益がヤケクソに叫んだところでキュー、BGMが急停止、そして照明変化。
電球だけが付き、傍の李益を仄かに照らす。
男は能面のように硬質な表情で、胡乱に客席を見据えた。
「……盧氏のお嬢さんと結婚するには結納金が百万銭要る。うちにはお金が無い。だから、遠くの親戚や知り合いを巡って借金しなきゃ。そうしたら忙しくなるし、小玉にはしばらく連絡できない……いや、もう……。これは家の為、仕方ないことなんだ……」
ポツリ、ポツリと捻り出す声は初めは力なく、しかし徐々に後ろめたさと正当化でコーティングされていく。
ついには顔を引き締め、冷酷な意志を瞳に漲らせた。
「……都の親戚や知り合いには口止めしておこう」
「
急に小玉の声が響き、場面転換。
呼ばれた桂子こと照明がころがしのフェーダーを上げ、舞台全体がほんのり明るくなる。
李益は舞台の隅に急速にはけ、代わりに小玉が現れた。
その足取りはふらふらと覚束ない。
「お嬢様、こんな夜遅くにどうなさったのです?」
桂子が遅れて駆け寄ると、小玉は召使に抱き着くように倒れ掛かった。
「お嬢様!?」
「あの人からの便りは……まだ来てないの……?」
「こんな夜更けに来るわけないでしょう! 貴方は病人なのだから、寝ていなさい」
母親の
顔を上げた小玉は、ふるふると首を振ると二人を見て重く息を吐いた。
「ごめんなさい、どうかしていました……。部屋に戻ります」
悲しみを湛えた眼で床を見つめ、のろのろと彼女は去っていった。
残された浄持と桂子は同じ暗い表情を見合わせる。
「李益様はどうしてしまったのでしょう……もう一年も経ったのに」
桂子はかぶりを振った。
「彼の親戚や知り合いに聞いてもバラバラの答えが返ってくるだけ。どれもデタラメです。どんな巫女に神頼みしてもらっても、どんな易者に占ってもらっても何もわからないまま。色んな人にお金を握らすうちにとうとうお家のお金も無くなって、お嬢様は病に伏してしまいました。どうしてこんなことになったのか……」
ハア……。
二人の分の溜め息が吐かれて、二人もとぼとぼ舞台を去っていく。音響が照明の代わりに灯りをゆっくりアウトさせ、舞台隅に行きかけたが教壇の方に首を向けて口を開いた。
「あの、ちょっと、演出先輩! 前から思ってたんですけど、ここ酷くないですか?」
その台詞と共に僕が教卓から頭を出し、音響も照明を明るくする。
◆
「あ!? 僕の演出は完璧なんだが!?」
「だ、台本の方です!」
僕の剣幕に少し怯むも後輩は気丈に言い返した。
「台本も僕が書いているんだが!?」
「な、なら……酷いのは原作ですよ! 何で前のシーンであんなに愛を誓ってた李益がこんなサックリ裏切るんですか!? 何の葛藤も無いじゃないですか!」
「何ぃ~~~~~~~~!? ……その通りだな、小池先生どういうことですか?」
「うのっ!?」
いつの間にか教壇に佇んでいた演出助手が呻く。
もう何度目かの茶番だが、客席の空気が緩むのを感じた。
「え、そ、それはだね、あの、当時の家という価値観は重大で、儒教の教えでは親の言葉は絶対で従わざるを得なかったんだよ」
「なるほど、確かにそれで納得できないこともないですが、『霍小玉伝』は物語です。男と女の愛の物語なのに、そんな窮屈な解釈でいいのでしょうか?」
台詞を食って喋る僕に小池は狼狽して見せる。
「な、何が言いたいんだい」
「先生の恋愛観が聞きたいなあ!」
「うのっ!?」
「わー気になる! 何てたって国語の先生なんですから、文学的な解説をお願いしますね!」
衣装も駆け付け、意地悪そうに畳み掛けた。
「そうそう、次の暴露が来てまた芝居がメチャクチャになる前に聞かせてくださいよ!」
僕はアドリブでそう付け加える。
「う、う、う、うのっ……ぼくは、その、恋とかは、ちょっと……」
頬を赤くし言葉を詰まらせる小池。
僕は自分の黒縁眼鏡を外しながら小池に語り掛ける。
「大丈夫ですよ、先生、そんなにアガらなくても。先生だって大人なら恋の一つや二つしたことあるはず。その時の気持ちを思い出せばいいだけです。そう、例えば初恋の相手」
そこで言葉を一度切り、衣装に眼鏡を渡してから口を開いた。
「先生が高校で文芸部だった頃の知的で昔の小説の女みたいな話し方する先輩とかね」
「先生が高校で文芸部だった頃の知的で昔の小説の女みたいな話し方する先輩!?」
と、オウム返しに驚いてみせるが、衣装はすぐに眼鏡をつけて一回転。
回り終えると、小首を傾げて小池に微笑みかけた。
「せ、先輩……」
小池がキョドる横で、彼の先輩は顎に手を当てて考える仕草をする。
「ふーん、小池君は家族制度や儒教の影響に答えを求めたわけね」
「は、はい」
「キミの解釈は正しいけど一面的だわ」
「うのっ……」
ジャージの袖をもじもじイジる小池。
「前にも言ったでしょ、テキストを読むときはそのテキストが書かれた背景を含めて考えるべきよ」
「背景……ですか?」
先輩は不安げに問う後輩にフフと意味深な笑みをみせてから切り出す。
「実はね、『霍小玉伝』は愛の物語じゃなくて、呪いの物語なの」
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