9.其後年春,生以書判拔萃登科,授鄭縣主簿。




「カンパーイ!」



 照明が変わるなり、僕ら七人が車座になって杯を交わし出す。

 大口を開けてはカパーと酒を流し込み、誰かが冗談を言っては嬌声を上げ。

 我々未成年者から見た、『何が楽しいかわかんない』宴会を舞台いっぱいに繰り広げている。

 舞台中央奥で愛想笑いをしているのは李益と霍小玉だ。


「あい、それじゃあ今回の主役から一言!」


 役者の一人が突然李益に飛びついて立たせる。


「もー叔父さん、一言って、これで五度目だよ」


「なんだあオイ! 俺が酔っているっていうのかい?」


 酔った叔父を引き剥がして、座らせるとまた親戚の一人が小玉に忍び寄った。

 彼女が遠慮がちに頭を下げると、その男は品定めするよう目を細める。


「この度はどうもぉ」


「はい」


 しおらしい小玉に意地悪く笑う親戚。


「旦那さん、ていけん主簿しゅぼに決まってよかったですねえ」


「はい……」


 俯いたままの夫人。


「李益君もこれで晴れて官僚。鄭県に行くんだったら、ちゃんとしたモノがいる。服とか、馬とか、家とか、後は……」


 タハハハ、甲高い笑い声を上げる親戚。


「止めてよ! 叔父さんツー


「タハハ、ゴメンゴメン」


 李益が止めに入ると、男はあっさり自分の席に帰る。

 しかし、入れ違いで他の親戚がまた妻の元へ駆け寄った。


「で、お宅様はこれからどうするの!? 身の振り方は!?」


 それで周りからのゲラゲラ笑い。


「叔母さんスリー! なんてこと言うんだ!」


 怒った李益が両手を振り上げて怒鳴ると、親戚たちは蜘蛛の子を散らすように舞台から消えていった。

 二人っきりで残されて、男はモジモジと後ろ手に組んだ指を動かしている。

 最終的に口を開いたのは、亭主ではなく女房の方だった。


「わかっています」


「い、いや。そんなことはないよ、小玉」


 綺麗な正座のまま小玉は首を振る。


「いいえ、わかっています。貴方の才能、そして名声には多くの人がお慕いしているのだから、結婚したいと思っている人は当然たくさんいる。わかっているんです。まして貴方にはご両親が居て、嫡男の嫁が決まっていないのだから。これから貴方が帰省なされば必ずや良縁が結ばれることになるでしょう。わかっていたんです、盟約の言葉はただの虚言だと」


「そ、それは」


 二の句を告げない男。


「それでも」


 女は立ち上がり、まっすぐ相手に向き合う。

 わからない位小さな音から感動的なBGMがスタート。


「それでも、私には小さな願いがあるのです。お願いして、貴方の心にいつまでも留めておいて欲しいのです。聞いてくださいますか?」


 李益はしばらく目をパチクリさせてからどうにか口を開いた。


「そ、そんな、ぼ、ぼくが悪いことするみたいに……何てこと言うんだ。何でもいいから言ってごらん、きっとその通りにしてあげるから」


 では、と彼女は口上を述べる。


「私は未だ十八、貴方とて二十二になったばかり。貴方が一人前の男になり妻を娶る三十歳になるまでまだ八年もあります。一生分の歡愛かんあいをそれまでに使い切りましょう。それから良い家のご令嬢を上手く選んで結婚しても遅くは無いでしょう? 私は私で髪を切り、墨染の衣を着ますので。お願い事はそれだけです」


 最後の一言は、かすれて、ようやく客席の一番後ろに届くか否かという音。

 李益は愕然とし、やや震え、少しして小玉を抱き締める。


「お天道様に掛けた誓いは一生変わらない! 君と死ぬまで添い遂げてもまだこの思いが伝わらないのでないかと怯えているんだ。そんなぼくが今更君を裏切ったりするはずがないだろう? ここで待っていくれ。八月になったら必ず任地から使いの者を寄こすから!」


 小玉は無言で抱き返した。

 上からシェード付きの電球のみが照らし、二人だけの世界を作り上げている。

 灯りが微かに揺れつつ、BGMと合わせてしっとりとアウト。



 ……よーし、よし。

 いいぞ、横槍無しだ。

 逆に言えばそろそろだろう。







 パン。


「はい、そこまで。ありがとうございました」


 次のシーンはまた部活解説。

 今度解説するのは、実際の稽古では何をやるか、だ。


「じゃあ、今のところ」


 ボクがそう言った瞬間、演出助手の肩がビクンと震える。


「まず李益。『そ、そんな、ぼ、ぼくが悪いことするみたいに』、声が震えすぎて何言ってるかわかんないよ。後、何度も言ってるけど」


 僕は教壇を降り、構図を意識しつつ部長に抱きつく。

 大出力の照明を浴びても尚彼女の肩は冷たい気がした。


「こうしないと、お前と小玉の顔が見えないだろ」


「あ、あ、あ、すいません……」


 ヘコヘコ頭を下げる助手。


「ここはストリップではないので、客はお前のケツを見に来ているわけではない」


「すいません」


「恥ずかしがってるからいつまでもちゃんとできないんだよ。演劇は段取りだっていつも言ってるだろ。次にすべきことだけを考えてれば感情なんて忘れるから」


「すいません!」


 部長から離れ、教壇に戻りつつ、僕はクドクド言っていた。

 台本通りだけど、これはいつも通りのこと。


「今日はそこ直るまで終わらないぞ」


「ええっ」


 彼女はこんぐらいやらないと直らない。


「おい、私は?」


「小玉は別にいいよ。普通。じゃ、『私は未だ十八』からね。行きます、よーい」


 手を打ち鳴らす瞬間でストップ。

 部長が客に向き直り、口を開いた。


「と、まあ普段の稽古はこんな感じだ。一番最初は台詞を読み合わせたりするが、本当に最初だけ。もっぱら動いて、お互いの演技を擦り合わせていく。この時、基本的に演出が音頭を取る。台本から何を感じ取ってどう表現するかは各役者の領分だが、例えば今のように客にどう見えているか、また何を見せるかというのは統一された意志が必要だ。それが演出の仕事。具体的には今のように演技に対して陰湿なダメ出しを行い、さらに抽象的なことを言って役者が混乱したところに浸け込んで、最終的に洗脳状態にして自分の思い通りに動かす」


「もちろん、褒める時は褒めますし、率直なことを言える信頼関係があってこそですよ! なあお前ら!」


 強い笑みを浮かべて周りに問う。

 部員達が機械的に愛想笑いを返してくる、おい、今そんなんやられると洒落になんないじゃん!


 まあしゃあない、次の台詞はまた部長。僕への軽いツッコミのはず。

 だが、黙りこくった。


 来ちゃったのね。


「言えよ」


 部長は表情を硬くし、首を振る。


「だが」


「もうみんな何かしら言われてんだ。ここで伏せるのはフェアじゃない」


 そうだ、部員も客も納得しない。

 実際この場に居る全員が次の暴露を聞く空気がもうできあがっている。

 この見世物はもうそういうものになってしまったのだ。

 この場で僕の次に演劇をわかっている彼女にそれが察せないはずはない。


 部長は深いため息を吐いて口を開く。


「『演出助手はこの部に入ってから月に一度精神科とカウンセリングに通っている』」


 おっと重い右ストレート。


「通院歴のアウティングはほとんど犯罪だろ!」


 思わず声を荒げる僕に、部長は改めて溜め息。


「だから言ったんだ!」


「言わずに僕に台本見せるぐらいできたろ!」


 と、水掛け論になっても仕方ない。

 当の演出助手も顔を真っ青にして具合悪そうだし、何とかしなきゃな。


 僕はジャージの襟元を正して、口調を整える。


「まあまあ、言われちゃったことは仕方ない。ここは一つ、前向きになろう」


「前向きって……」


 呆れた様子の部長に僕は二ヤリと唇をたわめた。


「これでほとんど全員の痛いところが出てきたわけだ。そろそろ考えてみようじゃないか。今回の暴露の犯人が誰なのかを」



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