伝えて、それから

 ルピスは席を立って、深々と頭を下げる。それが今の彼女にできる、唯一のことだった。

「よろしくお願いします。……ありがとうございました」

 ええ、という声を背に受けて、クエロの研究室を後にしようとするルピス。扉を開けると――そこには、ルピスが片時も忘れたことのない少女が待っていた。ルピスのそれとほぼ同じくらいに着こまれた青紫の外套、少し不均等な二つ結びにされた薄茶色の髪、じっとこちらを見つめてくる眼差し。

「……ピアニー」

 何と言っていいか分からず、ルピスはただその名前を呼ぶ。

「途中からだけど、聞いてたよ」

 ピアニーが静かに告げた。そのまま、二人が使っていた部屋の方へときびすを返す。ルピスは彼女についていった。歩きながら、自分が後ろを歩くのは初めてかもしれないなどと、場違いな思いにとらわれる。

 部屋に戻ったピアニーは椅子に座り、ルピスがもう一脚の椅子に腰を下ろすのを目で追ってから、努めてゆっくりと話しはじめた。

「ねえルゥちゃん、わたし、話したことあったよね。わたし、ルゥちゃんに憧れて、精神干渉魔術師を目指そうって思ったんだよ。もしルゥちゃんがいなくなったら、どうやって頑張ったらいいか分かんないよ」

 声が徐々に哀願するような響きを帯びていく。ねえルゥちゃん、と、そうピアニーは繰り返した。

「どうして黙っていなくなっちゃおうとしたの? わたしが気づかないように、ちょっとずつ離れていったりなんかして」

 ルピスははっとしてピアニーを見つめる。目を合わせてきた彼女の髪が揺れた。その不均等な二つ結びは、世話を焼くことを我慢していたルピスの代わりに、ピアニーが自分で作ったものだ。気づかれないように注意は払っていたが、やはりピアニーにはかなわない。

「ねえルゥちゃん。わたしに本当のことを教えてほしいの。精神干渉魔術師を目指してるのに、ずっと一緒にいてくれる人の気持ちも分からないなんて、恥ずかしいけど……わたし、ルゥちゃんの気持ちを分かりたい」

 だからお願い、と頭を下げるピアニー。

 正直、ルピスはこのとき心のどこかで、ずいぶん簡単に言うなぁ、と思っていた。伝えたくても伝えられなかった気持ちが、話したくらいで伝わるものだろうか? 自分が「論過」に陥らないと――話されたことから、無意識に、誤ってルピスの心を推し量ってしまうことがないと、いったいどうして言えるのだろう? ピアニーのお願いを聞いてあげたいのが半分、知りたいというなら話してしまおうというのが半分。打ち明ける声は自然、低くなった。

「私は……ピアニーのことが、初めて会ったときから好きだったんだよ。恋人になって、ずっと一緒にいられたらいいなって、思ってた」

 右手を握りしめる。彼女が術具にしている指輪が人差し指に光っていた。自分の魔術は未熟かもしれない、それでも、これだけ強い思いなら。

 ルピスの右手が動いた。そのまま宙に術式を描いて呪文を唱えれば、このふわふわした幸せも、締めつけるような痛みも全て伝わるはずだ。伝わったら――そうしたら、自分たちはどうなるのだろうか。

 ――分からない。ルピスは魔術の行使を思いとどまり、自分でも分からないままに先を話す。

「でも、ピアニーは、素敵なお嫁さんに、優しいお母さんになりたいんだよね? ……だったら私は、ピアニーの隣にいちゃいけないんだ。私が隣にいたら、私はピアニーを恋人として好きでいようとしちゃうし、ピアニーは優しいから、そんな私を突き放すときにはすごく傷つくだろうし、もしかしたら突き放せないで自分を曲げちゃうかもしれない。そんなの絶対にだめだよ。……だから」

 話しているうちにはっきりした。ルピスが魔術を使って思いを伝えても、二人の望む二人のあり方が矛盾する以上、もはや二人してよけいに傷ついてしまうだけなのだ。

 ルピスは右手を下ろす。彼女の中で荒れ狂った葛藤を知らないピアニーが、あの甘い声で懸命に訴えた。

「ルゥちゃん、大好きだよ。格好良くて、綺麗で、いつも優しくしてくれて……わたし、そんなルゥちゃんが大好き」

 ひたむきな調子は、勢いを失った葛藤をしずめていく。知られなかったことにルピスは感謝した。もし知られてしまっていたら、さすがのピアニーでも、こんな声で語りかけてはくれなかったかもしれないから。

「私も、かわいくて優しいピアニーが大好きだよ」

 同意をしつつ俯くルピス。思いは「ちゃんと伝え」なくてもわかってもらえることがあるのだと、彼女は今ようやく気づいていた。――そして、そうしてわかってもらえたとして、そのことが必ずしも思った通りの結果を導くわけではないということにも。

 頷いたピアニーが、ゆっくりと告げる。

「大好きだから……わたしたち、親友でいよう?」

 ルピスは無意識のうちに、ちゃんと正確に伝えれば思いは分かってもらえて、分かってもらえれば全てがうまく行くと、そう思いこんでいた。無意識の誤り――論過に陥っていたのは、彼女の方だ。

「うん、わかった」

 伝わった結果を受け入れて、ルピスは素直に頷き返した。

「でも……最後に一つだけ、思い出がほしい」

 そう言って両腕を広げると、ピアニーも同じようにしてくれる。ルピスは彼女の腕の中へと飛びこんでいき、二人は抱きあって、声を出して泣いた。

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ソファラムの論過 白沢悠 @yushrsw

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