ピアニーの夢

 ピアニーはしばらくうつむいていたが、浴室の様子が目に飛びこむやいなや表情が明るくなった。無理もない、すでに来たことのあるルピスにとっても、白い石材と水とに光が跳ね返りきらきらと輝く様子はやはり壮観だ。外での照り返しは憎いが、こういうときばかりはこの街の土地柄と昔の魔術師に感謝したくなる。

 周りにならって体を流すのもそこそこに、急いで浴槽に向かおうとするピアニー。滑って転んでしまいそうになるのを支えれば、自然と手を繋いでしまう形になり、ルピスの胸が二重に高鳴る。

 少しぬるいくらいの水に肩まで浸かったピアニーは、いかにも気持ちよさそうにゆっくりと手足を伸ばした。

「ルゥちゃん、ここのこと教えてくれてありがとう」

「どういたしまして。……さ、しっかり涼んだら、体が冷えすぎちゃう前に上がろうか」

 ところが、体を拭いて服を着るというときになってちょっとした問題が出てきた。長衣の前を合わせるのが苦手なピアニーをいつものように手伝おうとしたところ、首を横に振られてしまったのだ。

「手伝わなくて大丈夫だから、自分で着させて?」

 ピアニーは恥ずかしそうにちらちらと人目を気にしている。誰も見ていない部屋でなら良くても、知らない人が見ているここでは恥ずかしいのだろう。もちろんピアニーのお願いならルピスは拒まない。

 しかしそのせいで、彼女はうまく服を着られなかったようだ。

「ごめん、ルゥちゃん、あんまり速く歩かないで……?」

 学院へ戻る道中、ピアニーがおずおずとルピスの服を引っ張る。服をきちんと着られなかったために動きづらいらしい。ごめんね、と返しながら、ルピスはつい手を差し出した。戸惑ったように目を泳がせたピアニーはしかし、すぐに差し出された手を握る。

 ルピスが道行く人々の中に見知った顔を見つけたのは、その時だった。

「あっ、ルピス先輩にピアニー先輩。えっと……そういえば、私のこと覚えてます?」

 ほぼ同時にこちらに気づいて話しかけてきたのは、例の後輩オリガとその友人ナルファだ。一応自分がルピスたちとほとんど話したことがないという認識はあるらしい。繋いだ手をそっと離して、決まり悪そうにピアニーが答える。

「オリガちゃんとナルファちゃん……だよね?」

「うわ、先輩がた覚えていてくれたんですね! 嬉しいです! あの……嬉しいついでに、一つ質問してもいいですか?」

 ルピスとピアニーは顔を見合わせた。クエロの研究室へ質問をしに行っていたオリガのこと、精神干渉魔術に関するものだろうか。いずれにせよ断る理由はない。

 二人があいまいに頷くと、オリガは飛び跳ねるのではないかというくらいに喜んだ。

「ありがとうございます! それで、質問なんですけど――導入講義のときからそうかなって思ってたんですが、やっぱりお二人も付きあってますよね?」

 ピアニーが硬直する。

 ほぼ同時に、その様子を見たルピスも言葉を失った。

「うん……と、私たち『も』ってことは、オリガちゃんたちは、その、付きあってるの……? なんで?」

 こぼすように言葉を重ねていくピアニー。その様子は明らかに異質なものを前にしたときのそれで、ルピスは何も言えなくなってしまう。

 ずっと黙っていたナルファが何か言いたげに身じろぎをするが、その前にオリガが慌てて先を続けた。

「え、そりゃ付きあってますけど、なんでって……そうですね。強いて言うなら、女の恋人の方がいろいろ分かりあえていいじゃないですか」

 ただならぬ空気の中、必死で紡がれた言葉は空回りするばかりだ。ピアニーは俯いて少し考え、そしてゆっくりと顔を上げてオリガを見すえる。

「……ごめんね」

 そのたった一言を、ルピスは妙に冷静な心で聞いた。自分の告白に対する言葉ではないからだろうか。

「ルゥちゃんのことは大好きだけど、わたしたちはそういう関係じゃないんだ。……わたし、お父さんとお母さんみたいに、結婚して、子供をもって……そういう普通の、幸せな家族が欲しいの。だから、申し訳ないんだけど、違うよ」

 さらに焦って視線をさまよわせたオリガと目があう。ルピスが初めて見る、罪悪感がそのまま固まってしまったかのような表情。しかし彼女からすれば、あの質問は仲間を見つけたと思いこんだための気楽なものであって、実際ルピスはピアニーに恋をしているのだ。

 気にしないで、と念じながらオリガを見つめるが、やはり伝わっていないのだろう、彼女はなおも言葉を探す。

「オリガ、謝って。もうこれ以上はだめだよ」

 そこでナルファが口を開いた。ナルファ、と呟いたオリガは、相手の真剣な眼差しに、やはり何も言えなくなってしまったらしい。

「分かったよ。――変なこと訊いてごめんなさい、ピアニー先輩、ルピス先輩。本当に、本当にごめんなさい」

「ルゥちゃん……?」

 ルピス先輩、というところで、ピアニーがこちらへ向き直る。オリガがあんな顔になったくらいだから、自分はよほど酷い表情をしているのだろう。ルピスは必死で笑顔を作る。そうしなければ、優しいピアニーは気づいてしまうだろう。それは嫌だと、どうしてか強く思った。あれほど強かった、きちんと思いを伝えなければという思いは、もはや全く頭にない。

 ルピスは精一杯話を逸らす。

「そんなに謝ることないのにね。……まあ良いや、行こう? 立ち話をしてたら、また汗をかいちゃったよ」

 汗のことを言われて、思い出したように服や髪を気にするピアニー。ルピスはどうにか話題を変えることができたことに安堵しながら、手を引く代わりに背中を押して、学院へ戻ろうと彼女に促す。

 強い陽射しが、辺りの景色を白く浮かび上がらせていた。

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