ちゃんと伝える

 しかしルピスのそんな高揚は、困ったピアニーの何気ない一言にしぼんでしまう。

「そういうルゥちゃんは、どうして精神干渉魔術を選んだの?」

 熱がすっと引いて、意識が急速に現実へ、さらに過去へと引きこまれる。自分の表情がピアニーから見えないことに感謝しつつ、慎重に言葉を選んでルピスは語った。

「私のお母さんはね、お父さんがお母さんと喧嘩して、家を出ていくまでは優しかったんだよ。それで、その頃のお母さんの口癖が『ちゃんと伝えればわかってくれる』だったの」

 語りながら両親を思い出す。優しく立派だった父、本人のせいでないとはいえ上手く行かなくなった仕事のうっぷんを、妻に暴力としてぶつけるようになってしまったみにくい男。そして、彼が一番辛いのだから、いつか分かってくれるのだからと、美しかった顔を酷くらしてまで父に支配されつづけた母。

「結局、お母さんはちゃんと伝えられなかったんだろうね。だから私は、ちゃんと伝える方法が知りたい」

 ピアニーには刺激の強い内容を避けつつ、努めて淡々と締めくくる。男性というものはいずれ父のようになってしまうのではないかと恐ろしくて、女性しか愛せなくて、今はピアニーを愛している―—そんなことは、ちゃんと伝えなければとうてい分かってもらえないだろう。今の私の魔術で可能だろうか。

「……やっぱり、ルゥちゃんも優しいよ」

 無意識に眼差しを鋭くするルピスの耳を、柔らかな甘い声が打つ。

「ピアニーほどじゃないよ」

 はっと我に返ったルピスはほとんど反射的にそう返した。私はなんと恐ろしいことを考えていたのか。ピアニーを抱いていた腕を離し、書きかけの紙の方へと視線を逸らして言う。

「ほら、食べ終わったらそろそろ支度して。先生のところへ行こう」

 そのまま、なるべくピアニーを視界に収めないようにしてクエロの研究室へ向かった。魔術の明かりが灯る白い石造りの廊下を、いつもの道をたどって歩く。目的の場所に着き、扉を叩こうとした二人は、研究室の中からの声を聞いた。

「ありがとうございました、クエロ先生」

「ええ、また質問があったらいつでも来てちょうだい」

 どうやら先客がいたらしい。聞き覚えのある声の主の名前を思い出すより早く、扉の向こうから彼女が姿を表した。赤い髪の妙に堂々とした少女と、その隣で影のようにおとなしくしている少女。共に深緑色の外套を羽織っている。導入講義でクエロに指名されたオリガとその友人だ。

 声をかけようか二人が迷っていると、オリガは愛想よく笑顔を作って話しかけてくる。

「あ、ルピス先輩とピアニー先輩だ。クエロ先生にご用事ですよね?」

 名前を呼ばれて戸惑いながらも頷くルピス。オリガが二人の名前をきちんと聞いたのは導入講義の一回きり、あとは講義の手伝いの中でクエロに呼ばれていたのを聞いたかどうかのはずだ。もちろん事務的な範囲を超えて話したこともない。

「じゃあお邪魔しないようにしなきゃ。本当は先輩ともお話ししてみたかったんですけど、別の日に取っておきます。……行こう、ナルファ」

 結局オリガは勝手に納得して、ナルファと呼んだ友人と一緒に去っていった。

 ルピスは気を取り直して研究室の扉を叩く。

「先生、ルピスとピアニーです。質問に来ました」

 入って良いわよ、と言われて研究室に足を踏み入れると、疲れた表情のクエロがそこにいた。しわを寄せた眉間に手をやっている。

「やはり、さっきの二人のせいですか?」

 お茶を淹れつつルピスが尋ねる。何度か研究室を訪ねていくうちにここでのお茶の淹れ方を覚えた彼女は、今では当たり前のようにこの作業を任されていた。汲み置きの水と発火の魔符があり、水汲みも魔術の行使も必要がないから楽なものだ。華やかな深い香りが漂う中、クエロは礼を言ってカップを手に取り、一口飲んでから答えた。

「二人というより、オリガのせいね……いえ、根は悪くないのは分かる、分かるんだけど……やっぱり、相手をしていて疲れるわ。私の心を読んでみてください、なんて言う生徒は数十年ぶりよ。とりあえず表面的な思考を読んで満足してもらったんだけど……」

 ルピスは驚き、しかしオリガなら言うかもしれないと納得する。心を読まれるというのは一般的に怖いことで、まして教師と生徒という関係ならなおさらだ。それは助手であるルピスたちですら例外ではない。精神魔術を個人的な理由で使おうとしているという負い目のあるルピスはともかく、ピアニーですら自分から求めたことはないのだ。だが、あれだけ物怖じしないオリガなら、あるいは。

 一方、ピアニーはルピスとは違う理由で納得していた。

「そう言えば、オリガちゃん、たぶん一度しか聞いてないのに私たちの名前を覚えてましたよね……良い子ではあるんでしょうか?」

 ピアニーに「ちゃん」をつけて呼ばれ、しかも少し褒められたオリガ。ルピスがわずかにねる。

「どうかしらね……いずれにせよ、ああまで精神魔術に忌避感がないというのは少し問題よ。……少し、昔の教え子を思い出したわ」

 ふっと遠い目になったクエロは、しかしすぐに笑顔を作って話を変える。

「そう、二人は質問に来たんだったわね。何かしら?」

 ピアニーが書きかけの紙を手に前へ出た。

「えっと、二人じゃなくて、わたしが質問に来たんです。辛い気持ちがどれだけ和らいだかを測る術式の編み方についてなんですけど……」

「なるほどね。どの辺りが難しいのかしら?」

 はい、とピアニーは説明を始め、クエロは腕を組んで、ときどき頷きながら耳を傾ける。することのないルピスはそんな二人を眺めながら、彼女自身の研究、閉鎖集団による論過の助長と銘打たれたそれについて思いをせていた。

 まずは今の課題を終わらせよう。精神干渉魔術師として経験を積んで、自分の気持ちと実力に自信が持てたら――いつになるかはわからないが、ピアニーに思いを伝えよう。

 ちゃんと伝えないと、きっと「論過」が生じてしまうから。

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