嫌いと好きと好き

 メレフィア魔術学院があるのは王国西部のルイミーユ、銀の書庫の異名をもつ街だ。建物には近くの山で産出する白に近い色の石材が用いられ、魔術によって造られた水路と共にこの街の特徴的な景観を形作っている。陽の光に輝く白い街並みと水面、そして魔術師や学者の多い土地柄とが、銀の書庫という名の由来だった。

 そんな街を一人、眼と同じ深い青色の髪をなびかせてルピスは走る。足りなくなった紙と墨液インクを買いに出た帰り、ちょっとした荷物を胸に抱えて、青い髪と外套とが白い街並みに映える。

 突然、ルピスが足を止めた。三人ほどの若い男性が道をふさいでいた。先を急ぐルピスに、彼らはよりにもよって甘い声を作って話しかける。

「ねぇそこの君、今時間ある?」

「ありません。急いでいるのでどいてくれませんか?」

 とりつく島もない即答だった。逆上することもできた男たちは、官憲が来ることを恐れたのか、一目で魔術師と分かる服装に勝ち目はないと判断したのか、あるいは相手の汚い物を見るような目にひるんだのか、気まずそうに黙りこんでしまう。ルピスはそんな彼らにいちべつをやり、彼らを避けて駆け去った。

 これだから街は嫌だ。早く学院へ戻ろうと、ルピスは足に力をこめる。彼女はかなり容姿に恵まれている方だ。涼しげな目元、通った鼻筋、白く滑らかな肌と髪や眼の深い青の鮮やかな対比。だから、路上の露店に立つ青年が彼女に目を留めたとしても何ら不思議ではない。暖かくなってきたこの季節、街には露店が増えている。

「お嬢さん、一つ買っていかないかい?」

 無視。ルピスはそもそも男性というものが嫌いだ。しかし、彼が売っていた物は彼女の気を引いた。果物を砂糖で煮て、穀物の粉で作った生地に包み、さっくりと焼き上げたお菓子。買って行ったらきっと、甘い物が好きなピアニーは喜んでくれるだろう。そう思ったルピスは少し寄り道をして、女性が同じような物を売っている露店を探す。

 水路沿いの通りにそれは見つかった。小さなかわいらしいたたずまいの露店が、水面のきらきらした光を受けている。

「それ、おいくらですか」

 ルピスは四十歳ほどと思われる店の人に声をかけた。

「一袋五個入りで、小貨三枚だよ」

 露店らしい手頃な値段だ。ルピスは硬貨を三枚取りだして手のひらに乗せ、一袋ください、と言って差し出す。まいどあり、と笑った女性は、袋を一つルピスに渡してきた。

 お土産もできたことだし、早く戻らなければ。弾む足取りで学院の、ルピスたちの部屋へ戻ると、そこではちょうどピアニーが書きかけの何かを前に頭を抱えていた。

「ただいま、ピアニー。もしかして行き詰まってた?」

「あ、ルゥちゃんおかえり。うん、ちょっとここ、難しくて」

 彼女が指したところを読んだルピスは困ってしまう。それは術式に関することで、まだ経験の浅いルピスに助言ができるようなことではなかった。

「そこはちょっと、私には何とも言えないな。ほら、これ食べたら一緒に、先生のところへ訊きに行こう?」

 ピアニーは助手になってしばらく経つのに、まだ研究室に苦手意識を持っている。それを踏まえて優しくルピスがさとすと、彼女は素直に頷いた。

「じゃあ、まずはこれ食べちゃおうか」

 買ってきたものを脇に置いて、手慣れた手つきでお茶を淹れる。いつもの甘い花の香りが部屋中に漂った。もちろんこのお茶も、ピアニーの好きな茶葉を選んで買ってきているのだ。ルピス自身は果物の爽やかな香りがするお茶も好きだが、ピアニーの喜ぶ顔には代えられない。お茶をカップに注ぎ、買ってきた焼き菓子と一緒に差し出すと、しかしピアニーは研究が行き詰まっているからか浮かない顔をしている。

「ルゥちゃんはすごいね、何でもできて。わたしなんか、お茶を淹れたらこぼしちゃうし、お買い物に行ったらよけいな物まで買っちゃうし……きっと卒業したら、ルゥちゃんは良いお嫁さんになれるよ」

 お嫁さん、という言葉に、ルピスはいきなり頭を殴られたような気分がした。彼女には嫁に行く気などさらさらない。むしろ嫁が欲しいくらいだ。だがそれは事情を知らないピアニーにとっては褒め言葉で、だからルピスは笑顔を作る。

「小さい頃から親が家にいないことが多くて、何でも一人でさせられていただけだよ。それに私が男の人だったら、ピアニーみたいな優しい子がお嫁さんに欲しいな」

 後半に本音を、慰めと受け取られると知りつつ口にする。カップを手に取ったピアニーは、複雑な家庭環境を思い出させてしまったことを申し訳なく思ったらしく、しょんぼりと肩を落とした。

「あ……ごめんね。ルゥちゃんは大変だったのに、わたし、何にも考えないでうらやましがっちゃって……」

「良いんだよ。優しいお父さんとお母さんがいたから、ピアニーも誰かに優しくできるんだもん。謝ることじゃないよ」

 本当にピアニーは優しい。ルピスは彼女の丸まった背中を愛おしむように撫でた。しかし、それなら自分はどうなのだろう。両親を思い出して目を伏せたルピスは、振り返ったピアニーが、自分の顔を覗きこんでいたのに気づいた。

「あのね……わたし、ルゥちゃんも優しいと思うよ?」

「ありがとう。そう言ってくれるのはピアニーだけだよ」

 ルピスは微笑み、食べようか、と促す。甘い香りのお茶に少し酸味のある果物がよく合う。あっという間に二つずつ食べてしまい、開いた紙袋の上には最後の一つが残っていた。

「それはピアニーの分だよ」

 口の端についたぬぐってやりながらルピスは言う。ありがとう、と嬉しそうに焼き菓子を取るピアニーを、かわいいなぁと思いながら見つめる。ところが、その視線をやはりお菓子が惜しいのだと勘違いしたのか、彼女はお菓子を口にくわえたまま申し訳なさそうな顔をした。

「……じゃあ、一口だけもらおうかな」

 そのまま食べようとしないのが愛おしくておかしくて、それがルピスに思い切った行動をとらせた。ピアニーの口から焼き菓子を取り、彼女の口に触れていたところを一口かじってから戻したのだ。ふぅひゃ、などと微妙な声を上げて顔を赤らめるピアニー。恥ずかしさに顔を伏せた彼女は、嬉しそうなルピスを見てなんとか納得したらしい。

「やっぱりピアニーは優しいね。傷ついた人の心を癒やしてあげたいっていうのも優しいし。魔術なんかなくたって癒やされちゃいそう」

 くすくすと笑いながらピアニーを撫でる。最後の焼き菓子を食べ終わった彼女はさらに顔を赤くした。

「うん……確かに、皆がもっと喧嘩しないで幸せに暮らせたらいいのにって思って、精神干渉魔術にしたっていうのもある、けれど……」

「けれど? 他に理由があるの?」

 ピアニーは目をらした。かわいい。少し意地悪をしたくなってしまったルピスは先を促す。ピアニーが手で顔を覆った。指の隙間から湯気が出てきてしまいそうなくらいに、その頬は紅潮しているのだろう。か細い声が漏れ出てくる。

「えっと……ル、ルゥちゃんが格好良かったから……」

「ああもう、ピアニー大好き」

 ルピスは堪えきれず後ろからピアニーに抱きついた。甘い匂いがして、頭の芯がふわりとなる。彼女の顔は見えないが、耳の後ろが赤くなっているのが分かった。

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