伝えるための魔術

「皆さん、メレフィア魔術学院へようこそ。私はここで教師をしているクエラシュロ・ミア・ホロナディです。こちらの二人は私の助手で、ルピス・ソファラムとピアニー・マナリラ。皆さんの先輩でもあります」

 紹介されたルピスたちは生徒たちに向けて軽く一礼した。クエラシュロというのはクエロの正式な名で、クエロは書物の民ベルディアの姓の発音が苦手な人族が呼ぶ通称だ。

「今ここにいる以上、皆さんは魔術を学ぼうと思っているはずです。精神、付与、召喚、創造――皆さんそれぞれに志す系統は異なるのでしょうけれど、それらは全て、世界の常識を局所的に書き換える技術である、という点で共通しています。そこの赤い髪の貴方、名前は?」

 話を続けたクエロはそこで、隣の生徒と話していた一人の少女を指名する。導入講義におけるちょっとした伝統だ。ルピスは微笑みながら、肩身の狭そうなピアニーを見やった。教本を寮に置き忘れたことで指名された彼女にルピスが自分の教本を見せてあげた、というのが二人の出会いだった。

「オリガ・レナーデです、ミア・ホロナディ先生」

 一方、赤い髪の少女はおとがめ半分の指名にもおくさず名乗る。本来それが正式な呼び方であることを知ってか、クエロを姓で呼びさえした。むしろ彼女と話していた少女の方が気まずそうにしている。

「そう。ところで言い忘れていたけれど、私を呼ぶときは姓ではなく『クエロ』で構いません。ここは人族のための学院ですから。それで、オリガ、貴方が持っている術具を見せてくれる?」

 オリガは赤い革張りの真新しい本を掲げてみせた。

「魔術書ね。――魔術書に限らず、魔術の行使には術具が要ります。詠唱と術具によるつづりとで魔力を――精神の力を操作し、常識に対して術者の意思を押し通す。魔術とはそういう技術です」

 クエロはそこでオリガに着席をうながし、ルピスたちに合図する。

「説明するより、まずは見てみましょう」

 生徒たちの視線が集中してピアニーの顔が青くなったのがルピスにはわかった。さり気なく、打ち合わせでもするふうを装って軽く背中を叩く。本当はもっとしっかり励ましてあげたいが、見られている手前しかたない。幸いそれでもピアニーは落ちついてくれたようだ。

 二人は目配せをし、ルピスは右手人差し指の指輪を、ピアニーは背丈の半分ほどの長さの杖を振り回して呪文を唱える。ルピスの右手の上に小さな炎が、ピアニーの杖の先に小さな光が灯って教室を照らした。生徒たちが感嘆の声を漏らし、クエロが小さくうなずく。

「はい、ありがとう。――この場合は『突然空中に炎や光が出てくることはあり得ない』という常識に対し『炎や光を出す』という意思を通していることになります。そして忘れないでほしいのが、今皆さんが見ている術は、魔術の中ではほんの基本にすぎないということです」

 静かな驚きが教室を満たした。この一連の流れも導入講義の伝統である。五年前のルピスたちも今の新入生のように、上級生の魔術に憧れ、それが初歩でしかないのだと聞かされて驚いたものだ。

 クエロは生徒たちが落ちつくのを待って話を再開する。

「では、魔術における応用とは何か。その答えの一つが、私の専門である精神干渉魔術です。ただ単に魔力を振り回して誰かの精神を傷つけるだけなら簡単でも、皆さんが想像するような精神干渉魔術――心を読んだり、声に出さずに思いを伝えたりといった術を行使するには、今の皆さんには想像もできないほどに精密な魔力操作が求められます」

 声に出さずに思いを伝えたり――その言葉に、ルピスはふと暗い眼差しをピアニーに向けた。彼女が精神干渉魔術を志したのはまさに、伝えたい思いがあるからだ。精神干渉魔術を使った意思疎通には、言葉を介したそれとは違い、誤解や曲解の余地は生じない。

 ルピスは女性しか愛せない。そして、今はピアニーに片思いをしている。

 この時代のこの国で、同性への恋愛が禁じられているということはなく、また特に差別があるというわけでもない。だがそうした恋愛をする者はどうしても少数派で、だからこそ伝わらない思いというものがある。

「当面、皆さんの目標は今見た術――いわゆる攻撃魔術の習得を通じて、魔力の操作を会得することです。皆さんの努力を期待します」

 物思いにふけっていたルピスは、クエロが講義を締めくくる言葉で我に返った。興奮気味に外へけだす男子生徒たちや、先輩の様子をちらちらとうかがってくる女子生徒たちを見送ってから、ピアニーが不安そうに顔を覗きこんできていたことに気づく。

「ルゥちゃん、どうしたの? 何かあった……?」

 そう言う彼女の顔も悲しそうで、ルピスは胸を痛めた。魔術とは関係なく人の気分を察知する力がピアニーにはあるかのようだ。そんな気がいつもしている。

「うん……いや、先生に当てられていたあの子、ずいぶん態度が大きいなぁと思って。あ、あと、たぶん研究のお手伝いが上手くできるかちょっと不安なんだと思う」

「あ、それは確かに不安かも……」

 あまり上手い言い訳ではないなと言いながら思ったが、自分の不安を言い当てられたピアニーはごまかされてくれた。二人が純粋に不安なのだと思ったのかどうなのか、講義の資料を片づけ終わったクエロが笑って言う。

「二人ならきっと大丈夫よ。そんなに難しい題材じゃないし、分からないことがあったらちゃんと教えるわ。……じゃあ、ちょっと長くなるし、資料も渡したいから、また研究室まで来てくれる?」

 はい、と揃って返事をし、クエロについて研究室、つまり講義前に彼女を迎えに行った部屋へと歩く。教師の研究室が並ぶ区画を行きかう者たちの外套はたいてい臙脂か青紫で、ほとんどがそれなりに着古されている。青紫の真新しい外套を羽織ったルピスは、誰かとすれ違うたびに背筋の伸びる思いがした。

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