中断そして再開

 連行されていくイェソドを見送りつつ、ログナーはサラファスのところへ戻った。ちょうど部屋を出ようとしていたらしいサラファスはログナーを見るなり勢いこんで言う。

「よく戻ってきてくれた、ログナー。話はミロンから聞いた。私はこれから姉上のお部屋へ行く。姉上がそのようなことをするはずがない」

 ログナーは力なく首を横に振った。

「畏れながら、サラファス様。私もメルリーゼ様がそのようなことをしたとは思っておりませんが、しかしこれからメルリーゼ様をお訪ねするというのはまず叶わないと思われます」

「なぜだ、ログナー」

「私が探りを入れに行ったところ、メルリーゼ様が件の菓子をお作りになったことまで突き止めたお館様の間諜たちが、部屋の護衛をイェソドから代わってしまったからです。力及ばず、申し訳ありません」

 サラファスが顔色を失った。恐れていたことが起きてしまった、というふうで、あまり驚いてはいないようなのが気になる。だが彼はログナーの視線に気づくと努めて平静に装い、もう一つの疑問を口にする。

「姉上は、例の菓子を味見していたのか?」

 姉の身を案じる、いかにもサラファスらしい内容だ。

「はい。イェソドがそう申していたので間違いはないでしょう。しかしメルリーゼ様には侍医の方がついておられます。護衛もイェソドではないというだけで複数名いるのですから、そうご心配なさいませんよう」

 ログナーはそんな主に少しでも安心してほしかった。確かにメルリーゼは体調を崩し、置かれた状況は軟禁も同然だが、見方を変えれば侍医といつもより多くの護衛とに守られて養生しているともいえる。

「私を気遣ってそう言っているのは分かる」

 サラファスは困ったように微笑む。

「ならば私は、これ以上お前を困らせてはいけないな。私から姉上に何もして差し上げられないのは心苦しいが……それはお前のせいではない。ご苦労だった、ログナー。今日は本来非番だったのだ、もう休め」

「明日はいかがいたしましょう。調査の続きをお命じになりますか?」

「いや……明日からはまた護衛を頼む。調査は父上の手の者に任せよう。姉上がひどく疑われているのではないのなら、それで充分だ」

 ログナーは深々と礼をすると、ミロンの待つ自室へと下がった。


 そして次の日。朝の身支度を終え、昨日に引き続いて書状をさばいているサラファスの部屋を、ログナーは他の護衛たちやミロンと共に守っていた。護衛の数はいつもより多い。毒薬使いが邸内で暗躍している可能性をまだ否定できていないからだ。

 そこへ、掃除を担当しているはずの使用人が一人走ってくる。伝言を頼まれたという彼は、ログナーに向かってこう言った。

「ログナーさん、経理係の方が裏庭まで来てほしいとのことです。用件をお尋ねしたのですが『昨日のことと言えば分かる』と……」

 昨日のこと――つまり、使用人が倒れた理由が菓子の材料にあるかもしれないという件だ。補充の必要があるか判断するために食料を調べるという経理係に対し、ログナーは、何かわかったら教えてくれるように頼んでいた。

 そしてそのことはミロンが報告していたらしい。判断を仰ごうとログナーが振り返ると、サラファスはきっぱりと言う。

「行ってくると良い。わざわざ調べてくれたのに聞かないのでは彼に悪い。ただし昼には戻って来てくれ。午後はまた視察なのだからな」

「承知しました。ミロン、すぐに戻るからお前は残れ」

 ログナーはミロンに待機を命じ、他の護衛たちに自分が抜ける穴を埋めるための指示をして、経理係の待つ裏庭へと急いだ。

 フィアダーマ家の裏庭は、庭というより畑に近い。ログナーは紅玉果の樹の横を抜けて経理係を探した。すっかり嫌な思い出ができてしまった紅玉果だが、今の季節、樹には実がなっていない。紅玉果は夏の果物、そして今は晩秋にあたる。

 裏庭の一角に、妙に鳥が集まっていた。茶色の斑点が入った羽の鳥を追っていくと、そこに経理係が佇んでいる。彼の方へ向かうと近くの鳥たちが飛び立つ。経理係はその音でログナーに気づいたようだ。

「わざわざこんなところまで呼び出してすみませんね」

 片眼鏡に手をえながら、口元だけで奇妙に笑う。もう片方の手には布の袋をげていた。そこからった穀物を取り出しては鳥に投げてやっているらしい。

「構いません。それにしても、ずいぶんたくさんの鳥ですね」

「おや、もしかして貴方は鳥がお好きでしたか? そうだとしたら少し困ったことになるのですがね」

 その言葉の意味はすぐに分かった。鳥のうち数羽が苦しむような鳴き声を上げ、ばたばたと羽ばたいてもがきだしたのだ。驚いた残りの鳥が飛び去っていく。驚いたのはログナーも同じだった。

「経理係殿、貴方はこのために裏庭を指定されたのですか……?」

「その通りです。貴方にはきちんと証拠をお見せした方がよろしいかと思いましてね。ああ、殺してしまったのは畑に干している穀物を食い荒らす種類の鳥ですので、どうか大目に見てください。死骸は後できちんと僕が埋めておきますから」

 矢継ぎ早に話しながら、経理係はその手に握っていた物を見せる。それは彼が手に提げた袋の中に入っているものと同じ穀物の粒だったが、たっぷりと水気を含んで膨らんでいた。

「紅玉果がかっていた糖蜜に漬けてあります。それが毒の正体ですよ。人族であれば悪くしても数日寝込む程度で済むようですが……」

 経理係は平然と言い放つ。およそ経理には必要のない知識だがどこで仕入れたのだろうか。ログナーの一瞬のかっとうになど気づいてもいないといった様子で、経理係は得意げに語る。

「ともあれ、これで誰かが故意に毒を盛った可能性はかなり低くなりますよね? 私が毒薬使いなら、誰がいつ食べるか分からない糖蜜漬けにあえて毒を入れるなんてことはしません。誰でも良いから犠牲にしたいのであれば井戸に投げますね。それか酒です。あれなら毒が無味無臭でなくてもうまく誤魔化せるでしょうし」

 だからその無駄に詳しい想定は何なんだ。そう思ったログナーだが、すぐに頭を切り替える。悪いものが入っていたのは紅玉果の糖蜜漬けだ。そしてその糖蜜漬けには毒を入れる意味があまりない。しかし、意味がないというだけでは証拠にはならないのだ。メルリーゼの無実の証明には、糖蜜漬けに毒が入った理由を説明しなくてはならない。

 だが、そのための調査はサラファス様のお許しを得てからだ。はやる気持ちをどうにか抑える。

「さて、ではこの壺は貴方に預けましょう」

 そんなログナーの目の前に、片腕で抱えられるほどの壺が差し出された。ではと言うわりに脈絡のない話だ。思わず呆気にとられてしまう。

「おや、どうしてそのような顔をするのです? この家の者の無実を証明せよと、サラファス様のご命令があったのではないのですか?」

 経理係は、心外だとばかりログナーに壺を押し付ける。

「この糖蜜漬けを作ったのは料理補助の使用人たちだそうですから、彼らに尋ねれば悪いものが入った理由の見当もつくでしょう。ああ、調べ終わったら中身は捨てて、壺は洗って返していただけると助かりますね」

 彼は一方的に話すだけ話すと、溜まった仕事があるのでこれで、と言い残し、鳥の死骸だけ回収して去っていった。その辺りはりちらしいが、そんなことはさいなことだ。仕事熱心で親切な経理係は大変な難題を残していった。この家の者の無実を証明せよ、とは確かにサラファスの命令だが、それは昨日の時点での命令だ。

 どうしたものか。ログナーは壺を眺める。すぐに戻ると言って出てきたが、まさか毒のある糖蜜漬けを主の側に持ち帰るわけにもいかない。だからといって中身を調べずに捨てることもやはりできない。

 悩んだ末にログナーは調理場へと向かう。サラファスは昼までに戻れと言っていた。昼までに悪いものが入った理由の見当がつけば良いのだ。そうでなければ再び経理係に預けよう。方針が決まると、自然と歩みは早くなっていった。

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