個人的な願い

 ――そして彼の驚きは続く。

 部屋の扉が三つ叩かれ、そっと開けると、外には部下が立っていた。

「サラファス様がお呼びです。武具はつけなくて良いそうです」

「分かった。すぐに行く」

 ログナーは少しだけミロンを振り返るが、すぐに部屋を出た。サラファスはミロンが寝こんでいることを知っている。その上でログナーを呼ばなくてはならない理由があるのだ。サラファスの寝室へ急ぐ途中、その用件について考える。武具をつけなくて良いということは護衛ではない。そんなことは今までになかった。

「サラファス様、ログナーです。ご用は何でございましょうか」

 夜警を頼んだ護衛に通してもらい、武具の無い心もとなさを感じながら頭を下げる。サラファスの表情からは決意が窺え、ログナーは思わずつい先程のミロンの顔を重ねて、すぐに非礼だと思い直した。

 向かいあった椅子の片方に座るサラファスは、ログナーの姿を認めるとどこか儚げに微笑み、もう片方の椅子を手で示す。

「こんな時間に呼び立ててすまない。まずはそこにかけてくれ」

 ログナーはためらってから指示に従う。サラファスは彼の主なのだから、彼を対面に座らせる必要は無い。それに、深夜とはいえサラファスが起きているなら使用人の一人も呼んでいて良さそうなものだが、今この部屋にいるのは二人きりだ。それらが示すこと――内密な、それも重要な話の語りだしは、それでも極めてサラファスらしいものだった。

「父上は明日すぐに私兵を割いて、徹底的に事情を調べるそうだ。私が何を申し上げても聞き入れてはくださらなかった。……私のせいだ」

 彼はまだ毒殺疑惑のことを気にしているらしい。

「サラファス様のせいではありません。お館様はそれがお役目でいらっしゃるのです。あまり気に病まないようになさいませ。いずれ当主の座に就かれれば、貴方も同じようになさらねばならないのですよ」

 しかしサラファスは首を横に振る。

「いや、大本はおそらく私のせいなんだ。だから……ログナー」

 そこからまっすぐにログナーを見つめて――。

「お前に折り入って頼みがある。父上の手の者より先に事情を調べ、この家の者の潔白を証ししてほしい。お前でなければ、こんなことは頼めない」

 ――あろうことか、頭を下げた。

「サラファス様! 一介の護衛に何ということをなさるのですか!」

 ログナーは一瞬で冷静さを失って勢いよく立ち上がる。毛足の長いじゅうたんに引っかかって倒れた椅子が大きな物音を立てる。それで我に返ると、まだ頭を上げない主に今度は血の気が引く。平常心を取り戻すためには長い沈黙を要し、その間サラファスは身動き一つしなかった。

「承知、いたしました。……どのみち私は、貴方にご命令されれば従わねばならぬ身。本職のかんちょうには及ばないでしょうが全力を尽くします。力が及ばなかった場合は、ご容赦ください」

 椅子を起こしてから、サラファスの前へ進み出て膝をつく。実際ログナーには主の依頼を遂行する自信がなかった。間諜、すなわち情報収集を専門に行う者の複数人に、ただの護衛がかなうとは思えない。

「引き受けてくれるなら十二分だ。ありがとう」

 それでもサラファスはようやく頭を上げ、さらに椅子から立ち上がった。その微笑みに、ふふ、と何かをしがるような声が交じる。

「こうしてお前に叱られるのはいつぶりだったかな。あの頃はもう二度と叱られるものかと思ったものだが……案外悪くないものだ。ミロンが何度もお前に叱られている理由が分かる気がする」

「お止めくださいませ。私がサラファス様をお叱り申し上げることなど、これまでもこれからもございません。臣下は主をお諌めするのみです」

 サラファスが驚いたようにログナーの顔を覗きこんでくるが、ログナーは至って真剣だ。

「……そうだったな。すまない、妙なことを言った」

 手を伸ばせば触れられる程度の距離で、サラファスが長いまつを伏せている。その微笑みに切なげなものを感じたのは、これまた先程のミロンとのやり取りのせいか――いや、甥と主を重ねるなどあってはならない。

「きっとお疲れなのでございましょう。私はこれで失礼いたします。どうか今日はもうお休みください」

 疲れているのは自分もなのだろう、とログナーは思う。夜になったあたりからか、話している相手の考えがまったくわからない。そればかりか妄想に等しいようなことを直感してしまっている。体の調子を意識してみれば、なるほど確かに少しどうがしていた。

 サラファスはいつものように柔らかく、あきらめの色を隠すように――調査は了承したのだから、何も諦めるものなどないはずだが――微笑む。

「ああ、そうしよう。例の事件のこと、頼んだぞ。護衛としてのお前は、明日は臨時に非番ということにしておく。……お休み、ログナー」

「承知いたしております。お休みなさいませ、サラファス様」

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