失意と惑いの夜

 サラファスの「相談」は、視察の報告よりもずっと早く済んだ。部屋から出てきた彼の表情はログナーの嫌な予感を肯定していた。つまり当主は、穏当な解決を望むサラファスの意見をほとんど聞き入れなかったのだ。

「私はもう休む。お前も今日は休んでくれ」

 彼を寝所の前まで護衛したログナーは、扉に手をかけ項垂れたサラファスにそう告げられた。気落ちした様子の主を置いて自室に退くのは気が咎める。しかも最悪の場合は命を狙われているかもしれない状況だ。

 しかしそうもできない理由があった。毒殺疑惑に気分を悪くしたミロンの顔色が戻らない。サラファスが心配だからとミロンを放って護衛をするなど、当のサラファスが許さないだろう。

 ログナーは二人の顔をかわるがわる見比べる。

「すぐに別の護衛を向かわせましょう。ご心配なく、信頼できる者を選びます。……お休みなさいませ、サラファス様」

 ログナーは深く礼をして主と別れ、先にミロンを部屋まで送ってから交替する護衛を手配した。サラファス付きの護衛の中でも古株にあたる二人は、事情を聞くと目の色を変えて、この突然の夜警を引き受けてくれた。彼らに礼を言ってから、ログナーはミロンの待つ部屋へと戻る。

 ミロンは寝台の上であおけになっていたが、眠ってはいなかった。そばに寄ってよく見ると顔色はまだ悪い。ふいに、彼が口を開く。

「申し訳ありません、叔父上……じゃなかった、ご主人様。僕がしっかりしていれば、今もサラファス様のおそばについていられたのに……」

 体調が悪いせいか妙に殊勝だ。ログナーは苦笑する。

「この部屋では『叔父上』で構わない。俺には理由もなく甥に主人と呼ばせる趣味は無いからな。サラファス様のことは信頼できる者に任せたから、お前は心配しなくて良い。……それに、お前は見習いになった年の夏に一度寝こんだきり、病気一つしていないだろう? たまに体調を崩したときくらいゆっくり休め」

 寝台の隣に立ってやると、ミロンは転がって体ごとログナーの方を向く。

「あのときのこと……まだ覚えてくださっているんですか?」

「いつも無駄に元気なお前が突然倒れたんだ、忘れようと思っても忘れられるものか。理由がわからないからとサラファス様までご心配なさって、神王様にお祈りまでしてくださったことだしな」

 ログナーは笑おうとして小さい声を漏らす。しかし彼の心の中で何かが引っかかった。そういえば、ミロンが倒れた理由は何だったのだろう。混乱ばかりが大きくなり結局うやむやになってしまったような気がする。彼自身はどう思っているのだろうか、また寝台の上で転がって仰向けに戻ると、鼻歌でも歌いだしそうな微笑みを浮かべ目を閉じた。

「ちょっと悔しいけど、嬉しいな。今の叔父上はとっても優しい……ねえ、叔父上。一つだけ、お願いを聞いてくれませんか」

 何が悔しいのだろう。とにかく頼みがあるというので聞くことにする。また気分が悪くなってきたのだとしたら大変だ。

「どうした、水が欲しいのか?」

 ところが、ミロンの頼みはまったく意図をつかめないものだった。

「今から話すことを、怒らないで聞いてほしいんです」

 何か叱られるようなことでもしたのか。だがそれにしてはミロンの表情から反省や怯えが窺えない。決意を固めたような表情に戸惑いながら、分かった、とだけ返すと、ミロンはちらりとログナーを見てから転がって壁の方を向き、少しだけ背を丸めた。

「夕方、僕が気分を悪くしたときのことです」

 顔は見えないが、少年らしい高くんだ声が今は暗い。

「誰かがお菓子に毒を入れたかもしれないと知って、僕は……もちろんサラファス様のことも考えたんですけど、それより先に、叔父上、あなたが死んでしまったらどうしようって思ったんです」

「それは無いな。俺はこの家に来て長いが、菓子を食べたことは無い」

 ログナーは穏やかに言い聞かせる。彼はその甥が、主よりも身近な親類の身を先に案じてしまった護衛としての未熟さを恥じているのだと思った。そうであるなら、普段の言動に比べれば可愛いものではあるし、反省もしているのだから許しても良いだろうと。

「でも、サラファス様が勧めてくださったら食べるでしょう? 叔父上は僕の叔父上である前に、サラファス様の護衛だから……」

 だから彼には、この切なく締めつけられるような声の理由がわからなかった。ミロンはその沈黙に対するように一つ息をつく。

「良いんです。僕はそんな叔父上に憧れて、そばにいたくて、父上にわがまままで言ったんですから。……なんて、いきなり言われても困っちゃいますよね。ごめんなさい。そしてお休みなさい、叔父上」

 わがままというのがどうやらログナーのもとで見習いをしたいと言い張ったことを指すらしい、と理解したあたりで、すでにミロンは布団をかぶり、本当のものかどうかわからない寝息を立てていた。寝たふりだったとしても見破る自信が無いことに、ログナーは訳もなく静かに驚く。

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