悪意の影

 あっにとられた一同は、サラファスが扉を叩く音で我に返る。両開きの扉をミロンと共に開け、当主の政務をさまたげないようにそっと閉じてから、ログナーはほとんど主の腕を引くようにして告げた。

「サラファス様、恐れ入りますが使用人の控え室までお越しください」

 あまりに突然のことで驚いていたサラファスだったが、彼を呼びに来た使用人から事情を聞くと、すぐに自分を案内するように言った。主はそういう人物だと、ログナーはよく知っている。だからこそ事情を説明するより先にサラファスを連れ出したのだ。村の少女ではなく使用人になら、多少は身分を軽んじても仕方ない――そこまで考えて、サラファスはこの家を出ない方が良いと言ったメルリーゼの言葉を思い出す。


 結局、サラファスの祈りにより、女使用人はどうにか事なきを得た。初め青白い顔をして座りこんでいた赤茶の髪の彼女は、今は椅子の上で体を起こし、頬にも赤みが戻ってきている。

「祈りが通じたようだな。……立てるか? 体がまだつらくはないか?」

「はい、おかげさまで。本当に何とお礼をして良いか……」

 サラファスは椅子から立ち上がろうとする彼女を手で制する。

「そう急に立とうとするな。とにかく、倒れた原因が何であれ、今日は大事を取って休んだ方が良いだろう。構いませんか、家政婦長殿?」

 難しい顔をしていた家政婦長は、いきなり話を振られてせき払いをする。何かを考えこんでいたようにログナーには見えた。彼の知る限り、家政婦長は理由もなく眉をひそめるような人物ではない。

「そうですね。、サラファス様の仰るとおりでしょう。仕事は後で他の子に割り振ります。貴方は下がって、お休みなさい」

 家政婦長は言う必要のない「原因が何であれ」のくだりをわずかに強調した。彼女は女使用人が倒れた原因について考えていたのだ。当の本人はそんな裏の話をよそに、今度はゆるやかに立ち上がって退出する。彼女を介抱していた者たちも去り、部屋にはサラファスら三人と家政婦長だけが残った。沈黙が重く部屋に漂う。

「さて、家政婦長殿。騒ぎも落ちついたことですし、そろそろお話を聞かせてください。これまでのいきさつと、貴女が考える『原因』についてです」

「原因? 体の調子が悪かったんじゃないですか?」

 サラファスが尋ね、ミロンが口を挟み、ログナーが甥を窘める。この部屋に残った者で不自然な強調に気づいていないのはミロンだけだ。

「話が早いですね。ですが、まずは経緯から話しましょう」

 家政婦長はふう、と一息つくと、女使用人が倒れるまでの経緯を順に話していった。今日は料理長が使用人たちに菓子を作ってくれる日だったこと、ちょうど掃除を終えた女使用人に取りに向かわせたこと、他の使用人たちがお喋りに興じていて、彼女だけが先に半分ほど菓子を食べ、すぐに吐き気と目眩を訴えたこと……。話が進むにつれて、ログナーの表情がだんだんと険しくなっていった。

「あの、叔父……ご主人様、そんなに怖い顔をするようなことですか?」

 ミロンがおびえている。ログナーは溜め息をついた。

「するようなことだったら大変だ。――サラファス様、内容が内容ですし、ミロンは下がらせた方が良いでしょうか?」

 尋ねられたサラファスはしかし、心ここにあらずといった様子だった。あまりのことに動揺なさっているのだろうか。ログナーがもう一度尋ねようと思ったそのとき、サラファスは我に返って答える。

「いや、どのみち父上にご報告すれば、いずれはミロンも事情を訊かれることになるだろう。私やお前と一緒に、治療に立ち会ったのだからな」

 ログナーは承知の意味で軽く一礼する。

「だからミロン、どこからわからないのか教えてくれるか?」

 サラファスの率直な問いに、さすがのミロンもたじろぐ。彼が口にした問いはかなり根本的なものだった。

「えっと……では、ご主人様たちが考えている『原因』って何ですか?」

 家政婦長が最初に口を開いた。

「使用人の中には、他家から行儀見習いに来ている貴族の子がいる、ということは知っていますか?」

「あ、はい……というか、一応は僕の実家、ドゥルゼ家も貴族の家の端くれですから。確か家政婦長様もそういう家の出身でしたよね?」

 そうだったのですか、と問うような家政婦長の視線に、ログナーは微妙な表情で答える。端くれという表現はこの上なく的確だ。ドゥルゼ家は下級貴族のさらに分家筋で、領地には決して大きくない村が二つしか無い。それこそ次男であるログナーが他家で護衛をするほどには貧乏で、それなりの格であるという家政婦長のせいとは比べ物にもならない。

 どこまで伝わったのか、家政婦長は苦笑する。ログナーとしてはミロンの無礼な発言を見逃してもらえただけでもありがたかった。

「私は三女で、しかもこの家に来て長いですから、生家とはほとんど縁が切れていますけれどね。では……例えば、貴方の身にもしものことが起きたとして、貴方のお父様やお母様はどうすると思いますか?」

「……お父様は、怒るかもしれません。僕のせいでなければですけど」

 そうですね、と彼女は穏やかにうなずく。

「では、もしフィアダーマ家に預けた自分の子供が、そこで出されたものを食べたがために命を落としてしまったら? そのように仕向けたのが誰であっても、この家はそのたくらみを許してしまった責任を問われます。ここで例えば、フィアダーマ家をよく思わない『誰か』がいたとしたら……」

 ミロンの顔から、目に見えて血の気が引いた。

「フィアダーマ家と他の家の仲を悪くするために、わざとお菓子に悪いものを入れたかもしれない……ということですか」

「それだけじゃない。もしもその『誰か』が、菓子を食べるのが使用人だと知らなかったとしたら」

 ログナーはミロン曰く怖い顔で呟く。ミロンが口元を押さえてちらりとサラファスを見た。説明の間もずっと何事か考えていたサラファスは、彼の視線に気づくと、なだめるような調子でこう言った。

「使用人や料理人……いや、この家の者は誰であれ、疑いたくはない。だが起きたことを考えれば、父上にご相談するしか無いだろう」

 サラファスの父――フィアダーマ家の当主。ロギエラ王国の食糧事情を左右する大所領を治めるその人物は、サラファスのような優しさも、メルリーゼのような大らかさも持ちあわせてはいない。ログナーがメルリーゼに語ったとおり、危険は排除しなくてはならない立場だからだ。しかしログナーはまた、彼の主が事を荒立てることを好まず、当主への相談にも気が進まないであろうことを知っている。

「……サラファス様、参りましょう」

 彼の声にうなずいて、サラファスは使用人の控え室を後にした。

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