姉君の想いと目眩

 午後になってフィアダーマ邸に戻ったサラファスは、視察の首尾を父である当主に報告していた。ログナーは二人の護衛を自室に下がらせ、ミロンと共に部屋の外で主を待っている。

 そこへ、ぱたぱたと軽快な足音が近づいてきた。

「あら、ログナー。サラは一緒じゃないのね。どうしたの?」

 メルリーゼ様、と相手の名を呼んで、ログナーはうやうやしく一礼した。貴族の令嬢らしからぬ口調のこの若い女性、サラファスの姉メルリーゼ・フィアダーマは、走ったために乱れた長い金色の髪をき上げる。彼女の後ろには硬い銀色の髪の男性が黙って付き従っていた。

「サラファス様は先程ナーズ村の視察より帰り、おやかた様にご報告を申し上げられています。ご用でしたらその後になさった方がよろしいかと」

 ログナーは当主の部屋の扉を手で示す。

「時間がかかりそうなのね。構わないわ、ここで待たせてちょうだい。なるべく早くサラに伝えないといけないことがあるの」

 メルリーゼははきはきと話す。サラファスによく似た端正な顔に、彼とまったく違う華やかな笑みが浮かぶ。いずれにせよ彼女がそう言うなら、ログナーは否とは言えない。

「承知いたしました。ところで……」

 しかし、彼は何も言えないわけでもない。ログナーはメルリーゼの背後、銀色の髪の男に視線を向ける。男はまゆ一つ動かさず視線を受け止めた。

「恐れながら、邸内とはいえイェソドだけを伴って歩くのはお止めくださいませ。いくら腕が立つとはいえ彼は異界の者。せめて他の護衛の一人も連れて行ってほしいと、お館様は心配しておいでです」

 ところがメルリーゼはあっけらかんと笑う。

「心配しすぎよ。私が学院で習ったのは新式の契約召喚魔術で、お互いの信頼の上で契約を結ぶから、逸話に出てくるような旧式とは違って召喚したものに寝首をかかれる心配はほとんど無いの。イェソドは私に忠誠を誓っているし、そもそも召喚者である私の指示がなければこの世界の者を傷つけることはできない。……ああ、それとも私の方を疑っているの? 自分で言うのもなんだけれど、成績は優秀だったのよ?」

 メルリーゼは昨年まで、ロギエラ王国南西部の街、銀の書庫ルイミーユに遊学していた。彼女の言動が令嬢らしくないのは、平民に混じって暮らしていたせいでもある。

 ともあれ、ルイミーユは魔族の国による支配の名残が強く残る街で、魔族の技術である魔術を人族が習うことのできる唯一の場所、メレフィア魔術学院をようしている。そしてそこで魔術を学んだメルリーゼが召喚して護衛としている者が銀色の髪の男、つまりイェソドだ。召喚した当人曰く「異界の神秘たるセフィラの名を冠した十の英霊の一人」だというが、その意味を正しく理解している者はこの屋敷にメルリーゼただ一人だろう。

 ログナーは首を横に振る。

「そのようなことを申し上げているのではありません。確率が万に一つであっても、メルリーゼ様の身に危険が及びかねないのであれば、お館様はその危険を排除しなくてはならないのですよ」

「それは私が跡継ぎかもしれないから? なら心配要らないわ。お父様の跡継ぎはサラだもの。貴方だってその方が良いと思うでしょう?」

「お止めください。そうと決まったわけではありません」

 即答できたことに少しだけ安堵しながら、ずいぶん意地の悪いことを言うものだ、と思う。確かにログナーはサラファスを敬愛しているし、立場としては中立の使用人たちの中にも、長く遊学していたメルリーゼよりサラファスを推す者は多い。だがそのことはイェソド以外の護衛を連れない理由にはならず、ましてログナーが引き下がる理由にもならない。

 相手の内心をどこまで読みとったのか、メルリーゼは鼻を鳴らす。

「決まっているのよ。だって私が自分で降りたのだもの。ロギエラ王国は、かつて魔族の王から独立を勝ち取った初代聖王を神王として今なお信仰している国。その貴族が魔族の技術を習っているのでは外聞が悪いわ」

 冷ややかな色を帯びた声が、ここで急にいつくしむような調子に変わった。

「そして、それで良いの。私がお父様の後を継いだら、サラは外で生きていかなくてはならない。サラは賢いから王都で文官になれるかもしれない。神王様の声を聴けるから神官になれるかも。でもサラは、外で生きていくには優しすぎるわ。外では誰かを蹴落とさないと生き残れない……ここでなら、そういうことを人に任せることもできるけれど、ね」

 話が逸れている。ログナーはそう思ったが、何も言い返せなかった。それはメルリーゼがサラファスの将来を案じているようだったからでもあり、彼が口を開く前に人が走ってきたからでもある。

「ああ、ログナーさん。サラファス様はどちらに?」

 髪を乱して走ってきたのは掃除を担当する女使用人の一人だった。

「サラファス様はお館様にご報告の最中です。どうかしたんですか?」

 さすがにメルリーゼとの話にまでは口を挟まずにいたミロンが、ログナーは取りこみ中だと考えてか彼に代わって答えた。

「使用人の一人……客間のお掃除をしている子が、休憩中に突然倒れたんです。それで家政婦長が、薬師殿とサラファス様をお呼びするようにと」

 ミロンが息を呑んだ。人が倒れて薬師だけでなくサラファスも呼ぼうとするということは、おそらく急を要する状況ということだ。ログナーが低くうなる。

「それは困ったな。サラファス様がお聞きになっていればすぐにでも向かわれただろうが、今はお館様とお話しなさっているし、メルリーゼ様も――」

主様あるじさま、どうされましたか」

 サラファス様にご用があるそうだ、という言葉は、今までただの一度も口を開かなかったイェソドの声に遮られた。慌てて見れば、メルリーゼはふらふらと座りこんでしまっている。

「どうしたのかしら、急にまいが……」

「それはいけません、部屋へ下がりましょう。私につかまって立てますか。立てないのなら私がお運び申し上げますのでおっしゃってください」

 ずっと黙っていたのが嘘のように、イェソドは次から次へと言葉を継ぐ。サラファスに会うため待っていたメルリーゼは少し悩んだようだったが、やがて力なく「運んでちょうだい」と答える。彼はその言葉を待ちかねていたようにメルリーゼを両腕で抱え上げ、ログナーの方へ向き直る。

「そういうわけで、俺は主様を部屋までお連れする。護衛殿は一刻も早く弟ぎみを連れて行って差し上げろ」

 言うだけ言うと、イェソドはさっさとその場から立ち去ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る