あの菓子は誰のため
翌朝、ログナーは手早く身支度を済ませる。非番ではあるが主命で動くという状況のため、服装には多少悩んだが、軽鎧をつけずに制服だけ着るという形で間を取ることにした。
「叔父上、おはようございます! 今日はどちらへ向かわれるんですか? 料理長様のところですか、それともまた家政婦長様のところですか?」
同じ服装のミロンがはきはきと尋ねてくる。
「家政婦長殿のところに行こうと思う。倒れた本人にも話を聞きたい。調理場へ菓子を取りに行ったのも彼女だそうだからな」
「なるほど、それは重要です。さすがは叔父上ですね!」
ミロンが目を輝かせた。つい巻きこまれて普通に受け答えをしてしまったログナーだったが、ここで甥の顔を覗きこむ。
「――待て、ミロン。なぜお前は俺の予定を知っている?」
「だって、昨日叔父上がお休みになったあとにサラファス様がいらっしゃいましたから。叔父上は昨日のことについて調べるためにお休みをいただいたんでしょう? それなら叔父上の見習いである僕も、休んでいるわけにはいかないじゃないですか」
さも当然のようにミロンは言うが、そういう問題ではないだろう。
「これは護衛の仕事じゃないから見習いは必要ない。それに、サラファス様はお前に、俺について行けと仰ったのか?」
「いいえ。ですがついて行くなとは仰いませんでした!」
ログナーは考えこむ。ミロンがログナーについて行こうとすることに思い至らないサラファスではないはずだ。つまり事実上、サラファスはミロンを連れて行かせるつもりなのだ。それに今のミロンはログナーから見ても危うい。無理に明るく振る舞っているように見える。
「分かった、好きにすると良い。ただし外では俺を『叔父上』と呼ぶな。一度でも呼んだら帰ってもらう。途中で言い直しても駄目だ」
「承知いたしました、ご主人様!」
ミロンは勢いよく敬礼し、溜め息をついたログナーを小走りで追った。
家政婦長は広間にいた。どうやら午前の掃除の指示を出しているようだ。掃除係の使用人たちの間をすり抜け、ミロンが走っていく。
「おはようございます、家政婦長様。お忙しいところ申し訳ないんですけれど、昨日倒れた方にも詳しいお話を伺いたいので、どこにいるか教えてくださいませんか?」
家政婦長はどこか得意げに微笑んだ。
「やはり来ましたね。実は彼女には今、離れのお掃除をさせています。早く行ってあげなさい。お館様のお使いが
サラファスの性分からして穏当な解決のために動くだろうと予想していたようだ。それはありがたい。だが後半は聞き捨てならない。
「家政婦長殿。お館様のお使いに、離れの掃除のことは……」
辿りつく、と彼女は言った。しかし間諜たちが、堂々と聞きこみができる状況で、家政婦長に倒れた使用人の居場所を訊かないとは思えない。彼女は間諜たちが「辿りつく」ように仕向ける――つまり、倒れた使用人の居場所を隠すつもりなのではないか。
当主への背信まがいの行為に出ながら、家政婦長は声を出して笑う。
「人聞きの悪いことを言わないでくださいな。私が何年、家政婦長を務めさせていただいているかご存知? お使いの方々がいらっしゃった時には、そう、たまたま大事なことをど忘れしていただけですわ。私だってもう良い歳ですもの。ほら、分かったら早く行きなさいな」
半ば追い払われるようにして、ログナーとミロンは離れへと向かう。その道中、ミロンはおずおずとログナーを見上げる。
「ところでご主人様、家政婦長様って、その……」
家政婦長を何年務めているのか。もっともな疑問だとは思う。
「よく聞け、ミロン。俺はあの方が家政婦長でなかった頃を知らない」
ログナーは当初、今は亡き奥方の護衛としてこの家に来た。それがすでに二十年以上前のことだが、家政婦長の代替わりはそれより前だ。
その後ミロンは離れに着くまで口を開かなかった。そのおかげか、離れに近づくと歌声が聞こえてくる。掃除をする使用人たちの仕事歌だ。それを知っていたログナーは、深く考えず部屋の扉を開ける。
「も、もしかして家政婦長様――じゃない! あ、貴方がたは――」
女使用人がログナーたちを見て尻餅をついた。そのままずるずると後ずさるが、入ってきたのがログナーたちだと知って溜め息をつく。
「なんだ、サラファス様付きの護衛の方ですか。もう、驚かせないでくださいよ。だいたいサラファス様は一緒じゃないんですか?」
背後からミロンが進み出る。
「そのサラファス様のご命令で、昨日のことについて事情を調べているんです。お話を聞かせてくれませんか?」
「お話って言われても……皆がお喋りをしていて、お茶が冷めちゃうからお菓子も一緒に食べていたら、半分くらいで苦いような気がして……その後はもう、いきなり気持ち悪くなっていて……?」
「調理場へ菓子を取りに行ったときには何か無かったか?」
ログナーに問われた女使用人の顔が、さっと青白くなった。
「そういえば、調理場にお菓子が二つあったんです。私が食べた……
ミロンが顔をしかめる。そういえばミロンは紅玉果が嫌いだったな、とログナーは思う。あるいは家政婦長が怒っているところでも想像してしまったのだろうか。
「約束はできないが、出来る限り家政婦長殿には黙っておこう。それで、どうしてあの菓子の方を選んだんだ?」
「それは……よく見たらあのお菓子の方には焼きむらがついていたから。綺麗な方はお客様に出すものなのかなって、納得しちゃったんです」
「なるほど。それなら取り違えた可能性があるな……」
「でもご主人様、それなら例のお菓子は誰のためのものだったんですか?」
ミロンの疑問は的を射ている。もし女使用人が誤って毒入りの菓子を食べたのだとしたら、もともとそれは誰が誰を狙ったものだったのか。
「そうだな。次は調理場へ行って、料理長に話を聞こう」
ログナーは突然訪ねたことを女使用人に詫びつつ、離れを後にする。
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