第21話
十月のなかばのある日、鉄砲玉がじいさんのタマをとりにきた。
タマというのはあたしたちの世界の言葉で命という意味で、あたしのじいさんは横浜では少しは名の知れたヤクザだった。
鉄砲玉っていうのもやっぱりヤクザの言葉で、対立する組の頭を殺しに行くよう命令されたしたっぱのヤクザのことだ。
鬼頭組の名を出せば震え上がるチンピラなんて横浜にはいくらでもいる。マル暴の刑事だってうちの組には一目置いている。
鉄砲玉は、まだあたしとそんなに年の変わらない高校生くらいの男の子だった。
クスリをやってると一目でわかる血走った目をして、ろくに撃ったこともない拳銃をじいさんに向けて撃ったところまではよかったんだけれど、弾は一発もじいさんにかすりもせず、そばにいた組の幹部たちに男の子はまるで古い映画の銀行強盗をしたカップルみたいに蜂の巣にされた。
学校帰りに、ちょうどその場に居合わせてしまったあたしは、その光景を、いかにもヤクザだと言わんばかりの趣味の悪い黒塗りの車の陰から見ていた。
じいさんに当たればいいのにと思っていた。
そしたら、あたしもフツーの女の子になれるのにって思った。
バスケか何かをしていそうな背の高いその男の子は、全身に24発の銃弾を受け、見るも無惨な姿でうちの組の事務所に運びこまれた。
「お嬢、よくご無事で」
あたしも少し遅れて血がしたたりおちる階段を上って事務所に顔を出すと、
「今、このガキが頭の命を狙ってきやがったんでさぁ」
あたしのことが好きらしい、いかにも偏差値の低い顔をした幹部のひとりがそう言った。
「知ってる。見てたから」
あたしはそう言って、床に転がる男の子の死体を見つめた。
ヤクザの銃撃戦なんてこの街じゃ「あぶない刑事」くらいに日常茶飯事のことだったけれど、あたしは死体を見るのはうまれてはじめてのことだった。
「夏目組か」
じいさんはそう言った。
「おそらくそうでしょう。このガキ、だいぶシャブやってたみたいですからね。この街でシャブに手ぇ出してるの、夏目組くらいですから」
このいかにも偏差値の低い顔をした幹部のひとりは、田所という。
「身元がわかるのは、財布に入っていたこの免許証くらいですね」
轟という名前のくせに車の運転ができない別の幹部が、男の子のジーンズのお尻のポケットからディープラブという趣味の悪いブランドのウォレットチェーンがついた財布を取り出していた。
シルバーのチェーンは銃弾が当たったのか切れてしまっていた。
男の子が持っていたバイクの免許証から、血で濡れて苗字まではわからなかったけれど、ヨシノブっていうどこかの将軍様みたいな名前だということがわかった。
男の子が持っていた銀色のケータイは、弾が見事に液晶画面を貫通していて、メモリを覗くことはできなかったけれど、YとMとOの三文字のアルファベットを繋ぎあわせたストラップは無傷だった。
あたしはそのストラップを気に入って、じいさんたちには内緒でもらうことにした。
死体はその日のうちにドラム缶に放り込まれコンクリートが流し込まれて、横浜の海に棄てられた。
あたしの家、六代目鬼頭組は、神奈川県横浜市に本拠を置く指定暴力団だ。
多くのやくざは「暴力団員」という呼ばれ方を嫌い、特に自称では「極道」、「侠客」ということがある。
ひねくれて、逆に自ら「俺は暴力団だからよ」と言うやくざもいる。
組員は2008年10月現在で組長あたしのじいさんだ、舎弟8人、若中79人の計88人。
組長を除いて、この87人の舎弟・若中は直参と呼ばれ、それぞれが数百から数千人の構成員を抱える組織のトップだ。
その構成員数は約20,400人、準構成員数は約18,600人の合計約39,000人で、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約84,200人のうちの46.3%を占めているらしい。
傘下組事務所は広島、沖縄の2県を除いた45都道府県に置かれている。
鬼頭組は「鬼頭」の2文字を菱形にデザインした「鬼菱」と呼ばれる代紋を用いる。
大正4年に、初代組長鬼頭夏吉が、横浜の港湾労働者50人を集めて、港湾荷役人夫供給業「鬼頭組」を結成したのが、長い鬼頭組の歴史の始まりだ。
三代目時代に制定された5条からなる「綱領」が、定例会など行事の際には唱和される。
また、年ごとの「組指針」も定められている。
五代目発足以降「警察官と接触しない」、「警察機関に人、物を出さない」、「警察官を組事務所に入れさせない」の三点を定め警察との距離をおいていたが、六代目のじいさんの代になってからは逆に率先して警察と密に連絡をとり、様々な情報を仕入れ、組の強化に役立てるようになっていた。
その夜、じいさんがあたしを部屋に呼んだ。
あたしは両親を三年前に事故でなくして、それ以来広すぎる大きな屋敷にじいさんとあたしのふたりだけで暮らしていた。
じいさんの部屋はいつも、天井に逃げ場のない煙草の紫煙が集まっていて、煙たいんだけれどなんだか夢の世界にいるような気持ちにさせられる。
動物の剥製が並び、壁にはじいさんが趣味で集めているホーロー看板がかけられて、他にも趣味の悪いものたちばかりが並ぶその部屋のソファにあたしは腰をおろした。
「何の用? 今度は夏目のところの男と寝て来いとかいうつもりじゃないよね?」
あたしは言った。
あたしは中学生の頃からヤクザ相手に体を売らされていた。
じいさんは組のためだと言って、孫のあたしにあちこちのヤクザの相手をさせていた。
鬼頭組の親戚、友好団体にあたるのは、三代目浅井組、松下会、双葉会、五代目共星会、三代目福寛会、極亜会、三代目侠導会、二代目親倭会など、挙げ始めたらきりがない。
あたしが体を売らされていたのは、そういった組のヤクザたちだった。
はじめて、好きでもない男に体をもてあそばれた日から、あたしは大好きだったおじいちゃんをじいさんと呼ぶようになった。
ヤクザの家に、女として産まれたことを後悔した。
毎日のようにヤクザの相手をさせられて、たった二年であたしはいつの間にかそれに慣れてしまっていた。
「お前、来週から城戸女学園に編入しろ」
じいさんはそう言った。
「夏目の、お前と同い年の娘が、九月から城戸女学園に編入しているらしいからな」
城戸女学園と言えば、中高一貫の横浜では有名な私立の学校だった。
「夏目のやつはうちとやりあう気らしいが、あんな15、6のガキを鉄砲玉に寄越すような組を、わしは相手をしてやる気はない」
ガキを寄越すってことは、ガキの命を狙われてもいとわねぇってことだろ。
「お前、夏目の娘、殺ってこい」
じいさんはあたしに、コンクリ詰めにされて海に棄てられたあの男の子が持っていた銀色の拳銃を差し出した。
次の日の朝、あたしは学校を休んで、ハルの仕事を見学に行った。
学校の編入の手続きは田所や轟がしてくれていた。
あたしは編入前に一度試験を受けに行くだけでいいらしかった。
保土ヶ谷区の住宅街にある空き家の一軒家が今日のハルの仕事場だった。
ハルはショベルカーの中から、駅から歩いてきたあたしを見つけると、
「結衣ーーー」
近所迷惑極まりない大きな声であたしの名前を呼んだから、あたしは恥ずかしくて仕方がなかった。
うちの組は、横浜市内や他県に不動産会社や建設会社などをいくつか持っていて、三重には鬼頭ギロチン工場という恐ろしい名前の工場を持っていたりする。
その工場が何の工場なのかあたしは知らないけれど。
あたしと同い年のハルは、中学を卒業してすぐに鬼頭建設に入社した男の子で、あたしのお気に入りだった。
ハルの両親は高校くらいは行かせたいと考えていたらしいんだけれど、彼は偏差値が低すぎてどの公立高校にも入学できなくて、かといって私立に通えるほど家庭に経済的余裕がなかったそうだ。
ハルの鬼頭建設への志望理由がこれまた偏差値が低い理由で、
「映画の怪獣みたいにビルとか家とか壊してみたいと思ったからです」
と答えてニッと歯を見せて笑い、建設会社の人事担当者たちの失笑を買ったらしい。
そんな彼を雇ってしまう会社も会社だけれど、ハルはこの百年に一度の大不況の中、それなりの建設会社に正社員雇用されて、建築物の解体作業という志望通りの仕事をしていた。
ハルは鬼頭建設の経営者がヤクザだということを知らない。
いつかは気付くことになるんだろうけれど。
だから経営者の孫で同い年のあたしを結衣と呼び捨てで呼ぶ。
あたしをヤクザの孫じゃなくて、フツーの女の子として見てくれて、友達のように接してくれる。
あたしにはそれがとても心地よかった。
ハルといるときだけは、あたしは自分がヤクザの孫だということを忘れられた。
「今日はこの家、壊すんだ?」
ショベルカーを降りてきたハルにあたしは聞いた。
「うん。なんかよくわかんないんだけど、先月一家離散して、家と土地手放したらしいんだ。」
被っていた黄色いヘルメットをとって、タオルで汗を拭う。
タンクトップから伸びた腕は、春にはじめて会ったときよりずいぶん筋肉がついたように見えた。
ハルが言うには、土地の買い手が見付かって、早速家を建てることになったらしく、鬼頭建設に仕事が舞い込んできたらしい。
「それにしても、なんか嫌な住宅街だよな」
ハルは言った。
「何が?」
とあたしが聞くと、ハルはこれから壊す家の壁を指差した。
そこにはスプレーで大きく「売春婦は引っ越せ」と書かれていた。
「あれだけじゃないんだぜ。全部剥がしてやったんだけど、俺たちが来たときは似たような張り紙が家中に貼ってあったんだ。たぶん近所の奴がやったんだろ」
スプレーの落書きを見て、ハルの言葉を聞いて、あたしの胸の奥の方がざわざわしていた。
夏の終わりに、女子高生に売春を強要していたとして、その女子高生と同じクラスの女子高生が三人逮捕される事件があった。
そのニュースは新聞の一面を飾り、ほんの何週間か前にバスケットボール部員全員が覚醒剤所持で逮捕されたばかりの高校に立て続けに起きたその不祥事は、連日新聞や週刊誌やテレビを賑わせた。
その高校は緑南高校と言って、この家からそう離れていない場所にあった。
「この家、あの事件で売春させられてた子の家らしいんだ。さっきナオさんが言ってた」
ナオと言うのは、まだ27歳の鬼頭建設で一番若い現場監督のことだ。
まだ27歳なのに、もう戸籍にバツがひとつついている。
だとしたらあたしはこの家に住んでいた女の子を知っていた。
あたしは慌てて表札がある場所まで走り、そこに加藤と書かれているのを見てため息をついた。
表札には苗字だけではなく、勇、静、亜衣、といった風に家族の名前が書かれていて、あたしはそこに友達の名前を見つけてしまった。
加藤麻衣。
「ハル、そろそろ解体作業始めるぞ」
ナオが、仕事をほっぽりだしてあたしのまわりを犬みたいにうろちょろするハルを捕まえにやってきた。
「ナオちゃん」
あたしはナオのことを呼びとめた。
彼が鬼頭建設に入社したときから、そう呼んでいた。
ナオは兄弟のいないあたしのお兄さんのような人だった。
だけど彼はいつからかあたしを、
「なんでしょう、お嬢様」
こどものころは結衣ちゃんと呼んでくれていたのに、そんな風にあたしを呼ぶようになった。
現場監督になって、大きな仕事をまかされるようになった頃からだ。
鬼頭建設がただの建設会社ではないということを彼は知ってしまったのだと思う。
あたしがただの経営者のかわいい孫娘なんかじゃなくて、ヤクザの孫だということを彼は知ってしまったのだ。
だから昔あたしに見せてくれたような屈託のないハルのような笑顔を、彼があたしに向けることはなくなっていた。
彼があたしと話すとき、彼はいつも慣れない敬語を引きつった顔で話した。
だからいつの間にかあたしも彼と接するとき、ヤクザの孫の顔になっていた。
冷たい顔をしているのが自分でもわかるくらいに。
「この家に住んでた人のこと知りたいの」
一家離散して、それからどこに移り住んだのか。
特に、次女の麻衣っていう子がどこに住んでいるのか。
夏の終わりのあの事件と関係があるなら、逮捕された三人の女子高生たちや事件の関係者のことも知りたい、とあたしはナオに話した。
ナオは建設会社のただの現場監督だったけれど、あちこちに広いコネクションを持っていることをあたしは知っていた。
ナオのコネクションによる情報のおかげで鬼頭建設は本来なら取れないような仕事を取ることができたことが何度もあった。
「わかりました。知り合いにすぐに調べさせます」
ナオはそう言って、足早にハルを追い掛けていった。
あたしは鞄からケータイを取り出して、何かあったら電話してねと言われた麻衣のケータイの番号を呼び出した。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。おかけになった電話番号は現在使われておりません。おかけになった電話番号は現在使われておりません。おかけになっ」
お昼を過ぎる頃、朝家の形をしていたそれは、瓦礫の山になっていた。
ハルが瓦礫の山の中で楽しそうに笑っていた。
いつかきっと、ハルもわたしを結衣と呼んでくれなくなる日がくる。
そんな日を迎えるくらいなら、このまま時が止まってしまえばいいのに。
あたしはそう思った。
何かあったら電話してね。
あのとき、麻衣はあたしにそう言った。
何かあったのに電話もかけてこなかったのはあんたの方じゃないか、とあたしは思った。
「加藤家は両親が先月離婚届を出していました。
長女の亜衣と三女の実衣は母方にひきとられたようです。
もっとも長女の亜衣は、事件の一年前から交際中の男の下宿先に転がりこんでいるようですが。
母方の実家は愛知県の弥富市で、母親と三女の実衣は母親の実家に引っ越したそうです。
父方に引き取られた麻衣という少女の行方は残念ながらわかりませんでしたが、父親の実家が北海道の富良野市にあることはわかりました」
その夜、あたしはケータイでナオから報告を受けた。
「仕事が早いね」
あたしがそう言うと、
「知り合いの探偵に依頼をしようと思って連絡をとってみたんです」
ナオはそう答えた。
その探偵は例の事件で逮捕された三人の女子高生のうちのひとりから依頼を受けて麻衣の身辺調査をしていたらしい。
奇妙な偶然があるものだ、とあたしは思った。
「彼からニュースだけではわからないいろいろな情報を聞くことができましたよ」
逮捕された三人の女子高生たちは、いずれも証拠不十分として起訴されることはなかったそうだ。
三人のうちのひとり、内藤美嘉という女の子は事件の最中にレイプされて精神を病み、事件後も駅前の保土ヶ谷の駅前にある病院に入院しているそうだ。
もうひとり、山汐凛という女の子は、事件の最中、実の兄のこどもを妊娠していたが、流産してしまったということだった。
事件後まもなく母親が再婚をし、横浜を去っていた。
「そして最後のひとりが、逮捕後の警察の事情聴取で他のふたりが『金が欲しくてやった』と容疑を認めていたのに対し、唯一『自分は関係ない』『知らない』と容疑を否認しつづけ、不起訴という形に仕立てあげた人物です。
同時に探偵に加藤麻衣の身辺調査を依頼した人物でもあります」
おそらく麻衣にウリを強要した三人組のリーダーといったところだろう。
内藤美嘉も山汐凛も、容疑を認めていたし、それなりの罰もすでに受けていた。
だけどその少女だけが、何かしらの罪を背負うことも罰を受けることもなかった。
きっと悪知恵のよく働く嫌な女に違いなかった。
あたしはナオに報告の続きを促した。
「名前は、夏目メイ」
先日、お祖父様の命を狙って鉄砲玉を送りつけてきた夏目組の頭の娘です。
ナオはそう言って、あたしは電話を切った。
ケータイを机に置いた手で引き出しを開けると、あたしはじいさんにもらった拳銃を握り締めた。
銀色の拳銃はずしりと重く、冷たかった。
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