第2話

「女の恋愛は『上書き保存』、男の恋愛は『名前をつけて保存』ってパソコンをやるヤツならみんな言うんだけどさ」


 高校のそばにあるラブホテルで、アタシは「最初のお客さん」の話を聞いていた。


「女って恋愛すると、それまでとは一八〇度変わったりするんだよな。

 俺には五年付き合った女がいてね、去年の夏に別れたんだけど、聾学校ってわかる?

 耳が不自由な子が通う学校なんだけどね、自分はそこの臨時の教師のくせにさ、公務員以外とは結婚しないとか言って俺に転職をすすめたり、もし事故が起きたとき気まずくなるから他人が運転する車には絶対乗りたくないとか言って俺の車に絶対乗ろうとしなかったんだけどさ」


 815号室。


 その部屋はアタシとyoshiが、彼の誕生日にはじめてエッチした場所だった。


「俺と別れて、今誰と付き合ってると思う?

 シロウトに毛が生えたみたいなバレエダンサーだよ。

 仕事はじめてから通い始めた大人からのバレエ教室の講師。

 公務員じゃなくてもいいんじゃんって俺、笑っちゃったよ。

 本気で参考書まで買って転職考えてたのにさ。

 公務員じゃなくてバレエダンサーに寝とられちゃったわけ。

 笑っちゃうだろ?」


 天井を見上げると、


「yoshi & mai 2008/06/06」


 アタシが書いたハートに囲まれた落書きが消されずに残っていた。


「君、麻衣ちゃんだっけ?

 麻衣ちゃんさ、ルーミーってわかる?

 まだ高校生だからやってるわけないか。

 よくテレビで会員制掲示板とか呼ばれてるやつなんだけどさ、俺それやっててさ、その女もやってるからたまに今何やってんのかなって、別れてたらおもしろいのになって、その女のページ見に行くんだけどさ」


 アタシの最初のお客さんは、棗先生と同じ年頃の二十代後半のくたびれたスーツを着たサラリーマンで、ファミレスの駐車場に停めた営業車の助手席にアタシを乗せてラブホに向かった。


 営業車に描かれたロゴからお米を売る仕事をしているのだとわかった。


「ルーミーにはコミュニティっていうのがあってさ、好きな芸能人とか歌手とか、あと誕生日とか血液型とかさ、まぁいろいろあって、自分があてはまるなって思うものに入ったりするんだけど、その女がさ、よりによって『運転している彼が好き』っていうのに入ってたんだ。

 俺の車には絶対乗ろうとしなかった女がさ、バレエダンサーの車の助手席にはしっかり乗ってるわけ。

 おまけに『彼氏のことが好きで仕方がない』んだと。なんかさ、馬鹿丸だしだよな」


 アタシは黙って彼の話を聞いていた。


 腰がガクガクしていた。体に力が入らなかった。


「俺と付き合ってたときはそんなコミュに入ってなかったし、そんな女じゃなかったんだよね。

 毎日のように電話してきててさ、俺のこと好きとか愛してるとか大切に思ってるとか、毎日毎日聞かされてたんだけど、あれなんだったのかなって俺思っちゃって。

 付き合ってるとき、よくその女が言ってたんだけど、わたしがあなたから離れていくことはないって、わたしたちが別れるときはわたしがあなたに嫌われたときだって、わたしはあなたとずっといっしょにいたいと思ってるって。

 でも結局離れて行ったのはあいつからだった。

 あのときからかな、俺、女の言葉が一切信じられなくなったんだよね」


 煙草の煙を眺めながら、最初のお客さんはそう言った。


 アタシは、裸のまま天井をずっと眺めていた。


「女の言葉はもう二度と信用しないと決めたんだ。

 だけど男だからセックスはしたい。

 風俗は嫌だな。シロウトがいい。

 お金を払うのは別に大した問題じゃないんだよ。

 週に一度女を買って抱くのより、女とフツーに付き合って飯食いに行ったりどこか連れてったり何か買ってやったりするほうが金がかかるからね。

 だから伝言ダイヤルをはじめたんだ。

 金がほしくて体を売りたがってる女の子なんていくらでもいる。

 相手の気持ちとかそんなわずらわしいこと考えなくても、やりたいときに、やりたいだけ、やりたいことをできるからね」


 最初のお客さんは、精液の貯まったコンドームをゆっくりとはずすと、端を結んでこぼれないようにしてゴミ箱に捨てた。


「麻衣ちゃんさ、ツーショットダイアルで俺と話してた子と違う子だよな。

 声とか話し方とか全然違うもんな。

 俺と話してた子は、たぶんあのファミレスの奥の方の席にいた三人組の誰か、なんだよな」


 アタシは泣いていたかもしれない。


 このときのことをあんまりよく覚えていない。

 ただ、最初のお客さんが話してたことだけはなぜかしっかりと覚えていた。


「君、こういうことするの、はじめてだろ?

 セックスじゃなくて、ウリの話ね。

 俺、大体週に一度は女買ってるから、はじめての子ってわかるんだよね。

 俺、結構セックスには自信あるんだけどさ、はじめての子は楽しんでくれてないっていうか、体が固いっていうか、君の場合ずっと震えてて、今は泣いちゃってるし」


 彼の言葉の通り、彼がアタシにしたことは気持ちよくなかったわけじゃなかった。


「でも、ただはじめての子っていうのとも君は違う感じがした。

 君さ、たぶんあの三人組に脅されて、こういうことしてるんだよな。

 一万五千円を五千円札三枚でほしいなんてフツー言わないもんな。

 あの三人が分けるんだよな。君の取り分はなしか」


 彼の指がアタシのあそこの、アタシもまだ知らなかったような場所をこすったとき、yoshiとのエッチでは感じたことがなかったような快感がアタシを支配した。


 yoshiとするときには透明なものしか出ない愛液が、彼の指のせいで、白くネバネバしたものに変わっていた。


 彼はアタシの愛液で汚れた指をアタシの口に入れて舐めてきれいにするように言った。


 そのときアタシは彼に征服されてしまったのだと思う。


 彼のペッティングやクンニだけでアタシは何度も、はじめてイクっていうのを知った。


「処女じゃなかったみたいだし、彼氏いるんだろ。

 どういう理由があってさせられてるのか知らないけど、やめたほうがいいよ。

 君にはこういうのは向いてないと思うな。

 彼氏が知ったら、俺と同じで女が信用できなくなるかもしれない。

 俺は自分を不幸だとは思わないけれど、他人から見たらたぶん不幸なんだよな。

 そういうヤツが増えるのはやっぱり不幸なことだと思うから、君はもう今日のことは忘れて、二度とこんなことはしないほうがいいよ」


 彼にされてるとき、される前に思っていたほど、あまり嫌だと感じなかった。


 気持ち良かったんだ。

 もっともっとしてほしいって思ってた。


 だけど彼がアタシの中で果てて動かなくなったとき、アタシはやっぱりyoshiがいいと思った。


 彼はワイシャツを着て、スボンを履き、ジャケットをはおると、ネクタイを締めながらアタシにそう言った。


「もう7時みたいだね。

 俺、そろそろ次の取引先に顔出さないといけないから、先に出るよ。

 前払いでお金は払ってるし、ここ、8時までいていいみたいだから。

 ゆっくりしていくといいよ。

 我慢しなくていいからさ、泣きたいなら泣きたいだけ泣きなよ」


 彼はアタシにとてもやさしくしてくれた。


「ケータイ」


 アタシは、小さく呟いた。


「え?」


「ケータイ、取って。アタシの鞄の中に入ってるから」


 最初のお客さんは、申し訳なさそうにアタシの鞄を開けて、ストラップが何十個もついたアタシのケータイをベッドに置いた。


「お金、テーブルの上に置いておいたから」


 そして、彼が部屋を出ていくのを見届けると、アタシはケータイに手を伸ばした。


 ケータイの待ち受け画像はアタシとyoshiのプリクラの写真で、yoshiの笑顔がそのときのアタシにはなんだかとても辛かった。




 そのあとアタシはトイレで二回吐いた。


 yoshiじゃない、好きじゃない男の人に抱かれることがこんなにも気持ち悪いことなんだ、とアタシはその日はじめて知った。


 yoshiに抱いてほしかった。


 yoshiに抱いてもらって、上書きしてもらって、今日のことは全部なかったことしてほしかった。


 今すぐ抱いてほしかった。


 もうバスケ部の練習は終わっている時間だった。


 電話をかけたら、yoshiはすぐ会いに来てくれるかもしれない。


 だけど、アタシが他の男に抱かれてしまったこと、yoshiに気付かれてしまうかもしれない。


 yoshiはそんなに鈍感な男の子じゃなかった。


 繊細で壊れやすい人だ。


 怖くて電話できなかった。


 それに美嘉たちがファミレスでアタシを待っていた。


 シャワーをあびて、あそこの中にボディソープのついた指を入れて、何度も洗った。


 ボディソープがあそこの中の粘膜にしみて、すごく痛かった。


 セーラー服を着て、鏡の前で笑顔を作ってみた。


 ねぇ、yoshi、アタシは鏡に写るアタシを見ながら、yoshiに話しかけてたんだよ。




――ねぇ、yoshi、アタシ今ちゃんと笑えてるかなぁ?




 ファミレスに戻ると、ラブスカイウォーカーズの新曲が流れていた。


 今日が発売日だったこと、すっかり忘れていた。


 予約してたCDを買いにいかなきゃと思った。


 ラブスカイウォーカーズ、通称ラブスカは、今女子中高生の間で流行のガールズバンドで、アタシたちのファッションリーダー的な存在だ。


 音楽活動だけにとどまらず、メンバーそれぞれが女優やモデル、小説家、デザイナーとして活躍していて、彼女たちのファッションブランド「ラブスカイ」の洋服を着ている女の子はとても多い。


 アタシたちの中では美嘉がそうだ。


 美嘉はラブスカイの服しか着ない。


 メイは「レッドストリングス」というどの服にも赤い刺繍が入っているブランド、凛は"if you..."というブランドばかり着てる。


 三人は店の奥の四人がけのテーブル席でアタシを待っていた。


 夕御飯を済ませた後らしく、いくつも食べ終わった食器がテーブルの上にあった。


 お腹がすいていたのか、時間をもてあましていたのかは知らないけれど、デザートにパフェまで食べたのが空いたグラスについた生クリームからわかった。


 凛の前にある食器だけ、一口も料理に口がつけられていなかった。


 運ばれてきたときは湯気が立ち上っていたはずのその料理はすっかり冷めてしまっているように見えた。


「お……、おかえり」


 アタシに一番に気付いたのは、凛だった。


 彼女はおびえたような顔をしてた。


 アタシと凛と、美嘉とメイは同じグループだったけれど、けっして対等な関係じゃなかった。


 アタシたちはふたりが決めることにずっと従ってきた。


 もしアタシがウリなんてもうしないと言ったら、ふたりはたぶん凛にさせようとするだろう。


 凛もたぶんそれくらいわかっている。


 凛はひっこみじあんでおとなしくて、アタシにも妹はいるけれど、彼女はついつい面倒をみてあげたくなる妹のようにかわいい子だった。


 凛は幼い頃に両親が別居して、しばらくはお兄さんといっしょにパパと暮らしていたのだけれど、離婚することになったときに凛の親権を母親が持つことになって、それからずっとママと暮らしているのだと聞いていた。


 パパやお兄さんに会えるのは月に一度だけ。


 毎月第二土曜と決まっていた。


 凛はお兄さんのことが大好きで、お兄さんに会える前日の彼女の幸せそうな顔を見るのがアタシは好きだった。


 アタシの家の両親は、ユーちゃんシーちゃんと呼び合うくらい夫婦円満で、アタシは何不自由なくこの年まで育つことができたけれど、凛はきっとアタシが想像できないような孤独や不安をまだ幼い頃に抱えていたにちがいなかった。


 凛にはこれ以上つらい思いをさせたくなかった。


 凛はアタシの大切な友達だから、アタシが守ってあげたかった。


 それに、アタシがウリをやめると言えば、美嘉はyoshiにアタシがウリをしていることを話すと脅すにちがいなかった。


 yoshiにだけはどうしても知られたくなかった。


 だからアタシはこのとき、美嘉の気が済むまでウリをしようって決めたんだ。


「ただいま」


 アタシは凛に笑いかけた。


 凛はほっとした様子で胸をなでおろしていた。


「ごめんね」


 と、昼間のように小さくそう言って、泣きそうな顔をしていた。


 美嘉とメイはテーブルの上にノートを広げていた。


 メニューのような表がかかれたそれには、料金一覧表とあって、


   ゴムつき    1万5千円

   ゴムナシ外出し 1万8千円

   ゴムナシ中出し 3万円


 と、アタシの値段が書かれていた。


 全部、三人で割りきれる値段だった。


 その横にオプションとあり、


   コスプレ       +3千円

   ローション      +3千円

   顔射         +3千円

   フェラチオ、はきだす +3千円

         飲み込む +6千円

   ハメ撮り       +9千円

   アナル        +1万2千円

   スカトロ       +1万5千円


 アタシはその表から目をそらした。


 見聞きした知識を羅列しているだけかもしれないけれど、美嘉もメイもまだバージンのくせによくそんなことが思い付くものだとアタシは少し感心した。


 アタシは最初のお客さんにもらった五千円札三枚をテーブルに置いた。


 アタシは何も言わなかった。


 美嘉ともメイとも話したくなかった。


 お金を置くと、美嘉は三枚をメイと凛に一枚ずつわたし、残りの一枚を自分の財布にしまった。


「ここ、凛のおごりでいいよね」


 美嘉はそう言った。


 凛はレシートを手にとって金額を確かめていた。


 四千九百円。


 凛の取り分はたった百円玉一枚だった。


 美嘉とメイは鞄を肩にかけて立ち上がり、


「それじゃ、明日も放課後、ここでね」


 美嘉がそう言い残し、ふたりはアタシたちを置いて店を出た。



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