文字の雨が降る

あろん

文字の雨が降る

 黒雲が厚く空を覆う。寒気をふくむ薄暗さに、銃声が響き、銃火が瞬く。

 銃弾が廃墟に跳ね、火花を散らす。刹那の光景が照らしだされる。

 地表を覆う、無数の文字アルファベット

 それが、「言葉革命」によって迎えた、人類の新たな日常だった。


 荒廃した都市。風雨に曝されところどころ崩れたビルが並び、通りには崩れた一部が瓦礫となり転がっている。

 景色をつくるビルのひとつに俺たちは陣取り、ガラスのない窓から銃を構えていた。

 風が凪ぎ、雲が黒さを増す。そろそろ頃合いだ。

 コツン――と何かが壁に当たる。

 ……始まった。

 俺たちは安全装置を外し、引き金に指をかけ、スコープを覗く。

 空から白いモノが降り始めている。しかし雪やひょうではない。

 それは、アルファベット――拳ほどの大きさをした、26種類の文字だ。

 銃声が聞こえた。誰かが危険単語を見つけたらしい。

 俺もスコープ越しに探り、地面に降り積もる文字の中から立ち上がる単語を見つける。

 <is/be動詞>だ。すぐさま“i”を撃ち抜き、破壊する。単語を繋げて文章を作りやすいbe動詞は、危険度の設定が高い。

 次々に銃声が響く。そのとき、誰かが言葉にならない叫びをあげた。警告を告げるときの合図だ。

 スコープから目を外して振り返ると、声の主が手話で情報を寄越してきた。どうやら<sea/海>が出たらしい。

 伝えられた出現ポイントを確認すると、運悪く窪地で単語ができてしまい、噴き出す海水が溜まっていた。これでは銃弾の威力ががれるため、一般弾では破壊できない。

 俺は事前に用意したアッド弾のなかから“l”を選び、慎重に狙って撃ち込んだ。

 結果は――命中。<sea/海>は<seal/アザラシ>に変わり、溜まった海水のなかを泳ぎだす。これで水没は免れた。

 だが文字は息つく暇すら許してはくれない。

 誰かが悲鳴をあげ、奥の階段を転がり落ちた。慌てて駆け寄ると、彼は左腕にひどい火傷を負いながらも、右腕でどうにか報告してくる。

 屋上、危険単語、出現。一般弾、通用せず。

 嫌な予感がした。俺はすぐさま言葉にならない叫びで警告を発し、手話で逃げろと指示する。だが次の瞬間、天井が崩れ落ち、それは現れた。

 <corrode/腐蝕する>――意味の危険度が高いため指定された、危険単語。

 誰かが錯乱して銃弾を続けざまに撃ちこむ。しかし単語に触れた一般弾は瞬く間にもろく崩れ、消失した。

 俺は咄嗟にポケットから特殊弾を取り出し、拳銃に装填する。

 数に限りがあり貴重な銃弾――シャッフル弾。だが、これは賭けだ。

 単語を狙い、シャッフル弾を撃ち込む。たちまち文字列は切り離され、見えざる手により組み換えられる。

 俺は祈る。意味のない文字列になってくれることを。もし綴り換えアナグラムが起こり、新たに文章でも組み上がってしまえば、事態は悪化する可能性もある。

 幸い俺の祈りは通じたらしく、文字群は無意味な配列に再編成され、意味を持てずに文字ひとつひとつに分かれて床に散った。

 散らばる文字を踏み砕き、俺はふたたび銃を構えて窓に向かう。外では次々、新たな単語が立ち上がっていた。


 文字の雨が上がった後の廃都市を、単語になれなかった文字の山を踏み砕きながら進む。

 地表を覆う文字は大半が子音字だ。アッド弾の材料に使えそうな状態の良いものを選び、さらに食料になった単語を回収していく。

 都市を抜け、かつては公園だった森の奥に建つ施設に向かう。そこが今、俺たちの住処だった。

 出迎えるように赤ん坊の泣き声が届く。言葉を失った俺たちに、その声は郷愁を起こさせる。


 始まりは唐突で、原因はいまだに誰も知らない。明らかなことは、言葉が人類に反旗を翻したことだ。

 本やインターネット、あらゆる媒体に書かれた文字、さらに人の話した言葉、それらすべてが具現化し、空に向かった。

 空には奇妙な黒雲が垂れ込め、そして雨が降るように、そこから文字が降り始めた。

 降り注いだ文字は単語を成し、意味を体現するようになった。だがそれだけでは終わらない。

 単語は互いを求めあい、繋がりあい、そして文章を作りあげた。文章化した文字は、ただの単語とは別物だ。

 文字は文章化することで意思を持つ知性体となる。そして人の思考に上書きを施し、人を新たな言葉を生み出すための道具に変えてしまう。

 多くの犠牲の果て、人類は言葉に屈し、遂にその立場が逆転した。

 われわれ人類は言葉の持つ力のまえに、完全に敗北してしまったのだ。


 広場に集まり、皆と火を囲む。支度される夕餉ゆうげの香りを嗅ぎながら、手話で話をしていた。

 そこに俺の妻が来て、まだ赤ん坊の娘を俺の腕に託した。食事支度の手伝いをするらしい。

 腕のなかで娘が俺を見上げ、まだ言葉を知らない無邪気な声で笑った。俺も笑みを湛え、応える。

 娘も成長すれば、指文字を通じて26種類の文字アルファベットを学び、単語を知っていく。そして文字の雨を増やさないために、非常時を除き、発声は禁じられることになる。

 言葉革命を生き延びた俺たちの世代が居なくなれば、人類はその先、単語の読み方をどう知るのだろうか。

 疑念を払うように俺は娘を胸に抱き寄せ、優しく包み込む。そして胸の内で、声には出さず、娘の名前を呼んだ。

 俺がいつか、きみの名前の読み方を教えてあげよう。必ず。

 胸のなかで娘が楽しげな声をあげた。その声を決して忘れぬよう、胸にしっかりと刻み込む。


 明日もまた、文字の雨が降る。

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