時は短し選べや決めろ
あろん
時は短し選べや決めろ
此度の
許されうる時間は、わずか十数秒。
決着は一瞬。誤れば、味わうは後悔という敗北の味。
選ばねばならぬ、どちらかを。
今日の昼食。A定食か、それともC定食か……。
私は券売機前に連なる長蛇の列に身を置きながら悩みに悩んでいた。
今日の昼食、どちらにすべきか。
量りに掛けられたるはA定食とC定食。どちらも魅力があり捨て難い。
A定食はいつも食べている鉄板と呼べるものであり、その味は幾度食べようが飽きは来ぬ。
カリッと揚げられた唐揚げに、熱々の白米。あの香ばしい香りと溢れ出る肉汁を白米に合わせて呑み込む感覚は、このために生きてきたと言っても過言ではない。
だが、A定食にありし美点はそれだけにあらず。なんとあのユミ子ちゃんが常々食べているのだ。
ユミ子ちゃんとは私が秘かに恋心を抱いている淑女である。
花顔雪膚、才色兼備。非の打ちどころがないとはこのことで、彼女はまさしく天女か女神。この
対する私は欲にまみれた俗人であるからして、ユミ子ちゃんに気軽に声をかけるなど言語道断。
故に、いつの日か声をかけてもらえる契機となることに僅かばかりの期待を寄せて、私はユミ子ちゃんが好んで食べるA定食を常に口に運んできた。
その心うちは、かの『蜘蛛の糸』に出て来るカンダタに近しく、頼りなき一本の細き蜘蛛の糸を拠り所にいつか辿りつかん極楽を夢見ているのと相違ない。
ここまで話せば諸君もA定食の魅力に取り憑かれんばかりだろうが、忘れてならないのがC定食である。
C定食とは今日より登場せし、いわゆる新メニューなるものだ。その中央に座するは、なんとハンバーグ。私が愛して止まないハンバーグである。
この西洋かぶれが! 日本人としての誇りを失ったか!
などと批判する愛国奴も居ることだろうが、私は誇りを持ってハンバーグを愛し食している。
しかし、ではその心はユミ子ちゃんへの気持ちとどちらが深い、とのたまう輩も居るだろう。
どちらに対しても愛があると申すならば、その深さを比べてみろ。さすれば本日の昼は決まりというものだ。
だが、私にはその二者を天秤に掛けるなぞ出来ぬ。いや、出来ようはずがない。
一言に「愛」と言ったところで、その二者の「愛」なるは別種のもの。一方は感情に属する恋慕の情であり、他方は感覚に属する味覚の嗜好である。端から比べようと思い、比べられる類ではないのだ。
それに、好きなるもので二者択一を迫るなど酷な話。
どちらも欲しい。それが人の情と言うものだ。選べと言われてそう易々と選べるものではない。
しかしそのような詭弁に逃げたところで、慈母より頂戴せし食事代には限りがある。どちらも選ぶなどという贅沢事は許されようはずもない。
おっと、ついに私の番だ。
人々の身銭を吸い取り、食券なる最後通牒を突きつけてくる地獄の番人――券売機が私の前に立ちはだかる。
表面には歴戦の傷跡が生々しく刻み込まれ、その立ち姿はまさに
私はわずかに震える指先を制し、なんとか小銭入れから四枚の百円玉を取り出した。
A定食、四百円。そこに宿るは絶対的な安定と、蜘蛛の糸のような
C定食、四百……五十円?!
な、な、なんと?! よよよ、四百五十円! 五十円多いではないか。
まさかここで金銭的な壁が立ちはだかるとは思いもしなかった。同じ定食という名に踊らされ、勝手に同価だと思い込んでいた己の不知が怨めしい。よもや五十円高いとは!
たかが五十円。されど、五十円。
ただの穴あき貨幣と侮るなかれ。そこに開きし穴は存在するか否かの哲学の道であり、果ては世界を見出す遠大なる穴なるぞ。
百円玉や五百円玉にいくら貨幣価値が劣ろうとも、そこに在るは全人類が渇望せし永遠の謎の答えなのだ。
私は五十円玉に手を伸ばすか否かの瀬戸際に立たされる。
単なる好みの問題に恋心が絡まり、果ては哲学が交わり出した。十数秒で決めるなど出来ぬ話。
だが、それを長蛇がごとき列を作りし凡愚どもに説明したところで到底理解には至らぬが常。私は十数秒で世界の真理を見出し、決断を下さねばならぬ。
刻限が迫る……。
正面に構えるが古兵ならば、背後に並びしは
チッ。
ピッ! カシャンッ!
落ちし一枚の最後通牒。書かれたる文字は、B定食。
お前なんぞ、呼んではおらぬ。
時は短し選べや決めろ あろん @kk7874
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