第1章7節

 上着を着る季節になった。男子生徒は長袖のシャツに学ラン、女子生徒は長袖のシャツ、紺のブレザーにネクタイをつける。一斉の衣替えというのは、季節音痴な僕に視覚的な手段で季節の移り変わりを強制的に感じさせる。そうでなければ、僕はいつでも学ランを着続けるだろう。


 僕はいつものように図書室に行って、彼女を待った。室内が暑く感じた僕が上着のボタンをすべて外していると、図書室に来た彼女は僕の姿を見て、なんか不良みたい、と呟いた。仕方ないので僕が上着を脱いで背もたれに掛けると、彼女も上着を脱いだ。


 月曜日何してました、と僕が聞くと、彼女は友達と映画を見に行ったと言った。一人で何もない港に行った僕とはかなり違うなと少し悲しくなったが、とりあえず、昨日の僕に話しかけてくれた老人の事を話した。彼女は笑って聞いてくれた。


 それから、彼女は僕に進路の話をしてくれた。彼女は国際系の学部に入りたいんだよねと言っていた。私は時事問題とかにちょっと興味があってさ、そういうことやりたいんだと話して、僕にも進路の展望を聞いた。僕には特にこれといった希望はなかったが、文学部とかに入りたいですねと答え、彼女はそれを聞いて、いいんじゃない、と返した。将来は記者とかになるんですかね、と僕が呟くと、彼女はそうかもねと言った。国際部でバリバリエリートの飛鳥記者。個性を出してそれなりに面白い記事を書いて、その界隈で有名になりそうな気がする。ただ飛鳥記者の部下になったら死ぬまでこき使われそうで僕は嫌だな、僕には地方紙で農家にインタビューするくらいがお似合いだ、なんて考えた。あまり両親に負担をかけたくないという理由で彼女は国公立志望で、三年生になるまで予備校にも入らず一人で勉強していた。


 彼女は七〇年代から八〇年代あたりの洋楽が好きで、僕にも色々と勧めていた。今日もそうだ。彼女が一番好きだったのはクイーンの Under Pressure で、僕も聴いたが、彼女のイメージとはどうにも合わないように思えた。彼女が勧めるままにクイーンの有名な曲を色々聴いて、 Don't Stop Me Now とかは似合ってるなあなどと一人で考えていた。歌詞もちょうど良いだろう。衝突軌道に入った宇宙船という言葉は僕の彼女への印象とピッタリだ。当の僕はアース・ウインド・アンド・ファイアにハマって、その中でも let's groove はよく聞いていた。ノリノリな感じが良い。クイーンの全盛期とその唐突な崩壊は有名なところだが、アース・ウインド・アンド・ファイアの苦労は曲の知名度の割にあまり知られていない。僕も知らなかったが、彼らの曲が好きだと教えた途端に彼女が教えてくれた。徐々に人気が衰えホーンセッションから離別し、新たに導入したエレクトリック・サウンドが不発で起死回生は叶わず、結局過去の名曲で殿堂入りするが、その際にメインボーカルがパーキンソン病を公表するという、少し不憫なバンドだった。明るい曲からは想像ができない来歴だなと思った。人間とはこういうものなのだ。


 君も文学部に入ったらもうちょっとは洋楽に詳しくなるかな、と彼女は言った。僕が英米文学をやると決めた訳ではないのに彼女はそう言った。それから、新規開拓も大事だよと言って彼女は僕にスター・シップを勧めてきた。絶対に聞いたことあるから、君も聞いてよ。多分君の好きなバンドだよ、そう言われた。


 洋楽の話を一通り終えると、彼女は唐突に、今日私の家に泊まりに来ない?と僕に聞いた。


「どうしたんですか、急に」僕が聞き返した。


「いや、今日親いないからさ」


「はあ」


「ま、来てよ」


僕は彼女の言いたいことを察して、わかりましたよ、お邪魔しますと返し、今日は友達の家に泊まると家に連絡した。


 彼女の家は横浜から地下鉄で数駅のところにあった。途中のコンビニに寄って弁当など諸々を買い、家に上がった。そして弁当を食べてから二人で交互にシャワーを浴び、彼女と寝た。終わってから、やっとマトモなのが出来たね、と彼女は感想を言った。家に帰る暇もなかったので、翌朝もう一回シャワーを浴びてそのまま登校した。僕は一晩中気を張っていたのか疲れていて、そのせいでクラスメイトの湊が気付いてしまったらしい。彼女はお前もやるじゃん、秘密にしとくよとにやけながら言ってきたが、僕は何も言い返せなかった。それから一日中、彼女は他のクラスメイトに気付かれないようにしながら事あるごとに僕にちょっかいを出してきた。僕はうんざりしたが、しかし何をし返すことも出来ず、ただ彼女の遊びに付き合うしかなかった。家に帰ってから僕は、高校生にしては僕達は少しやりすぎだな、と思った。




 しかし、それから彼女が高校を卒業していくまで、僕が彼女を抱くことは無かった。

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