それぞれが向かう道 マリィ博士とユカリ

 マリィ博士とユカリが乗った探査艇は、これまで上昇してきた距離を逆戻りするように、厚い雲の中へと沈んでいった。

 雲を抜けるとそこは暗闇だった。

 まだ昼間だというのに深夜のように暗いのは、太陽光をほとんど通さないほどに濃密な雲と煙が空を覆っているためだ。

 あちこちでランダムに走る稲妻の軌跡が、無秩序な美しい光の線をいくつも作り上げては消えていく。

 地上へと目を向けると、暗闇の中に血のように輝く光が見えた。


「この辺りに活火山なんてあったっけ?」

「ありませんが……どうやら大規模な地殻変動が起きているみたいですね。地形のデータがまるで当てになりませんよ」


 マリィ博士とユカリが言葉を交わす間にも、地上ではあちこちから赤や黄色のマグマが溢れ出ている。

 時々響く大きな爆発音は噴火の音だろうか。


「さすがはコアの力だねえ。まったくデタラメなことをする」

「これが数時間前と同じ日本の景色とはとても思えませんね」


 降りしきる強酸の雨が地表を流れるマグマに当たって瞬時に蒸発し、猛烈な水蒸気を吹き上げている。また既に噴煙が探査艇のいる辺りまで到達しているため、本来であればこうしてこの景色を目で見ることはできない。マリィ博士たちが見ているのは、探査艇のカメラによって解析及び処理を施された映像だった。


「これが世界中で起きているんだろう? ここまで徹底的にやられたら、さすがに生物は残らないかな」

「どうでしょうね。微生物まで完全に根絶するのは難しいんじゃないですか。それこそマグマで海も地表も隙間なく満たすくらいしないと」

「大気中にもカビの胞子とか色々あるしなあ。やっぱり地球の平均気温を数百℃とかに上げるしかないか……」

「というかなんで私たち、生命を滅ぼす方法を考えてるんでしょう」

「確かに」


 探査艇が地表に近づくにつれて、マグマの赤色がより鮮やかに見えてきた。

 雨に冷やされて黒く固まった端から、尽きることなく新しい赤が生まれてくる。

 高温で粘性が小さいマグマは、まるで花火のように飛び散って暗闇を照らす。

 あらゆる過酷な環境を想定して設計されている探査艇にとっては酸の雨やマグマ程度は問題にもならないが、それでもコアの力によって異常な現象が引き起こされている地表付近まで下りていくのは自殺行為に等しかった。


「ギリギリで脱出した実験都市は、さしずめノアの方舟ってところかな」

「ノアの方舟は何十年か前の移民船の方では……実験都市は滅ぶと分かっている地球に好き好んで残っていただけですから」

「それもそうか。そして私たちは、今まさに滅びの瞬間を見物に来た物好きな観光客というわけだ」

「……こうして安全な場所から過酷な世界を眺めるのって、なんだか悪趣味ですね」

「そうかな? 私はそうは思わないけどなあ」


 探査艇の窓からはもう、画像処理を施した映像を通さなくても肉眼ではっきりとマグマの輝きが見える。地球の熱と胎動が伝わってくるような迫力がそこにはあった。


「こうしていると、何故か忘れていたことを思い出してしまいますね。これまで思い出す必要もなかったことというか……」

「例えば?」

「娘の……ヨシノのこととか」

「へえ。君の口からその名前を聞くのは随分久しぶりだね」

「一応あなたの孫でもあるんですけど」

「私は見たことも会ったこともないからなあ」

「私は良い母親ではなかったなって……。まあ、今だからこそそんな気持ちになるだけで、当時は最初から家庭のことなんて二の次で研究に打ち込んでいたので、何を今更って感じでしょうけど」

「あー……それは私のせいでもあるか」

「別に後悔している訳じゃないんですよ。自分が人としてどれだけ欠落しているか自覚しているつもりではあるので。ただ、普段は頭の片隅にしまい込んでいた記憶というか気持ちというか、そういった混合物が、今は自然と胸の内から出てきてしまうというか……うまく制御できていないのに、意外と悪い気がしないんですよね」

「ふむ。それはいわゆるあれだな」

「走馬灯、と言えなくもないですかね」


 探査艇は大きめの噴火口の上に陣取るようにして停止した。

 マグマの泉の赤い輝きに照らされるその姿は、今まさに生まれたばかりにも、これから沈みゆくようにも見えた。


「さて、世界が滅ぶところも無事見物できたことだし」

「意外と見ごたえありましたね」

「コアが嬉しいサプライズをしてくれたみたいだねえ」

「すごく綺麗でした。最後にいいものが見れたな」

「それじゃ、そろそろ行こうか?」

「行きますかねえ」


 二人はまるで近所に買い物にでも出かけるような気軽さで、探査艇内の壁に格納されていた赤くて大きな丸いスイッチを、手を重ねて押し込んだ。

 本来このような物理スイッチを作る合理的な理由は一切なく、これは完全にマリィ博士の趣味によるものだった。

 船全体が一瞬振動したかと思うと、床下に組み込まれているコアと、それを取り巻く大掛かりな装置が作動し、足元に振動を伝えてくる。


「……『七夕の国』を思い出すな」

「なんですかそれ?」

「昔の漫画だよ。今度データを送ろうか……なに、著作権はとっくに切れてる」

「……ふふ、楽しみにしています」


 振動は徐々に激しくなり、金属を切断するような高い音が響き始めた。

 いよいよその時が来たのだと、高らかに告げるように。

 どこからか湧き出した光が、急速に船内の輝度を上げていく。

 不意にマリィ博士は何かを思いついたように、ユカリの耳元に口を寄せて囁いた。


「来世でもよろしく」


 そのいきなりの不意打ちに、ユカリは思わず吹き出した。


「来世ってなんですか。そもそも、今が来世みたいなものでしょう」


 ケラケラと笑いながらユカリはマリィ博士の腕に自分の体を押し付ける。


「そういえばそうか」

「だいたい博士、輪廻転生とか信じてないでしょ」

「いやそのへんは柔軟にだね……」


 他愛のない話をしながら、二人の姿は光の中に溶けていくようだった。

 瞬間、探査艇の大部分を飲み込むほどの巨大なワームホールが展開し、その機体と周囲の空間を滑らかな球状に切り取ったかと思うと、全て嘘だったかのように余韻を残さず即座に消えた。

 ワームホールの展開範囲からはみ出た探査艇の残骸がぼとぼととマグマに落下し、それは音もなく沈んでいく。


 こうして二人を乗せた探査艇は消失した。

 もう、地球上のどこを探しても見つかることはない。

 わずかに残った残骸も、そう時を待たずに溶岩石の一部となるだろう。

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