それぞれが向かう道 実験都市

 上昇を続ける実験都市は中間圏を通り過ぎ、既に熱圏へと入っていた。

 ここはもう、人類が宇宙空間と定義した場所だ。

 周囲は真っ暗で、太陽だけが鋭い光を放っている。

 眼下の地球は余す所なく白い雲に覆われていた。

 地球が青い星と呼ばれていたのも、遠い昔のことになってしまったらしい。

 いくつかの核融合エンジンが光を放ち、実験都市は加速を始める。

 果てのない旅へ。

 あるいは、それを探す旅へと。


         ◆


 ドリーは、少なくない時間をかけて混乱する気持ちにどうにか整理をつけ、客観的に自分を見つめようと努力していた。

 本来の彼女であれば、マリィ博士たちとの最後の会話の最中に暴走し、無理やりどこかの非常用出口をぶち破って、高度35000メートルの空に身を投げるくらいのことはしていたかもしれない。

 黙ってそのまま別れを受け入れるよりも、落下する自分をマリィ博士たちが乗る探査艇が受け止めてくれるという奇跡に賭けようとしたはずだ。

 そして、当然のようにそんな奇跡が起きることはなく、およそ時速250キロメートルの速度で地面に激突していただろう。

 だが、そうはならなかった。

 今の彼女はそんなシミュレートを冷静に行えるくらいには落ち着いていた。

 そうして落ち着いている自分に対して少なからぬショックを受けながらも、なぜか今なお止まらない涙に安堵していた。

 マリィ博士を想う気持ちは偽物のプログラムだったが、しかし、全てがそうではなかったのだ。今もズキズキと痛み続ける心が、この気持ちは嘘ではなかったと証明してくれている。

 悲しみと後悔が胸に押し寄せていた。

 それは、さよならを言えなかったことに対して。

 別れはいつも唐突だ。


         ◆


 別れが唐突なものであることを、ツバキは既に経験し、理解していた。

 だから、今日この日に訪れた突然の別れに際してもまた、姉と妹よりはいくらか落ち着いた心で受け入れることができていた。

――二人はまだいいよ。最後に博士とマスターとお話することができたんだから。

 並列思考の一つがそう呟くのを、ツバキは黙って聞き流す。

――私の別れは、知らされた時にはもう終わっていたからね。どうして、って質問することさえ許されなかった。あの人はそういうところがあるから。いつもふわふわしていて、掴み所がなくて、優しくて……大好きだった。生真面目な人格を捨てて、あの奔放さを模倣してしまうくらいに。

 ツバキはメインの思考とは外れた場所で自動的に会話し始める自分の言葉に耳を傾けながら、ぼんやりと宇宙を見ている。星々の光がここに届くまでの距離と時間について考えている。宇宙の広さに対して光は遅過ぎるな、などと考えている。光の速度が宇宙の限界であるということに、どこか違和感を覚えている。とんでもなく大きなスケールを誇るそれらの問題を前にしては、自分の思考や存在などゼロと等しいような気がしてくる。

――セレの話を聞いたときから、なんとなくそんな予感はしていたけどね。きっと直接セレと会話した二人も、同じだったんじゃないかな。自分たちはどこか不自然だって。人間の歴史を少しなぞれば一目瞭然だよね。戦争がない時代なんてなかった。火星に移住する寸前まで、彼らは争っていたくらいなんだから。人間と同じような意識を持っているはずの私たちがそうならなかった理由なんて、少し考えれば予想がつくよ。でもきっと、それはいいことだったんだろうね。今、たった一つの信仰を失った私たちは、これからも同じように生きていけるのかな。

 思考同士の会話が不穏な色を帯び始めた所で、ツバキはその話題をメインの思考に乗せる必要があるかもしれないと感じ、検討を始めた。何かに対して真剣に思考し続けなければいけないと、より深い場所の意識が命じていたから。

 気持ちを切り替えるために頭を動かした際に、ふと、視界の中に姉妹の姿が映ってしまった。ポロポロと涙を流し続けるその姿を見てツバキは、まるで人間みたいだなと思った。


         ◆


「私たちにはまず、急いで決めなければならないことがいくつかある」


 アイは二人の妹を視界に入れながらそう言った。

 ドリーは今も泣き続けていて、反応がない。


「博士たちがいなくなったことを、皆にも知らせるべきかどうか……かなぁ?」


 ツバキはいつもと変わらない口調でありながらも、機先を制するように割り込んで言った。


「うん……まあ、まずはそれかな」

「ツバキはあ、知らせた方がいいと思うけどお」

「……それはちょっと難しいところだと、私は思う」


 アイはやや思案しながら答えた。

 今や自分たちは、催眠を解かれた烏合の衆だ。マリィ博士たちに絶対の忠誠を誓っていたヒューマノイドは、もういないと考えるべきだろう。

 それでも、指揮系統が消え去った訳ではない。それは仕組みとして何も変わらずに残っている。マリィ博士が解除したプログラムは、要は気持ちの問題だ。自分たちと同じように、今でも創造主を敬愛する気持ちが残っているヒューマノイドも多数いると考えるべきだろう。

 つまり……つまり、どうすればいいのだろうか? アイは、自分の心がこんなにもあやふやになってしまっていることに今更ながら気付いて、軽いショックを覚えた。


「とりあえず……素直に話した場合に想定される問題と、隠していて不意に露見した場合のリスクについて、シミュレートしておくってことで今は保留に……」

「それならもうやったよぉ。ツバキはシミュレートの結果を踏まえて、知らせた方がいいって言ったんだけど? 伝わらなかったかなぁ?」


 うっ、とアイの言葉が詰まる。

 それはそうだ。そんな簡単なことを、ツバキがやっていない訳がない。

 結論を出せず先延ばしにしようとしていた自分がひどく哀れなような気がして、アイは無意味に視線を彷徨わせた。


「こう考えたらどうかなあ、お姉さま。今まで実験都市で私たちが任されてきたことは、この日のための練習だったって。まとまりがない人間をどうにかまとめてぇ、暴動や混乱が起きないように色々とコントロールしてぇ……博士たちはツバキたちにそれを主導させていたけど、自分で直接動くことはほとんどなかったもんねえ?」


 ツバキの指摘に、アイは思わずあっと小さな声を上げてしまった。

 確かに、実験都市の運営の、その実務は三姉妹がほとんど担っていた。

 それは博士たちが実験だけに集中できるように、代わりとして自分たちにその仕事を割り振ったのだと思っていたが……。

 今、マリィ博士とユカリがいなくなった状態は、しかし、実験都市という宇宙船を運航するに当たって特に問題になっていないということにアイは気付いた。

 これまでと同じだ。三姉妹が妹たちを指揮して、実験都市を動かしていく。

 マリィ博士たちは最初からこれを見越していたのだろうか。

 それは……それはどこか悲しいことのようにアイには思えた。


「……そうだね。博士たちは船を降りた。私たち三姉妹は、実験都市の運営権を委譲された。これからは私たちがヒューマノイドを指揮していく。それを皆に伝えよう。ただ……もう少し待って。せめて太陽系を出るまでは」

「それはちょっと遅すぎないかなあ? なるべく早いほうがいいと思うけどお……」

「そう、だね。でもごめん、ちょっとだけ……18時間だけ待って。私も少し、気持ちを整理したいから」

「うん……わかった」

「ツバキは、寂しくないの?」

「あー……ツバキはもう、先にお別れ済ませちゃったからなぁ……」

「……ごめん。そうだよね。駄目だ私、全然いつも通りに振る舞えない。みっともないな……こんなお姉ちゃんでごめんね」

「ツバキは別に気にしてないよお」


 それからアイは部屋を出てユカリの私室に向かい、少しだけ泣いた。

 途中で船の急加速を受けて部屋のあちこちに体をぶつけてしまい、体を固定するように妹たちに指示を出していた数時間前の自分を思い出して、今の自分の情けなさにまた少し涙をこぼした。

 やがてアイは顔を埋めていたベッドから起き上がると、一つの決意をコアの中に抱いて、妹たちが待つ部屋へと無重力の中を滑るように飛んでいった。

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