13区での攻防(の裏側)
火星からの攻撃という衝撃的なニュースが実験都市中を駆け抜けた日の正午、都市の外縁部では、とあるデマが急速に広まりつつあった。
きっかけは、些細な噂話だった。
「外縁部の人間だけはD5という監獄のような衛星都市に送られるらしい」
「IDがない人間は申請すれば再交付してくれるらしいが、のこのこと申し出た犯罪者を一網打尽にする罠じゃないだろうな」
「どの道、申し出なかった奴は取り残されて死ぬだけだ」
「中央は外縁部の人間を人間と思っていない。ろくな扱いはされないに決まってる」
そんな愚痴や不満の声が伝播するに従って増幅され、話に尾ひれがついていく。
「D5に送られたら二度と生きて出られないらしい」
「炙り出した犯罪者をまとめて火星からの攻撃で葬る計画に違いない」
「外縁部にいる人間は全員取り残されるように仕組まれているとか」
「中央はこの機会にスラムを焼き払う気だ」
そこから更に、デマは暴走を扇動するかのように発展していった。
「期限の三年までに中央を制圧するしか生き残る道はないということか……」
「制圧後に火星連邦政府と取引をする必要があるんだぞ。行動に移すタイミングは今すぐにしても遅いくらいだ」
「非合法の兵器工場があるスラムの方が、非殺傷兵器のみで武装している中央よりも実質的な武力は上だ。その気になれば数日で攻略できるという分析結果が出ている」
「どちらにしろ、何もしなければ死ぬだけだ。それなら今動くしかない」
こうしたデマが伝播した理由の一つに、スラムには情報端末を持たない人間が一定数いたことが関係していた。彼らは公式の情報を自分の目で見て冷静に判断することができず、周囲の空気に翻弄されて語調を強くし、それを聞いた他の者がネットワークを通じてそうした加熱する空気を共有していったのだ。
自分の命が脅かされているという
その日の午後、陽が傾き始める頃には既に、彼らの手に武器が行き渡っていた。
スラムに兵器工場を構える武器商人たちが、一気に中央の力を削ぐチャンスだということで合意し、スラムの人々に無償で武器を供与したためだった。
スラムと13区の間は、簡易なフェンスで区切られている。
これは本来、ある程度の強風でも外気が実験都市内に侵入してこない最低ラインを示すためのものだった。
フェンスには200メートル毎に出入り口が設けられているのだが、特に施錠などはされていない。電流が流れている訳でもなく、有刺鉄線が張り巡らされている訳でもない上に、それ自体の高さは2.5メートル程度しかないため、乗り越えようと思えば簡単に乗り越えられる。
これは、わざわざ13区を出て外縁部などに行っても空気が悪いだけで何の得もなく、またしばらく進むと辿り着く都市の端には高い落下防止壁があるだけなので、厳しく出入りを制限する必要性がないためだった。
そして今、外縁部――そのスラム側には、フェンスに沿うように武装した人々がずらりと並んでいた。
皆一様に布で顔を隠し、あるいはホロの仮面を貼り付けて、骨董品のような物理銃を携えている。
結局どれほど武器が進化しようとも、最低限人間を殺すための機構は15世紀にはほとんど形になっていたのだ。限られた環境で非合法に武器を生産するならば、クラシックな物の方が圧倒的に作りやすい。
それ故、彼らに提供されたのは火薬を用いた爆弾や、鉛の弾丸を飛ばすシンプルで安価な物理銃だった。
必然的に武器を供与した者、すなわち非合法の兵器商人が音頭を取る形となり、外縁部の住人は細長いスラムにまんべんなく配置されて、一斉に突撃するための合図を待っていた。
力を一点に集中させれば中央まで突破できる可能性は高まるが、逆に一網打尽にされるリスクも高くなる。それよりはバラけて各地から一斉に区内へと侵入し、ゲリラ戦にてGSを撹乱する戦法を選んだのだ。
彼らの士気は高かった。なにせ、これが失敗すれば死が待つだけだという強迫観念が強烈に背を押している。火星連邦政府からの宣戦布告という衝撃的なニュースで朝から一気にネット上のやり取りが活性化し、ある種の祭りにも似た高揚感が蔓延していたことも、彼らが驚くべきスピードで行動を開始した一因だったのだろう。
「行くぞ! 俺たちには生きる権利がある!」
一斉に突撃を開始した彼らは、しかし、いきなり出鼻をくじかれることになった。
200メートル毎に設けられている出入り口を使うと人が密集し過ぎて危険なため、手投げの爆弾によってフェンス自体を破壊する予定だったのだが、予想外にこのフェンスが壊れない。一見どこにでもあるスチールのフェンスだと思っていたそれが、まさか最新の特殊合金で出来ているとは、さすがに予想できる者はいなかった。
それなら仕方ないと一斉にフェンスに組み付き、乗り越えようと殺到するスラムの住人たち。しかしそんな彼らを待っていたのは、13区側から放たれるパルス狙撃銃の衝撃だった。
「GSだと!? 対応が早すぎる、こっちの動きがバレていたのか!?」
「いや……GSだけじゃないぞ、他にも……何だあいつら?」
ずらりと13区側に並ぶのは、壁のように幅広なシールドを持ったGSと、その後ろで武器を構えるスーツ姿の男たちだった。
彼らはそれぞれ4人組で
◆
スラム街の住人たちが行動を開始する数時間前。
13区の建物にしては場違いなほど豪奢なビルの一室に、数十人の男たちが集まっていた。
彼らは皆スーツ姿で、どこか堅気の者ではない雰囲気を醸し出しており、そしてその場にいるほとんどの者が実体を持たないホロ映像だった。
「よく集まってくれたな」
リーダー格の、ホロ映像ではない生身の男は椅子に座ったまま
「お前たちも今朝のニュースは見たと思うが、議題のメインはそれじゃねえ。なんつーかまあ、ちょっとしたボランティアについてだ」
男を取り巻くホロ映像たちは、わずかに眉根を寄せる。
「近いうちにスラムの連中が13区にカチコミかけてくるらしい。早ければ今日中にも……そうだな、数時間後には来るかもしれねえ」
「兄貴、そいつは初耳ですが」
ホロ映像の中の一人が物怖じしない様子で口を挟んだ。
「まあ、こいつはGSからの情報提供だからな。他のどこよりも早いネタだ」
「GS……?」
リーダー格の男の言葉に、取り巻きたちは動揺する。
それもそのはずで、この会議に出席しているのは、いわゆる堅気ではない人間が集まった組織の、それなりに高い地位にある者たち。彼らにとってGSは不倶戴天の敵とさえ言える相手なのだ。
「おっと、言いたいことは分かるが最後まで聞け。俺たちはこれからそのGSと協力して、スラムの連中を撃退するための作戦を開始する」
「ちょっと待ってくださいよ、冗談じゃねえ」
「中央の犬になれってのか」
「兄貴、ンな与太話するためだけに場ァ開いたんすか」
リーダー格の男に対して、次々と避難の言葉が殺到する。
これがホロではなく実体だったなら、あわや一触即発といった剣呑な雰囲気だ。
「最後まで聞けっつっただろ。おい」
だが、一喝。
それまで穏やかな態度を取っていたリーダー格の男がドスの利いた声を出すと、取り巻きたちは不承不承と言った様子で静かになった。
「ほっときゃ13区だけじゃねえ、俺らの取り仕切る区が真っ先に荒らされる。スラムは広く薄い上に、恐らく奴らは実弾の銃で武装してくる。GSは今朝のニュースで混乱してる区内に駆り出されて人手不足らしい。俺らの装備と情報網だけで全部をカバーするのも不可能だ。黙ってされるがままになるのか? こうなったらもうGSと手を組むしか対処方法はねえんだよ」
それは確かに正論だった。
暴力を生業とする彼らとて、手段を選ばずに攻めてくるテロリストを撃退するというのは、本来のやり方から大きく外れる仕事だ。言ってしまえば、彼らは暴力をチラつかせることで抑止力として使い、物事を進めるプロであって、何でもありの殺し合いを主戦場としている訳ではない。
「しかし兄貴……そのGSからの情報が正しいって確証はあるんですか。最悪、俺らを一網打尽にしようって奴らの手じゃあ……」
「ああ、その心配はない」
自信満々に言う彼の隣に、それまでホロ迷彩によってカメラから隠蔽されていた一人のGSが姿を現した。
彼女は最初からこの会議に出席していたのだ。
「……なんでそこにGSが」
「どういうことですか兄貴」
「あんた俺らを売ったんじゃねえだろうな」
「この会議は関係者以外の出席も傍聴もご法度のはず……分かってるんですか兄貴」
今度こそ冗談では済まないという迫力で、ホロ映像たちは次々に食って掛かる。
敵対しているはずのGSが、この幹部だけを集めた会議に出席するなどということは、到底許容されるものではない。
「だから心配すんなって。なにせ、俺はこいつと結婚するんだからな。言わば内縁の妻ってやつだ。それなら身内だろ?」
ホロ映像たちは一斉に、ぽかんと口を開いて固まった。
その間にGSは仮面のように顔を隠していたバイザーを上げ、その素顔を晒す。
ヒューマノイドたちの例に漏れず、整った美しい顔立ちだった。
「……あっ、そいつ、この前の」
取り巻きの中の一人が、そう言ってGSの顔を指差す。
「おう、お前はあの時一緒にいたんだっけか。他の奴らにも紹介するよ。こいつはGSのペディだ。俺の命の恩人でな、ちょいとした縁があって……まあ、なんだかんだで結婚することになった」
「ペディと申します。今回は彼の内縁の妻として、皆様のご助力を賜りたいと……」
「おいおい固いな。初めて会った時みたいじゃねえか」
「……こういう場で砕けた感じに振る舞うのは違うでしょ」
「いいんだよそんなの」
「まったく、あなたはいつも適当なんだから……」
唐突に始まったイチャイチャに、取り巻きたちはどう反応していいか分からず困惑していた。
「結婚て兄貴……そいつヒューマノイドすよ……」
「俺は一体何を見せられているんだ……?」
「お、おめでとうございます?」
「やけに女っ気がねえと思ってたら、あんたそういう趣味が……」
「俺はいいと思う」
「いやないわ」
「兄貴が幸せになってくれるなら何でもいいよもう」
「おう、ちょっと黙れ」
混迷を極める彼らのどよめきは、しかし力強い老人の一言で一斉に静まり返った。
「お前さんが誰と一緒になろうが構わねえが……その相手がGSだってんならよう、もうお前さんにこの連合を取り纏める資格はねえんじゃねえか」
それは、リーダー格の男が10区から13区までの組織を統一するより以前、界隈で最も力のある組織の組長をやっていた老人だった。
彼は、綺羅星の如く現れた類稀なカリスマを持つ若者が、自分たちを率いて無益な争いを治めてくれることに希望を託し、陰で様々な便宜を図っていたのだ。
「GSと俺らみたいなもんは昔っから水と油の関係よ。時に手を貸し貸されることはあっても、決して馴れ合っちゃなんねえ間柄だ。おう、てめえ、一時の色恋でよう、この連合を好き勝手されちゃかなわねえぞ」
語気が強まる。阿修羅の如き迫力は、老体のホロを通じてさえ圧倒されるほどだ。
「……親父殿の言い分は分かる。だが、そりゃ昨日までの話だぜ」
「なんだあ……?」
「あんたもニュース見ただろ。あと数年で何もかもチャラになる。俺らが火星に行く時は皆バラバラだ。そんで向こうでも今と同じように仲良くやれると思うか? 向こうには向こうの秩序がある。またゼロから始まるんだよ。だから、これは俺の最後の頼みだ。ようやく叶ったこの平穏を、最後の最後にスラムの連中ごときに好き勝手されるなんて口惜しいじゃねえか」
いつの間にか取り巻きたちは、彼と老人の言葉に聞き入っていた。
あと数年で、この見事に統一された秩序は泡沫の夢と化す。その事実は彼らに寂寞感を与え、それでも有終の美を飾りたいという思いを強くさせた。
「……今、お前さんがリタイアしちまったら、その残りの数年だって持ちゃしねえだろうが。それじゃ意味ねえだろう。確かにスラムの奴らは危ねえが……」
「大丈夫すよ、親父! 俺らは兄貴が色ボケしたって付いていきますぜ!」
「そうそう、むしろ俺たちが付いててやらねえと兄貴一人じゃ危なっかしくていけねえからな」
「そりゃ違えねえ」
「お前ら、援護してんのか馬鹿にしてんのかどっちだよ」
老人の言葉を遮るように、次々と取り巻きたちが声を掛ける。
ヒューマノイドと、しかもGSと結婚するなどという衝撃的な発表はしかし、破天荒な彼のやり方を散々見てきた彼らにとっては、既に許容範囲となっていた。
彼らはその男に一人の人間として惚れ込んでいたからこそ、手を取り合ったのだ。多少衝撃は受けたものの、眼前に迫る様々なことに比べれば些細なものだった。
「……ええと、親父。こいつらはこんなこと言ってますが」
「馬鹿共が。まったく、皆お前さんのせいで頭のパーツが緩んじまった。……まあ、いいか。どうせお前さん、老いぼれの忠告なんぞ聞く気はなかっただろ」
それから老人はペディに顔を向ける。
現役を退いたとは言え、その眼光は未だ衰えることなく鋭い。
「GSの嬢ちゃん、もしあんたが俺らをうまいこと踊らせようとしているだけだったら、そん時ぁ容赦しねえぜ。あんたらが嫌う不毛な争いってやつをタイムリミットまで続ける羽目になる。覚えときな」
「ご安心ください。我々はそのような愚かな選択はしません」
「……食えねえな。だから俺ぁヒューマノイドってのは嫌いなんだ」
そう言い捨てると、老人のホロ映像は音もなく消えた。
こうして彼らは最初で最後となる、GSとの共同作戦に取り掛かるのだった。
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