計画発動

 その日の未明、人々のネットワーク活動が最も鈍る瞬間を見計らって、カナザワの人工衛星を介した全ての通信は疑似ネットワークシステムへとシームレスに切り替えられた。

 それからほどなくして、火星連邦政府からの公式メッセージが発信される。

 その内容は、実験都市カナザワが保有する実験施設に対して、静止軌道上の攻撃衛星からミサイル攻撃を実施するというもの。

 そこに詳細な理由などは一切含まれない。

 ただ、住人の退避期間として3年を設けるということだけが一方的に通告される。

 それからきっかり一時間後に、カナザワから地球脱出計画が発表される。ここでもまた、火星連邦政府から宣戦布告されるに至った経緯などの説明はない。

 多くの住人はこの二つの知らせを、朝の目覚めとともに受け取ることとなった。

 慌ただしい一日が始まる。


「住人の動きは概ね予想通りです。大規模なデモを扇動しようとする者たちの活動を感知し次第、予め配備しておいたGSが排除に当たっています。銃器などの不法所持という名目ですが、そういったものを実際に所持していた連中も多いみたいですね」


 0区中央の会議室。

 アイは定例の報告会と何ら変わらない様子で淡々と報告を行う。

 この計画を発動するに当たり、最も懸念されたのは初期の混乱だった。

 突然一方的に火星連邦政府からの宣戦布告を突きつけられれば、いくらカナザワがその対応策として地球脱出計画を迅速に発表したところで混乱は免れ得ない。

 ずっと続くと信じていた日常が壊れていく感覚は、人々に少なからぬショックを与えるだろう。

 そして、攻撃されるということは、カナザワ側に何らかの落ち度があったのではないかと思われても仕方がない。詳細な経緯が報じられない辺りにも、邪推の余地が十二分にある。

 実験都市ではここ数年、民主化を求める声が徐々に高まりつつあった。

 これは、かねてよりカナザワの独裁体制に不満を持っていた者たちが画策してきた成果であり、彼らにとって今回のニュースは、現在の情勢を一気に動かす格好のチャンスだった。

 だからこそ三姉妹はそういった動きを予めシミュレートし、対応策を立てていた。

 各地区へのGS配備、マークしていた人物への監視強化、そして協力者との連携。


「例の、外縁部の動きはどうかな?」

「まだ目立った動きはありませんね。まともなネットワーク接続手段を持たない人もあそこには大勢いるようですし……」


 マリィ博士の質問に答えたのは、三姉妹の三女であるドリーだった。

 彼女の担当は今回、少々特殊なことになっている。

 発端は、今回の計画についてGSと情報共有を行った際に、とあるGSの小隊長から提案があったことだった。

 曰く、この計画を発動した際に最も警戒すべきは外縁部である、と。

 その小隊長は、個人的に10区から13区のいわゆる裏社会の人間とつながりを持っており、そこから入手した情報を勘案して今回の提案をするに至ったらしい。


 外縁部は、言ってしまえばカナザワの独裁体制の皺を寄せるためにある部分だ。

 あえて管理の手を抜き、半ば無法地帯のようにすることで、押し込められた不満をそちらに誘導して、区の秩序を脅かすことを未然に防ぐ役割を持っている。

 各区で何らかの理由により行き詰まり、行き場を失った者たちは外縁部に集まる。

 それはいわゆる犯罪者であったり、社会のシステムに適応できなかった者であったり、あるいは彼らを更に食い物にしてやろうと企む悪人であったりする。

 彼らがドラッグに溺れようが、武器を密造しようが構わない。ただし、それが13区に溢れようとした瞬間にGSが容赦なく叩き潰す。

 また、一般市民はスラムの存在を情報として知ることで、自分はまだ恵まれていると実感し、精神的な平穏を得る。

 こうした古典的な仕組みによって、実験都市の各区は秩序と平和を保ってきた。

 そういった特性上、中央に位置するカナザワは外縁部の情報については例外的におろそかにならざるを得ないというのが現状だった。


「その小隊長には感謝しないとね。私も自分の目で外縁部を見たことがあるからこそ余計に、彼らが結託して蜂起する可能性があるなんて予想できなかった」


 マリィ博士はこれまで、個人的に(勝手に抜け出して)外縁部を調査……という名目で遊び歩いていたことがあるが、その時に彼女が感じた印象は「孤立」だった。

 スラムという俗称とは裏腹に、彼らが寄り集まって生きているような姿は稀で、例えば二人か三人組になって何事か悪巧みをしている者こそいても、それ以上の大規模な組織というものは存在しなかった。

 それも当然と言えば当然の話だ。なにせ彼らは社会から爪弾きにされた者たち。身を寄せ合うような信頼関係など存在せず、バラバラの者たちが外側に押しやられ、押し込まれているだけに過ぎないのだから。


 だがそれは、実験都市が一応の秩序と平和を保っている間に限った話だ。

 実験都市の存続自体が危うくなるのであれば、話が違ってくる。

 そのGSの小隊長は、そう指摘したのだった。


 外縁部の彼らが危惧するのは、実験都市に置き去りにされることだろう。

 果たして自分たちは脱出計画に含まれているのか、見捨てられるのではないか、という疑念が湧いても仕方がない。

 実はこの疑念は当たらずとも遠からずといった所で、彼らは直接火星に送るのではなく、衛星都市D5に一旦まとめて送ることが計画されていた。そこで人格や素行などの審査を行い、問題ない者だけが火星に行ける仕組みだ。

 これは本来の、実験都市の人間が地球脱出を希望した際に辿る手順と同じ。

 つまり、彼らは一度地上に降ろすというステップを踏むことなく、直接実験都市から地球を脱出することになるのだ。

 他の住人のように各区からランダムで選出されるといった手間もなく、一斉に送られるという点ではある意味優遇されているようにも見えるのだが……。


「一応、誰でも閲覧可能な脱出計画の説明にも明記されているんですが。ちゃんと読む人は少ないでしょうし、何よりD5に送られるというのがそもそも承服できないという人間も多いでしょうから……どちらにせよ、混乱は起きるでしょうね」


 ドリーがそう分析したように、宇宙の監獄に入れられるなんてまっぴらだという犯罪者などは、どうにかして13区以内に潜り込もうとするだろう。それこそ他人を殺してIDを奪ってでも……という暴挙に出る者がいてもおかしくない。なにせ、そのまま実験都市に残っていればいずれ破滅することは確定しているのだ。人生最後の大博打に出るには十分な動機付けとなるだろう。


「あるいは生きる気力を失って捨て鉢になっている人なんかは、一切リアクションがない可能性も考えられますね。IDがなくて路頭に迷っている人も申告してくれれば再発行する手はずになっているんですが……もしスルーされたら、その人たちは本当に取り残されることになりますよ」


 無秩序な外縁部においては、それは十分あり得る話だった。

 いつの時代でも、人々の意見が完全に一致することはない。このまま実験都市と共に死ぬという決断をしてしまう人間もいるかもしれない。

 それに加えて今回の計画についても、陰謀論(実は当たっているのだが)に翻弄される人間はそれなりの数出てくるだろう。

 全てが目論見通りに進むことはないという前提で動く必要がある。


「まあ一応、そういう人間がいることも想定して最後にヒューマノイドを総動員してローラー作戦で街を巡回してもらうつもりだけど。カメラのない外縁部で巧妙に隠れられたら……その時は仕方がない。自業自得というやつだね」


 人命を尊ぶマリィ博士でも、たった一人の人間のために計画全体を見直すことまではしないと言い切った。取りこぼした命は、悪いがそのまま犠牲になってもらうという宣言だ。

 彼女が人間の命を尊重するのは、あくまで理想論に沿うためだ。それは決して曲げられない信念などではない。それ以上に優先すべきことがあればそちらを取るという非情さも、彼女は兼ね備えているのだった。


「……セレには言わないほうが良さそうですね、それ」


 人の命について思いを馳せたのか、話を聞いていたアイがぽつりとこぼした。

 地上の人間を救うためにテロまで起こしたセレが、マリィ博士の今の発言を聞いたら、確かに冷静ではいられないかもしれない。


「ああ、言われて思い出したけど、その元情報部長の彼女セレはどうしてるのかな? うまくやれてる?」

「意外なことに、地上の人々からは歓迎されているみたいです。どうも、災害派遣の際に例の装置を貸し出したことがきっかけで、実験都市が神聖視されているような風潮があるらしく、地上に降りてくるヒューマノイドの印象は良いみたいで……」


 さらりと話題を転換するマリィ博士に、アイはこれ幸いと乗ることにした。

 必ず出るであろう”取りこぼし”についてマリィ博士たちが苦悩しなかった訳がないのだ。それを混ぜ返すような不用意な発言をしてしまったと、自分を恥じながら。


「へえ、怪我の功名というやつかな」

「かもしれません。ともかくセレは地上の人々と友好関係を結んでいるようです。自らを省みず、献身的に人間のために働く彼女のことを、地上の人間は聖女のように扱っているとか何とか」

「素晴らしいね。それだけ影響力を持てれば、今回の計画で都市の人間が大量に地上に送られても、上手いこと立ち回ってくれるだろう」

「ええ。彼女が事件を起こしたのはかなりイレギュラーな事態でしたが、結果的には最良の成果が出せる形になったかと」


 それから数時間後、やや大きめの混乱が外縁部と13区の境目で起きることになるが、それもほどなくして沈静化する。

 実験都市の脱出計画は、ほぼ理想的な形で進んでいくこととなった。

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