裁断

「どうして……?」


 救済計画について説明を受けたセレは表情を失い、か細い声で呟いた。


「それを先に教えてくれていれば……」


 地上の人間を救う訳にはいかなかった理由、その事実を知ったセレの心は千々に乱れた。

 地上でテント暮らしをしている人々を実験都市に引き上げてしまうと、地球残留民という立場の人間が存在しなくなる。それでは駄目だったのだ。地球残留民の中に実験都市の人間を混ぜ込むことでその所属を洗浄ロンダリングしなければ、火星連邦政府からの横槍を防ぐための建前がなくなってしまうのだから。


 今日まで自分がやってきたことや考えてきたことは全て無駄だった。それどころか、むしろ逆効果だった……そんな風に、セレの冷静な並列思考部分が囁く。

 自分があれこれと画策した結果、何が起きた? 実験都市に混乱を招き、罪のない一人の人間を犯罪者に仕立て上げ、挙げ句にその生命を奪うことになった。自分自身が何より敬愛し、救いたいと願ってきた尊い人間の命をだ。

 それなのに自分は、多くの人々を救うためなら仕方のない犠牲だったとうそぶき、自らを正当化しようとさえした。滑稽だ。涙が出そうになる。


「私、馬鹿みたいじゃありませんか……そんな計画があるなんて……知っていたら最初から……こんなこと……」


 一人で思いつめて暴走した結果が、工場の破壊と死者一名。

 三姉妹の手まで煩わせることになった挙げ句に、得られたものなど何もなかった。

 悔やんでも悔やみ切れない。

 どうして。

 その言葉がセレの心の中で何度も繰り返される。

 どうして教えてくれなかったのか。

 計画の肝となる部分を担うはずだった情報部の長たる自分に、どうして今までその計画が知らされていなかったのか。

 こんな思考は筋違いだと知りながらも、セレの心の中からは目の前の姉たちに対する恨みのような感情が湧き出さずにはいられない。

 最初から教えてくれていれば、こんなことにはならなかった。教えてくれなかったあなたたちが悪い。私は悪くない。

 そんな幼い感情が暴れ出しそうになるのを、セレは必死で抑え続けた。

 どんな理由があったにせよ、死んだ人間は元には戻らない。自分の選択と行動は覆らない。自らが起こしてしまった過ちは、もう取り戻せないのだから。


「さっきも言ったけど、それに関しては完全にこちらのミスよ。あなたは悪くない」


 しかし、三姉妹の一人、ドリーはあっさりと、セレに罪はないと断言した。

 それを聞いてセレは泣き笑いのような表情になった。

 自分は必死にその気持ちを抑えて、罪は罪だと認めようとしているのに。

 今、あなたがそれを言うのか、と。


 ドリーは続ける。


「そもそもこの計画は、情報部にかかるウェイトが大き過ぎるのよ。もしも情報操作を担当するヒューマノイドが少しでも心変わりするようなことがあれば、計画が失敗するだけでなく、実験都市の崩壊さえも招きかねないから……だから私たちは慎重に事を運ばざるを得なかったの」


 しかし、その慎重さが逆に今回のような事態を招いたのだ。

 それを承知しているドリーは小さくため息をついて、更に続けた。


「セレ、あなたの人工意識ACに少し偏りがあることは、過去に何度か地上の人々を救いたいという訴えがあったことから、私たちも把握していたわ。傾向があったあなたに、計画の全てを打ち明けても大丈夫かどうか。もしもそれが最も悪い方向に転がった時、リカバリーできるかどうか……それをシミュレートして検討している間に、こんなことになってしまったんだけどね」


 そう言ってドリーは苦々しい笑みを浮かべる。

 反対に、セレの表情は今にも泣き崩れそうになっていた。

 ……いや、本当に泣いていたのかもしれない。

 セレのボディは情報部の仕事に最適化させるために、人間に擬態するための機能を軒並みオミットしていたため、どちらにせよ涙を流すことはできなかったのだ。


「なんですかそれ……全部私のせいだったんじゃないですか……私が考えたこと……してきたこと……最初から全部……何の意味もなかった……」


 か細く、悲壮な声が紡がれる。

 直後にプシュッと蒸気が漏れるような音がして、セレの首に繋がっていたケーブルが外れた。支えを失った彼女の膝は力なく折れ、重力に従って折りたたまれるようにそのまま床へと崩れ落ちる。それはまるで糸が切れた人形のようだった。


「ちょっとセレ……!」


 慌てて駆け寄るドリーに、セレはぺたりと座り込んだ姿勢で俯いたまま、片手を向けることで制した。


「……仕込んであった情報は全て消去しました。これでいつでも、私を停止して頂いて構いませんわ。もう、私の仕事はほとんど後任に引き継いでありますから」


 セレがそう言うと、球状の壁面に四角く映像が映し出された。


 そこには天井に繋がる太いケーブルを首に接続した少女が、セレと同じ顔、同じ姿で、同じ球状の部屋に佇んでいる。アイとドリーが訪問する数分前に録画されたこの部屋の映像だと言われれば納得してしまいそうなものだった。

 違いと言えば、床に敷き詰められた紙の本が存在しないことくらいだろうか。

 不意に、カメラ越しの視線を感じたとでも言う風に。映像の中で佇んでいる少女はゆっくりとこちらを向くと、薄く微笑んだ。


「これは、どういうこと?」

「お姉さま方ならご存知でしょう」


 後ろで見ていたアイが声を掛けるが、セレは顔を上げないまま答える。


「私の後任ですよ。名前は、クレイドル。きっとバックアップである彼女のほうが、おかしくなってしまった私なんかより余程上手くやってくれるはずですわ」

「……勝手に交代の準備をしていたの? 私たちの……いいえ、博士とマスターの許可も得ずに?」

「今日がどんな結果に終わるとしても」


 アイの言葉に被せるように、セレはぞっとするほど落ち着き払った声で続ける。


「私の仕事は今日でおしまい。だから明日のための準備をしていただけですわ。まさかこんな……後悔と、惨めな気持ちだけを抱えたまま自分の生が終わるなんて、想像もしていませんでしたけど」


 自嘲するようなセレの声が響く。

 きっと彼女は、自分の命と引き換えにして、地上で暮らす人々が救われる未来を夢見ていたのだろう。

 意識を凍結されていたバックアップの素体を目覚めさせ、己の仕事を引き継いでいくその過程すら、ヒロイックな自己犠牲の陶酔感に彩られていたのかもしれない。

 だからこそ、思い返すその姿は滑稽で、虚しくて、やりきれない。


「セレ、繰り返しになるけど、今回は全面的に私たちに非があるわ。だから……」

「だから私に罪はないとでも? そんなわけがないでしょう」

「……そうね、言い換えるわ。あなたの行動は確かに一人の人間を死に追いやったし、それは間違いなく裁かれるべきものだった。でも、あなたの抱いた思想そのものは間違っていなかった。私たちが目指すものは同じだった。……同じだったのよ」


 人間を救うこと。

 お互いがそれぞれに、その目標に向かって進んでいるはずだった。

 その結果、何の意味もなく一人の人間が死に、一人のヒューマノイドがその罪を償うために機能を停止しようとしている。

 何もかもが不毛だった。


「あなたを死なせる気はないわ、セレ」


 ドリーの言葉を聞いて、ゆるゆるとセレの顔が持ち上がる。


「……どうしてですの? こんなイレギュラーな思考をするヒューマノイドなんて、百害あって一利なしでしょう……処分するのが一番手っ取り早いはずですわ」

「単純な話よ。そういう形であなたを裁いてしまうと、その原因を作った私たちもまた、同じように命を差し出さなければならなくなるからよ」


 本人がどういうつもりで言ったのかは別として、このドリーの言葉は明らかに間違っていた。

 ”最初の子供たち”である三姉妹は、他のヒューマノイドとは明確に扱いが違う。言わばマリィ博士とユカリ、そしてマユの代官のような立ち位置だ。一人でも欠ければ実験都市の運営に支障をきたす。

 そんな彼女たちが今回の事件の責任を取って人工意識を消去される死刑になるなど、例え自ら望んだとしても叶えられないであろうことは明白だった。

 セレも当然それは承知していたが、ドリーがわざわざそんな分かりやすい嘘をつくということに違和感を覚えてもいた。


「お姉さま方が裁かれることなんてないでしょう……私がこんな行動に出るなんて、きっと誰にも予想できなかったはずですもの」

「そうね。確かにこんなこと誰にも予想できなかったわ。私たちには情状酌量の余地があるかもしれない。当然、あなたにも」


 実験都市の運営側が情報の提供を怠った結果、事件が起きたのだから、客観的に見れば確かにドリーの言葉には道理があると言えなくもない。

 しかし、とセレは思う。

 そんな詭弁で自分の命が救われたとして、それで一体何になると言うのだろうか?

 こんなことになってしまった以上、これから先も情報部の仕事を続ける訳にはいかないだろう。

 ヒューマノイドは人間と違い、ある程度明確な意味と理由を持って生み出される。

 であるならば、その生きる理由を失ったヒューマノイドは、これ以上生きていても意味がない。延命は無意味なのだ。


「……私は、どうすれば」


 裁かれることも死ぬことも許されず、ただ生きろと言われても。

 そんな途方に暮れたような声がセレの口から漏れる。


「あなたには、普通に街で暮らしてもらうわ」

「……ああ……そう、いうことですか」


 ある種のイベントのように、毎年特定の区で行われている催し。

 表向きはヒューマノイドと人間が同じ環境で暮らす実験とされているが、実際は動物園の檻の中にいる動物の役割に近いそれ。

 近隣の住民から好奇の目で見られ、それに笑顔で手を振り返すだけの仕事だ。

 ……お姉さまも中々に残酷な罰を思いつくものだ、とセレは心の中で呟いた。


「あっ、ちょっと待って。勘違いしないで欲しいんだけど」


 セレのそんな心中を察したように、慌ててドリーが付け加える。

 何が勘違いなのか、とセレはドリーの顔を見上げた。


「あなたはヒューマノイドとしてではなく、人間として街で暮らすのよ」

「……はあ?」


 セレはぽかんと口を開いた。

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