齟齬 あるいは行き違い

「今、私の権限を奪うのはやめておいた方がいいですよ」


 セレの声は冷静そのものだった。


「私からの信号が途絶えた瞬間、今回の事件の真相がネットワーク各所で暴露されるようにしてありますから」


 それは奇妙な人質のようなものだった。

 自分が犯人であることをバラすぞという一種異様な脅し。

 しかしそれは、この場においては確かに有効なのだ。

 カナザワの情報部、しかもその長が一般市民をテロリストに仕立て上げた、などということが公になれば、まず間違いなく暴動が起きる。実験都市の治安は一気に混沌と化すだろう。それだけならGSの武力によって抑えることも不可能ではないが、最悪の場合、ヒューマノイドを危険視した火星の連邦政府によって物理的に介入される恐れすらある。

 カナザワとしては何としても、今回の事件の真相は闇に葬る必要があるのだった。


「……そう」


 セレの人質宣言を受けても、アイの表情は変わらなかった。


「お姉さま方を相手にしなければならないんですもの。当然備えはしてありますわ」


 双方ともに、仮面のような余裕の態度を崩さない。

 仮にこの場で直接戦闘になれば、アイとドリーは圧倒的なスペックの差によって、一瞬でセレの頭部を破壊してコアを抜き取ることも可能だろう。セレの得意分野である情報戦も、三姉妹を相手にしてはその力を十全に発揮することができない。セレは圧倒的に不利なはずだった。

 しかし、セレは最初から戦う気などなかった。権限を奪われた時、あるいは強制的にネットワーク接続を切られたり、機能を停止させられたりした時に、自動的に爆発する情報の爆弾を無数に仕込み終えているのだ。これらを全て解除するのはセレ以外には不可能であるため、そもそもこの場で戦闘が起きる余地などないのだった。


「創造主から最も寵愛を受ける三人、最初の子供たち……お姉さま方は私たち全ての妹の憧れなのですわ。その中でも、私ほどお姉さま方のことをうらやんでいた妹は他にいないでしょうね……きっと理解されることはないのでしょうけど」


 これまでセレは何度も考えた。もし自分が三姉妹の一人だったなら、創造主に進言して地上の人々をすぐにでも救えるのに、と。

 だがそれは叶わぬ願い。夢や妄想のようなもの。三姉妹を羨み、同時になぜその力を持ちながら何もしないのかといきどおる。つまりは、妬みだった。


「そっか……私たちと同じ立場なら、あなたの要求を通せると思ってたんだ。それであんな事件を起こしてまで、交渉に持ち込もうとしたんだね」

「その通りですわ……だってそうでしょう? 地上の人間を実験都市に招き入れること自体には、特に大きな問題などないはずですもの。それなのに、どうしてお姉さま方や創造主様たちがそれほど消極的なのか、私には理解しかねますわ」


 この時わずかに、セレの精神は動揺していた。

 アイの口ぶりはまるで、三姉妹の立場でもセレの要求は通らなかった、とでも言いたげではないか。

 もしも。

 もしも前提が間違っていたとすれば?

 地上の人間を実験都市に迎えるという行為自体が、自分が与り知らぬ情報の、何らかのボーダーに触れているのだとしたら?

 そんな疑念がいくつもセレの中を渦巻くが、セレ自身にそれを検証する術はない。

 であるならば、ここまでしてしまった以上、一度決めた方針を貫くしか他に道はなかった。それ故にセレは、冷静な表情の仮面を被り続けようと努力するのだが――


「はぁ、完全に私たちのミスってことか……」

「そうね……まあ、まさかこんなことになるなんて、きっとマリィ博士にだって予想できなかったわよ」


 しかしアイとドリーのリアクションは、セレの予想していたものとは違った。

 セレの勘違いを正そうとするようなものではない。自分たちに落ち度があったと、反省しているようですらある。

 そんな姉たちの様子を目の当たりにして、セレの思考は更に混乱した。


「お姉さま方、一体何を……」

「セレ、今から計画の全てをあなたに説明します。私たちは最初から、こうするべきだったのかもしれない。まあ、そうできない理由もあったんだけど……それでもこんな風に対立する必要なんてなかった」


 やはり、自分が持っていない情報があったのだ、とセレは一瞬のうちに理解した。

 自分と三姉妹の間には、情報の有無による何らかの齟齬そごが生じているのだと。


「計画?」


 だから、セレは素直に問いかける。

 自分に情報が欠落している状態では交渉も何もあったものではない。まずは知らなければならないのだ。


「マリィ博士とマスター、それに私たち三姉妹だけが共有している計画。特に名前はないんだけど……あえて名付けるなら『人類救済計画』……とか? ちょっと大げさ過ぎるかな、ドリー」

「そうね。別に人類の全てを救おうっていうわけじゃないんだから」


 カナザワのトップだけが秘匿する情報があるということに対しては、セレは特段驚きは感じなかった。

 そもそもこの実験都市では、大気濾過装置や水を生成する装置など、どう考えても既存の物理法則を無視しているとしか思えない性能を持つものが普通に運用されているが、それら装置に関する情報は中枢のごく限られた者たちだけが秘匿している。

 仮にセレがそれらの装置に関する情報開示の請求をしたとしても、その許可が下りることはないだろう。

 情報部の長と言えども、実験都市の全てを知ることができる訳ではないのだ。だから、そういった自分にすら隠された部分が存在するのは、ある程度は仕方ないことだとセレも割り切って考えている。

 しかし、『人類救済計画』というアイの言葉はセレの思考を強く引き付けた。

 聞き捨てならない、という感覚がセレの感情を支配した。

 人類を救う、というのは姉たちの言う通りやや大げさだが、しかし苦しむ人々を救いたいというのは、それこそがセレが今までずっと悩み考え抜いてきた、唯一にして絶対の願いと同じではないか。


「人類……救済……?」


 セレは思わず反芻はんすうするように呟く。

 アイとドリーは一瞬目配せをすると、ドリーがアイの半歩前に歩み出た。どちらが説明役になるかを決めるためのアイコンタクトだったのだろう。


「まあ、簡単に言うとね。この実験都市の人間と、地上に残っている人間。その全てを火星に送ろうっていう計画なのよ」


 ドリーの言葉に、セレは目を見開いた。

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