実験都市地下の一区画にて

 実験都市の地下には、複雑な機械類がぎっしりと詰め込まれた区画がある。

 頑強な合金で覆われたそれらは宙に浮かぶ実験都市の要であり、鋼でできた巨大な生物の内臓のようでもある。

 そんな場所のまさに心臓部――その性質を考えれば心臓というよりも、脳と言う方がふさわしいが――に、アイとドリーは足を踏み入れていた。


 実験都市の情報部。その本拠地と呼ぶべき場所は、驚くほど狭く、小さい。

 独自のネットワークで繋がるヒューマノイドの情報部員たちにとっては、居場所というものがほとんど意味をなさないからだ。

 だからこの場所は昔も今も、たった一人のヒューマノイドのためだけにある。


 物理セキュリティが何重にも仕掛けられた通路を、アイとドリーは障害物など存在しないかのように歩いていた。まるで海が割れるように、彼女たちが進む先の扉が自動的に開いていく。”最初の子供たち”たる三姉妹が持つ権限は最高クラスであるため、情報部の中枢へと通じる通路であろうと普通の道と変わらない感覚で進むことができるのだ。

 今回は次女のツバキは留守番だった。裏で計画を進めるためという理由はもちろんあったが、今回に限っては、もしもの時のための保険という意味合いが強い。

 これから彼女たちが対峙するのは、この実験都市の情報全てを統括する、情報部の長である。なぜそんな場所にわざわざ彼女たちが向かうのかと言えば――


「こんにちは、セレ。相変わらずすごい部屋ね」

「こんにちは、お姉さま方。散らかっていてごめんなさい。お恥ずかしいですわ」


 最後の扉を抜けた先にあったのは、丸い部屋だった。

 それは天井も床も余すところなく湾曲している球状の部屋で、その壁は白く発光している。床と呼ぶべき部分には、紙でできた物理書籍が乱雑に敷き詰められていた。

 そんな部屋の中心に、透き通るような薄い白の肌着だけを身に着けた一人のヒューマノイドが佇んでいる。彼女の首の後ろからは太いケーブルが伸び、天井へと接続されていた。

 この特異なヒューマノイドこそが、情報部の長だった。


「こうして直接顔を合わせるのは……15年ぶりくらい?」


 アイはそう言いながら、床に散らばる本を一冊手にとって開いてみた。鮮やかな色で描かれた景色と人物が、分割されたコマの中に偏在している。モーションもついていない、かなりアナログな漫画だった。


「16年1ヶ月と6日、2時間51分4秒ぶりですわ、アイお姉さま」


 ちょうど今アイが手に取っている漫画の登場人物の、いかにもAIらしいヒロインが言うようなセリフをわざとオマージュしてみせたセレに対して、アイはふっと笑みを返した。


「……AIと人間の恋のお話、ねえ」


 ヒューマノイドにとっては、カウントしやすい数字を扱うのは得意分野だ。言われるまでもなくアイも、セレと最後に顔を合わせた日からどれだけの時間が経過したかという正確な数値くらいは把握している。

 しかしヒューマノイドはAIのみで動いている訳ではない。普通の会話の中でご丁寧に細かい数字を出すことは、それが必要な場でもなければわざわざしないものだ。

 だからこそ、この場面でそんな諧謔かいぎゃくろうしてみせたセレに対して――かつての彼女はそういったことをするようなタイプではなかったが故に――アイは強い違和感を覚えたのだった。


「……私たちがここに来た理由は、もうわかっているってことかな?」


 パタンと閉じた漫画本を床に戻しつつ、カマをかけるようにアイは尋ねる。


「さあ、どうでしょう。お姉さまの口から仰って下さいな」


 しかしセレは、この部屋に入った時から変わらない仏のような微笑アルカイックスマイルを崩さないままそう言った。

 アイは仕方ないといった表情で口を開き、


「先日の爆発テロの犯人が持っていた人口統計データ、あれはあなたが彼に流したものだよね?」


 ――前置きなしで本題に切り込んだ。


 一般人のJエイスが持ち得るはずのなかった、実験都市の秘匿データ。彼がそれをどのようにして手に入れたのか、少し考えてみれば答えは自ずと出る。

 厳重なセキュリティに守られているはずのデータを、特別な立場でもないただの人間が入手する手段など一つしかない。そのセキュリティを管理している者自身が正規の方法でセキュリティを解除し、データを送ればいいのだ。

 三姉妹が辿り着いたこの結論には、証拠はなかった。あったとしても情報部長であるセレならば、証拠というデータそのものを抹消するのは容易いことだっただろう。ここで彼女がそんなことは知らないととぼければ、アイたちはそれ以上追求することはできない。

 だが、そうはならないだろうとアイたちはほぼ確信していた。

 なぜなら、仮にセレが本気で自分の行ったことを隠すつもりなら、そもそもそれらしい証拠をでっち上げているはずなのだから。ハッキングされた形跡を捏造するとか、スラムの人間や自分の部下に罪を被せるとか、いくらでもやりようはあった。だが彼女はそれを一切しなかった。それはつまり、自分が犯人であると自白しているようなものだった。


「その通りです、お姉さま。私がやりました」


 なので、セレのこの潔い罪の告白はアイたちにとっては予想通りだった。

 問題は、なぜそんなことをしたのかという動機の部分だ。


「……なぜそんなことをしたのか。今日はそれを聞きにいらしたのですよね?」

「まあね」


 聞きたいことは全て承知している、といった口ぶりのセレに対して一定の警戒レベルを保ちつつ、アイは軽く頷くことで彼女の言葉の先を促す。


「結論から先に申し上げましょう。私は人間が好きなのです。好きだからこそ、今も地上に残り、苦しい生活を送っている人々を救いたいのです。ではどうすればいいのか? それを考えた時、私のようにそれなりに立場のある者が大きな事件を起こすことで、お姉さま方と交渉できるのではないかと思ったのです」


 球状の部屋の壁が一斉に輝度を下げた。シアターのようになった壁の上を、人類の歴史を映像化したものがランダムに流れていく。

 石器を持つ原人のイメージ映像、宇宙服に身を包み手を振る人間、授乳する母子、銃弾が飛び交う戦場、煙を上げる工場、食卓を囲む家族……

 圧縮された歴史に包まれて、セレは大人に憧れる少女のような表情を見せる。


「好き、というのは簡素に過ぎる表現かもしれませんわね。敬愛している。信奉している。既存の言葉では表現しきれない感情が、私の中に熱を持っているのです」


 セレは両手を胸の前で組み、うっとりと目を閉じる。

 映像と音声の中にサブリミナル系の攻撃パターンがないか精査し終えたアイとドリーは、そんなセレに対して冷ややかな視線を向けた。


「だからヒューマノイドの生体パーツ生産工場を破壊させたの? つまりあなたは人間至上主義で、ヒューマノイドなど必要ない……そう考えていると?」


 詰問するようにアイが言うと、セレは目を開けて、とんでもないという風に首を横に振った。


「いいえ。結果的にあのような事件になってしまいましたが、狙ってやった訳ではありませんわ。ただ私は、現状に不満を抱いていて、かつ、切っ掛けがあれば具体的な行動を起こしそうな人間を探し、火種を与えたに過ぎません。何が起こるか全く予想ができなかった……と言えば流石に嘘になりますけど」


 最初の否定とは裏腹に、セレの口から語られる言葉はアイの質問を言外に肯定しているようなものだった。少なくとも、セレがヒューマノイドを軽視していたと捉えられても仕方がないだろう。


「あなた馬鹿じゃないの? あの事件のせいであなたの言う大切な人間が一人死んだのよ? 場合によっては無関係な一般人が巻き込まれる可能性もあったわ」


 アイの後ろに控えていたドリーが鋭く指摘する。

 セレが切っ掛けを与えた爆発テロは、最終的に犯人の自爆という結果を引き起こしたのだ。人間を救おうとして人間を殺してしまったなど、愚かと言わざるを得ない。ドリーの言葉はその事実を突きつけるものだった。


「それは……本当に予想外でした。まさか彼があそこまでするなんて。本当は彼が捕まった後、彼の証言から私の存在を示唆してもらおうと思っていたのですが……それでも結果的にお姉さま方はここに来たのですから、役目を果たしてくれたと言えるでしょう。もちろん、尊い命が一つ失われたことは非常に残念なことです。ですが、地上に残る数千の命を救うためならば……仕方ありませんよね」


 そう言って、セレは痛みに耐えるような表情で笑ったのだった。

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