滅びの願い
生き埋めになったストー・ハーカの信者たちの救出作業は滞りなく進み、予定通り三日間でその作業は終わった。
大気濾過装置を運び出した後は地下空間を爆破して瓦礫で埋め尽くし、地下深くに作られていたという工廠から兵器を運び出せないようにした。
ユカリが冗談交じりに言っていた通り、実験都市が攻撃されるという懸念は地震によって未然に防がれ、自動的に地面の下へと埋葬されてしまったのだ。
それから約一週間後、ストー・ハーカの信者たちは火星へと旅立った。
意外なことに、原理主義派と呼ばれていた信者たちは全員火星に向かった。自分たちを救出するために実験都市から提示されたという条件を聞いた彼らは、副代表の男以外は誰一人として逆らうことなく、それに従うことに同意した。
その副代表の男もまた、数日間の説得で比較的あっさりと折れた。
彼らは背中を押されるのを待っていたのかもしれない、と教団代表のクラモチは言っていた。過酷な生活に疲れ、しかし後には引けず、それ故に誰かを敵視することでしか自分が地球に残っている意味を見出だせなかったのだろうと。
地球に残ったのは、難民キャンプでの暮らしの中で他の住民との絆を深め、別れることを拒んだ少数の信者だけだったらしい。
そしてその間、実験都市においても密やかに事態は動いていた。
「実験都市の移動は当分の間、見送ろう」
鶴の一声だった。
マリィ博士のその宣言によって、火山噴火の危険性を避けるために実験都市を移動するか否かという議論は即座に決着してしまった。
アイ、ツバキ、ドリーの三姉妹は一瞬唖然とした表情をしたものの、すぐに気を取り直してその決定を関係各所へと伝える。結局の所、最高責任者であるマリィ博士かユカリ、あるいはマユの決定こそが最優先されるのだ。それまでのヒューマノイドによる議論はブレインストーミング的な意味合いの方が大きい。
「色々と事情が変わってきてね」
そんな風に、少しだけ申し訳無さそうに言うマリィ博士は、これまで三姉妹の話し合いにはなるべく口を挟まないという方針だった。
それなのに突然そんな決断を下したということは、何か理由があるのだろう。三姉妹としてはその理由を知っておきたい。しかし出過ぎた質問などするべきではないかもしれない……。そんな葛藤が目に見えるような三姉妹のために、マリィ博士は言葉を付け加えた。
「やっぱり例の計画を前倒しにしたいと思っているんだ」
「それは……あのクラモチという男と会談した時に何かあったということですか?」
思わず質問したのは、三姉妹の代表たる長女のアイ……ではなく、マリィ博士によって作られた三女のドリーだった。
ドリーが自分の創造主であるマリィ博士に対して抱いている感情は、(自分では完璧に隠せていると思っているらしいが)他の姉妹にも容易に察せられるほど大きなものだった。
本当なら実験都市に敵対的なストー・ハーカの代表と会談などして欲しくなかったし、どうせするなら自分も付いていきたいと思っていたくらいで、会談で何が話されたかについて知りたいという欲求は他の姉妹よりずっと強かったのだ。
「彼にはコアの秘密を教えてあげた。これはできればやっておきたかった、くらいのことだったんだけど、ちょうどいいと思ってね。技術的な話はしていないけど、まあ実験都市ではそういうことをやっていた程度の話を火星に持っていってもらおうと」
マリィ博士のこの発言には、さすがに三姉妹全員が絶句した。
それもそのはずで、常に隣にいるユカリですら、マリィ博士がクラモチにコアの話をするとは思っていなかったのだから。三姉妹からすれば「トップシークレットを漏洩させるなんて、この人は一体何を考えているんだ」という話になる。
コアの中にあるワームホールにアクセスし、その先にある何かから望んだものを取り出す。この技術を確立するために実験都市は全てのリソースを注ぎ込んできた。
かつてマリィ博士が【願いシステム】と名付けたものの発展型。人の願いを現実のものとして出力する装置。それこそが、ヒューマノイドの研究という影に隠れて……いや、ヒューマノイドの力を借りることでようやく手が届いた、本命の研究だった。
未だに『不死』や『世界の改変』などといった概念的、超越的な願いを現出するという実験については一度も成功していないが、それでも『水』や『清浄な空気』、『電気』に『栄養豊富な土』までコアから持続的に取り出すことに成功し、その装置を量産する段階にまで進んでいる。このおかげで実験都市は火星政府から全ての援助を打ち切られても、自給自足で何一つ不自由なく暮らせているのだ。
逆に言えば、現在の地球においては、そんな奇跡とほとんど変わらないような技術に頼ることでようやく、人間が人間らしく生きることができるということでもある。
「この間の地震、気象観測班が予兆を察知できなかっただろう? 危険度4もの地震の予兆を見逃すというのは変な話だと思わなかった?」
マリィ博士の言葉を聞いて、それはまあ確かに、と三姉妹は頷いた。
彼女たちは気象観測に携わったことはないが、そのノウハウはすぐに引き出せる知識として膨大なデータベースの中に共有している。大昔とは違い、地震を事前に察知する技術は飛躍的に発展しているため、普通ならあれほど大きな規模の地震が起きるまで一切感知できないというのはほぼあり得ない話だった。
「恐らくあれは願いによるものだと私は考えている。半世紀以上前の滅びの願いが、今も継続しているんだろう」
マリィ博士の推論はこうだった。
誰かがコアに願った滅びはまず、トラッカーという異物を生み出し、散発的に人間を攻撃した。その後、願いは地球環境の悪化という形に発展し、栄養枯渇現象という人知を超えた危機を生み出した。それから急速に地球を生物が生存できない環境へと作り変えてゆき、数十年が経過する。
普通ならとっくに人類は滅びているはずだった。しかしそれでもなお地球上にはしぶとく人間が生き残っていた。そのため滅びの願いは次のステップへと進む。すなわち、より凶悪な災害を巻き起こし、完全に人間を消し去ること。唐突に訪れた危険度4の地震はその先触れに過ぎないのではないか……。
「そのお、滅びを願ったっていう人間を特定して殺害すればあ、これ以上事態は悪化しないんじゃないですかあ?」
のんびりした声で物騒な提案をするツバキに、しかしマリィ博士は首を横に振る。
「一度コアが叶えた願いは、その原因となった人間の生死と一切関係なく継続するはずだ。大昔から絶えることなくコアが採掘できている現状を見れば、ほぼ間違いない。……案外この滅びを願った者は、一番最初にトラッカーに撃ち殺されているかもしれないな」
400年以上前から続いている原理不明なコアの出土は、それこそコアへの願いなくして実現できる現象ではないだろう。
何かを願った人間は、ただトリガーを引いただけに過ぎないのだ。銃を撃った人間をその直後に殺そうとも、放たれた弾丸が止まらないのと同じように。
「だとしたら尚更、急いで実験都市の移動を開始するべきでは……!」
マリィ博士の話を聞いたドリーは慌ててそう提案したが、博士は落ち着いた様子でそれを否定する。
「恐らくそれは無駄な足掻きというやつになるだろう。私の予想では、そろそろ雨期が来る。どこに移動しても無駄さ。滅びの願いは半世紀以上もかけてゆっくりと進行してきたから、今すぐにどうこうなるってことはないと思うけど……逆に言えば今しかないんだよ。例の計画を実行するタイミングはね」
それは根拠のない予測だったが、計画を実行するタイミングが今しかないというのは強い説得力を持った話でもあった。
滅びの願いによる天災は物理法則を無視する。予測ができない。つまり先日の予測できなかった危険度4の地震は、ついに滅びの願いが次のステップに進んでしまったということの証明となり得る。それならば、動くべきは今だ。
「……分かりました。急ぎ、計画を進めましょう」
三姉妹を代表してアイがそう答えると、ツバキとドリーは指示を待たずに必要な手配を開始した。
ここで余計な押し問答をしない優秀な妹たちに微笑みを向けつつ、アイは再びマリィ博士に向き直る。
「しかしその前に、片付けなければならない事案がひとつあります」
「ああ、そうだったね。私たちが行こうか?」
「……いえ。ヒューマノイドのことは、ヒューマノイドの手で」
そう答えるアイの瞳は、高性能なレンズの奥に確かな決意を秘めていた。
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