畑の土
そう、分かっていたのだ。
かつてこの滅びゆく地球に残り、星の終わりと運命を共にすると誓ったありし日の信念など、とうに消え去ってしまっているということくらい。
そもそも、先代たちがその決意をもって地球に留まり過酷な生活を始めてから十数年後にクラモチは生まれた。
親から言い聞かされてきた信仰に殉ずるという理想はどこか遠い夢物語のようで、まるで現実感の湧かないまま、親と子であるというだけの理由で教団の代表という立場を継ぎ、皆の生活を守るためだけに己の役割を演じてきた。
ヒロイックな破滅願望を抱いてこの星に残った者たちは、やがて現実を見る。
空が七色に輝き、大地が割れ光が溢れ、そうして一思いに星と一緒に人生の終わりを迎える……そんな美しい最期など、どこにもなかったのだと。
大気汚染は日毎に増し、食事以外ではマスクを外すこともできない。昼夜を問わない地震によって慢性的な寝不足に陥り、食事は配給の決まりきったものだけ。病気や怪我をしても年に一度の星間貨物輸送船が来るまでは、配給された薬と常駐の医療ロボットが処置できる範囲でしか治療を受けることはできない。
唯一の娯楽は、カナザワの人工衛星が中継して火星へと接続されているネットだけだった。ネットの世界に逃避し続けるだけの人生なら、こんな過酷な環境にいる必要など全くない。火星で人間的な生活をした方が何倍もいいに決まっている。
火星における日本政府は、地球に残った人々がいつ心変わりしてもいいように、受け入れ体制を整えていた……少なくとも人道を守らなければならないという立場がある以上は。
それゆえに、この数十年の間に一人、また一人と、星間貨物輸送に乗ってこの星から出ていく者たちは増えていった。それはストー・ハーカという宗教団体とは無関係な、個人的な理由で地球に残った者やその子供たちだったが……彼らもまた過酷な現実に打ちのめされ、新たな現実と向き合ったのだろう。
しかしストー・ハーカという枠組みは、それに所属する人間の逃亡を妨げ続けた。
逃亡者がゼロだった訳ではない。しかし火星へと逃げた者は後ろ指をさされ、地球に残った者の結束を強める燃料として火にくべられてきた。
ネットワークによってつながるこの世界において、もともとプライベートアカウントまでさらけ出していた同志たちにとっては、火星に逃げようともネット上での追跡を逃れるのは至難の業だった。
ああはなりたくない、という気持ちがますます彼らを地球に縛り付ける。
苦痛のために苦痛に耐え忍ぶ日々が、これまでずっと続いてきたのだ。
「……わかった」
クラモチは重々しく頷いた。
滅びゆく地球に残るという選択をした者たちを説得し、火星へと連れて行く。
それはきっと難しい仕事になるだろう。
だがしかし、彼は、苦渋の決断というほど苦い表情をしている訳ではなかった。
ただそこには一言では言えないような感情が深く渦巻いていた。
「決まりだね。次の輸送船が来るのは半年後くらいだったかな? それまでに……」
「いや、輸送船を待つ必要はない。火星には個人的な
「へえ、それはなんとも……」
マリィ博士は素直に感嘆の声を上げた。
いくら技術が発展してコストが下がったとは言え、火星と地球を往復するためには今でも莫大な費用がかかる。政府からの支援が年に一度しか来ないのも、予算の都合があるためだ。
情か恩義かは知らないが、
彼らがコアを信奉する者であるということと、火星ではコアは産出されないという事実などを瞬時に天秤にかけて、まあ放っておいても問題はないだろうとマリィ博士は結論付けた。
「素晴らしいことだね。それで救出作業だけど、重機の搬入なんかを含めると……そうだな、長く見積もっても三日くらいで終わると思うよ」
「そうか……よろしく頼む」
もう一度深々と頭を下げ、そうして顔を上げた時にはもう、クラモチの表情は緊張の糸が切れたかのように気の抜けたものになっていた。
飛行船はゆっくりと廃墟から遠ざかり、もと来た航路を逆戻りして実験都市下の集落へと向かい始める。
「君をピックアップした辺りで降ろせばいいのかな? それともキャンプの近くまで送ろうか?」
「キャンプから少し離れた場所の方がいいだろうな。今日は無理を聞いてもらった。ありがとう」
「なに、こちらも憂いが一つ減るんだ。お互い様さ……戻るまで少し時間もあるし、肩の力を抜いて雑談でもしようか?」
マリィ博士は座席の脇から飲み物のボトルを取り出すと、ひょいと放り投げた。
ボトルは放物線を描き、クラモチは危なげなくそれをキャッチする。
「そういえば、個人的に聞いてみたいことがあったんだが……」
クラモチは水の入ったボトルを両手で弄びながら口を開いた。
「なにかな」
「今、キャンプでは水を生み出す機械の話題で持ち切りなんだ。あれは実験都市が持ってきたものだろう? 一体どういう仕組みになっているんだ?」
「ああ、あれね。あれはコアを使った装置なんだけど」
何気ない調子で明かされた事実に、クラモチの目が驚愕に見開かれた。
マリィ博士の隣で、ユカリが「いいんですか」と小声で話しかけている。
「いいんだよ、ユカリ……そして、あれだけじゃない。大気濾過装置と呼ばれているものも、同じくコアの力によって動いている」
「……コアだって? コアを兵器の演算装置として使っていたという話なら聞いたことがあるが……ああ、その兵器を作っていたのもカナザワだったか。でも演算装置なら既製品の方が性能が高いから、わざわざコアを使う必要性はないという解説を読んだことがある気がするけど?」
さすがはコアを信奉する団体の代表というべきか。かなり昔のことなのに、そういう情報は一応は仕入れているらしい。
混乱している様子のクラモチを楽しそうに眺めながら、マリィ博士はどう説明したものかと思案する。
「おや、案外詳しいんだね。まあそうだねえ……私は最近、畑仕事が趣味なんだけど……畑仕事、君はやったことあるかな?」
「畑? いや……畑というものは知っているが、そもそもここでは植物は育たない」
突然の話題の転換にクラモチは面食らいながらも、律儀に応えようとする。
「あっ、そうか。そうだった。君は地球がこんな風になった後に生まれたのか……すまない、どうも時間の感覚がアバウトになってきていてね」
「……それで、コアと畑仕事にどんなつながりが?」
「うん。言ってみればコアは畑の土につながっているようなものなのさ」
「ふむ……?」
クラモチは頭の上に大きな疑問符を浮かべながら、探るような目つきでマリィ博士の顔を見つめた。
恐らく、たとえ話なのだろう、ということは分かる。しかしマリィ博士の話を聞いていると、どうにも煙に巻かれているように思えてならない。
そんな疑念を抱いている間にも、マリィ博士の説明は続く。
「畑に種をまくと、色々な野菜ができる。じゃがいもやスイカ、コーンにオクラ……それらは同じ土の栄養を利用しているのに、全く違う成果を生み出す。不思議だよね。まるで畑の土には、全ての材料が最初から備わっているみたいだ」
「ちょっといいか? すまないが、僕は学がないからそういう比喩表現はよく分からないんだ。もう少し具体的に説明してくれると助かるんだが……」
話の途中で割り込んだせいでユカリが猛禽類のような目で見てくるが、クラモチはそちらからは目を逸らしつつ言うべきことを言った。
単なる雑談とは言え、装置にコアが使われていると聞いた後ではこんな風に誤魔化される訳にはいかない。実際の信仰心は毛の先程度しか無いものの、クラモチは一応コアを崇拝する団体の代表を長年務めてきたのだ。もちろん、単純な好奇心もある。
「つまり、コアはあらゆるものに変化する可能性につながっているんだよ。かなり昔からコアの中心には小さな気泡が観測されていたが、これは正確には気泡ではない。普通の手段ではアクセスできない極小のワームホールなんだ。このワームホールを通じて、我々はその可能性に形を与え、様々なものを取り出しているに過ぎない」
「博士……それは三姉妹にしか共有していないトップシークレットですよ。この男にそれを明かすということは……冥土の土産というやつですか?」
「こらこら、物騒なことを言わないの。まあ強いて言えば……未来の可能性のため、かな?」
一瞬不穏な空気が流れたが、クラモチにはマリィ博士の説明のほとんどが理解できていなかった。
理解できないというより、信じられないと言った方が正しいかもしれない。
コアの中にワームホールがある? その先には何にでもなれる可能性がある?
突飛に過ぎる。まるで出来の悪い即興の作り話だ。
しかし……もしもそれが本当だとしたら。コアに祈りを捧げることで奇跡を起こすという宗教もまた、正しいものだったということにならないだろうか?
そんなことはありえない、と教団の代表という立場を忘れてクラモチは自答する。
クラモチには現実が見えている。父母が教えてくれた、かつて起きたという奇跡の数々は、信者たちを騙すための甘い嘘に過ぎなかったはずだ。
だがしかし、現に実験都市は、どこにもつながっていない小さな装置から無制限に水を生み出して人々の生活を救済している。まるで神話の奇跡のような御業だ。
このためキャンプで暮らす者の中には、空に浮かぶ実験都市を神か何かのように崇める者すら現れ始めていた。原初の山岳信仰や太陽信仰のようなものが、今まさに誕生しつつあると言えるのではないだろうか。
ストー・ハーカの大本である
クラモチが一人悶々と思い悩んでいるうちに、いつの間にか飛行船は目的のポイントに到着していた。
「それじゃ足もとに気をつけて……そうそう、さっき話したことだけど」
「……あ、ああ。コアのことか。もちろん誰にも話さないと約束する」
「んー、そうじゃなくてね。火星に着いたら話しても構わないよ、と」
「えっ」
「秘密が秘密である時間は終わったのさ」
意味深なマリィ博士の言葉を残して、飛行船は空高く飛び上がっていった。
「……考えるのは、後だな。今は自分のやるべきことをやらないと……」
途方に暮れかけていたクラモチはそれを全て棚の上に上げることで、未来の自分へと判断を託すことにした。
◆
「……まさか全部話すとは思いませんでしたよ」
「あんな地震もあったことだしねえ。たぶん、そろそろ雨期が来ると思うんだ」
「いよいよ例の計画を始める時が来たということですか……」
「まあ、いつがその時なのかっていうのは、やっぱり曖昧なものなんだけどね。地球と宇宙の境目みたいにさ」
「きっと劇的な終わりなんてないんでしょうね」
「だろうね。でもまあ、もしかしたら……それに近いものは見られるかもしれない」
「そうですか……少し楽しみですね」
「不謹慎ではあるけどね、実は私もワクワクしてる」
「……」
「……」
「……今の、なんか影の黒幕の会話みたいでしたね?」
「ふふっ、私もそう思った」
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