形式的な問答

「盗聴の心配はないよ。この船は元々、別の用途で作ったものでね。セキュリティは万全にしてある」

「それはよかった」


 心底ホッとしたという様子のクラモチは年相応の若者のように見えた。

 しかしそんな幼さの残る顔は束の間のこと、すぐに彼は表情を引き締めて、カナザワの代表たる二人の女性と向かい合った。


「寄り道をしてしまったが……本題だ。あなたたち実験都市に頼みがある」

「聞くだけ聞こうか」


 マリィ博士が促すと、クラモチは一瞬窓の外に目を向けてから続けた。


「生き埋めになっている仲間たちを助けて欲しい」

「……」


 少しの間があった。

 マリィ博士はクラモチの言葉の続きを待っているようだったが、彼の願いはそれでおしまいだった。そこから先に続く言葉はない。これまでのお喋りが嘘だったかのように、クラモチは簡潔に要望だけを述べると口を閉ざして、自分の足元に視線を落とした。


「うーん……普通だね。予想通り過ぎるなあ」


 生き埋めになっている信者を助けること。

 それがクラモチの要望の全てだと捉えたマリィ博士は、拍子抜けしたように呟く。


「切迫感がない気がするんだよね。仲間が生き埋めになっているにしてはさ」

「……生き埋めと言っても、出入り口を塞がれただけだ。大気濾過装置のおかげで空気の心配はないし、食料や水も備蓄があるらしい」


 らしい、と言ったクラモチの言葉の抑揚にマリィ博士はピクリと反応する。

 やはりどこか他人行儀だ。身内の危機について話している雰囲気ではない。


「ひょっとして、本当は助けたくないんじゃないの? 代表という立場がなければ、むしろ見殺しにした方が都合がいいとすら思っているとか……違う?」


 クラモチは足元を見つめたまま答えない。


「君がちょくちょく私たちに送ってきていた抗議文さあ、あれって原理主義派の人たちの顔を立てるためにやっていたんでしょ? 毎回コピペでやる気がないなあとは思っていたけど、今日君の話を聞いて合点がいったんだよね」


 クラモチは答えない。


「君の心は自由主義派の方にある。でも君は教団の代表で、立場上は中立だからどちらの要望にも等しく応えなければならない。どちらを贔屓ひいきすることもできないし、かと言って生き埋めになっている人たちを無視することもできない」


 やはりクラモチは答えない。ただ黙ってマリィ博士の言葉を受け止めている。


「信者たちを救うため、本来であれば敵視しているはずのカナザワのトップにすら頭を下げて助けを求める……そういう体裁だけを整えれば、後はどうでもよかったんじゃない?」

「……それは違う」


 しばらく言われるがままに黙っていたクラモチは、そこでようやく口を開いた。


「例え相手が誰であろうとも、死に瀕している者がいれば救おうとする。それがというものだろう」


 そう言ってクラモチは顔を上げ、マリィ博士を見つめた。

 瞬間、それまで退屈そうにしていたユカリの目がギュンと音を立てるように素早く動いて、クラモチを捉えた。それは明確な怒りと敵意を込めた鋭い視線だった。

 それはつまり、今のクラモチの発言が、機械の身体を持つマリィ博士への当てつけであるように聞こえたから……すなわち今の彼の発言の後に、「人間ではないあなたには理解できないかもしれないが」と続くようなニュアンスを読み取ってしまったからだった。

 これは完全にユカリの過剰反応というか、クラモチが知らずに地雷を踏んでしまったというだけの話だったのだが……。

 ゆっくりとユカリの口が開く。


「あなたたちのような迷惑をかけることしか能のない奴らのために、わざわざあの装置を融通してくれたのは誰だと思ってるの? これまで散々世話になっておきながら暴言を突きつけ続けた挙げ句、困ったら情に訴えるつもり? カナザワもずいぶんと舐められたものね」

「こらこらユカリ、一応その装置の件は公然の秘密というかだね……」

「おっと、そうでしたね。失礼しました」


 突然ユカリに噛みつかれたクラモチは訳が分からないといった様子で狼狽うろたえていたが、彼女たちの発言を反芻はんすうするうちに何かを理解したようだった。


「ああ……やはり大気濾過装置を流してくれたのはあなただったのか。もしかしたら、とは思っていたが……今更だが礼を言わせてくれ。ありがとう」

「さて、そんな事実はどこにも記録されていないなあ……何のことか分からないけど、とりあえずそのお礼の言葉は受け取っておくとしようかな」

「そうしてくれれば幸いだ……それと、これまでの抗議文についても個人的に謝罪したい。マリィ博士の言う通り、あれは原理主義派の者たちにせっつかれて送っていたものだ。教団の代表としては公式なものだから取り消すことはできないが……」

「ああ、それは別にどうでもいいよ。元から気にしてなかったし」


 クラモチは、鷹揚に応じるマリィ博士の横で不機嫌そうに自分に視線を突き刺してくるユカリを横目で見てから一瞬言葉を飲み込み、それでも、再び口を開いた。


「……僕も本心を話そう。マリィ博士の言うことは合っている部分もある。僕の心の中には、彼らを助けたいという気持ちと、助けない方がいいのではないかという気持ちが同じくらいあるんだ。考え方に差異はあれど、短くない時間を一緒に過ごしてきた仲間だ。それなりに情はある」


 クラモチは一度そこで言葉を区切って、考えをまとめるようにしばらく俯いてから顔を上げた。


「だが……彼らは行き過ぎた。副代表の男が彼ら原理主義派を焚き付けて、兵器の製造を始めたんだ。彼らの中には技術者も多くいたから、遺棄されていたロボットを改造して地下の更に深くに工廠こうしょうのようなものを作っていた」

「兵器? なんのために?」


 マリィ博士は半ばその答えを予想しつつ、様式美のように質問してみせた。


「実験都市を攻撃するためだ。コアを使った実験を繰り返し、あまつさえコアを製品化しようとしている、というのが彼らには許せなかったらしい。……実際はその実験都市が作った大気濾過装置によって命を永らえているのに。皮肉なことだよ」


 なるほどなるほど、と大仰に頷いて見せてから、マリィ博士は隣に座るユカリに話しかける。


「ずいぶんと過激なお話だねえ」

「だから私は先に潰しておくべきだと言ったんです」

「でもガラクタを集めて作った兵器程度じゃ、実験都市を落とすのは難しいんじゃないかな? 一応そういうことにも備えて作られている訳だし」


 二人の会話を聞いていたクラモチはそこで、「いや」と口を挟む。


「彼らが作っていたのは手持ちのロケット砲のような物だったが……弾頭に使われているものがまずい」

「ふむ、その言い方だとあれかな……」

「核だ。とは言え、廃棄された核融合電池を再利用しているらしかったから、それがどれほどの脅威度なのかは分からない……僕はそのあたり全くの素人だからね」

「ユカリはどう思う?」


 マリィ博士が話を振ると、数秒視線を彷徨わせてからユカリは答えた。


「実験都市の防衛という意味では大した脅威にはならないでしょうね。ただし、下にいる難民キャンプの人間たちがどうなるかは別ですが」

「そりゃまた面倒だねえ」


 大げさに肩をすくめてみせるマリィ博士に、ユカリはにっこりと微笑みを向ける。


「簡単な話じゃないですか博士。私たちが何もしなくても、面倒なことは最初から全部、勝手に瓦礫の棺桶に入って埋葬されてるんですよ。いたれりつくせりですね」

「魅力的な話に聞こえるのがまた困るんだよなあ」


 わははと笑い合うカナザワのトップたちに薄ら寒いものを感じながらも、クラモチはそれを表には出さないよう努力しつつ口を開いた。


「僕としては、そちらの……ユカリさんの言うことにも一理あると思っている。恐らく今回の地震によって、地下の工廠は使い物にならなくなったはずだ。そもそも地上の瓦礫を全て撤去しなければ兵器開発のための物資の搬入もままならない。だから、ある意味これは良い機会だと思う。開発中の兵器は地下深くに眠らせたまま、彼ら信者だけを救ってやることはできないだろうか。身勝手な願いだということは重々承知しているが、この通りだ……」


 自分の意見を総括し、クラモチは深く頭を下げた。

 そんな彼の頭頂部を見ながら、マリィ博士とユカリは少しの間沈黙する。

 静かな飛行音だけが船内を満たす。メッセージで何事かをやり取りしているのかもしれないな、とクラモチは思った。


「オーケー。実験都市は、君の要望に応えよう」

「まあそう言うと思いましたよ……」


 キリッとした顔で言うマリィ博士の隣で、ユカリは諦めたように呟いた。

 そもそもマリィ博士にこの話が持ちかけられた時点で、結論は分かっていたのだ。その根底にあるものが多少いびつであろうとも、人命を尊ぶという彼女の軸は変わらないのだから、これまでの問答はまあ、言ってしまえば茶番のようなものだった。


「本当か? こちらとしてはありがたいが……」


 クラモチは顔を上げると、笑顔と困惑の入り混じったような表情をマリィ博士たちに向けた。

 八割方、断られると予想していたのだろう。しかし助けない方がいいかもしれないと思う心があるにせよ、クラモチにとっては長い間支え合って生きてきた仲間たちを助けられるというのは、やはり喜ばしいことだったらしい。


「まあ、タダではないよ。条件を付けさせてもらう」

「それは当然だろう。これで何の見返りもいらないなんて言われたら、それこそ恐ろしくて震えてしまうところだ。とは言え我々にできることはそう多くないが……」


 クラモチは半ばおどけたように言った。

 信者たちを助けてもらえるという約束を得た時点で、少し気が緩んだのだろう。

 しかし次に続くマリィ博士の言葉を聞いて、クラモチの表情は分かりやすく歪むこととなる。


「救助が終わったら、君たちは火星に行きたまえ」


 地球を離れて火星へ行くこと。

 実のところそれは、決断さえすれば比較的容易に実現できることだった。

 しかし今なお地球に残って暮らしているということはつまり、彼らにとってはその決断というハードルは酷く高いものであるということに他ならないのだが。


「全員でなくてもいい。できるだけ多くの人を、説得できるだけ、ね」

「それは……」

「頭の柔らかい人たちこと、自由主義神学の人たちなら、もうとっくに分かっているんじゃないかな?」


 マリィ博士は常に浮かべているその謎めいた笑みを、殊更ことさらに強調して見せる。


「わざわざこんな滅びる寸前の星に留まる必要なんて、どこにもないってことにさ」


 クラモチはその笑みから逃れるように、ぎゅっと眉根を寄せて目を閉じた。

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